3月10日が東京大空襲の日であったことを知らない人々も多いような気がします。今から80年前のその日未明の東京下町への無差別爆撃によって一日に約10万人もの人が命を失ったと言われます。史上空前の大惨事です。
それに先立つ1945年2月18日、東京都の南端に位置する硫黄島に米軍の海兵隊が、史上空前の犠牲者を出しながらの総攻撃を仕掛け、その島の飛行場が2月28日に米軍の完全な支配下に置かれます。
日本軍の奇跡的な抵抗は3月末まで続きますが、すでに硫黄島の空港は3月初めには米軍の航空基地に変えられていました。
そして、それこそが東京大空襲を可能にするために米軍の戦略でした。
当教会には今から20年前に硫黄島遺族会の中心的な働きを担う方が集うようになってくださいました。10年近く前に天に召されておりますが、その間、硫黄島での日米合同記念会にも参加させていただくことができました。
日米双方の遺族が互いの勇気を称え合う不思議で感動的な集まりでした。その頃になって初めて、硫黄島の戦いが東京大空襲と密接に結びついていることを知りました。
私たちは東京大空襲の悲惨な被害と共に、それを防ぐために命がけて戦っておられた方の存在を決して忘れてはなりません。
しかし、そのようなときに、ふと、神はそれをどのように見ておられ、どこにおられたのかと疑問を抱くことも多いと思われます。
詩篇24篇は「栄光の王」のエルサレム神殿への入城を祝う賛美です。その預言が、イエスのエルサレム入城において成就したと解釈できます。
しかし、イエスのエルサレム入城は、五日後に十字架に架けられるためのものでした。
神の御子のイエスは、世界の悲惨のただ中において、その痛み悲しみをともに担ってくださる方です。
イエスはまさに人間の罪がもたらすこの世の地獄のただ中に入り、そこに平和の種を蒔くために十字架にかかってくださいました。
十字架は、罪と死の力に対する勝利のシンボルとなりました。今も世界中のいたるところで戦いが繰り広げられています。
しかし、そのような悲惨のどこにおいても、同時に、不思議なほどの互いへのいたわりあい、愛の交わりが生まれています。
この世の悲惨のただ中で、「神は何をしておられるのか」と疑問を抱くことがありますが、しかし、神の御子はその悲惨のただ中におられて、そこに平和の種を蒔いておられます。それこそが十字架の不思議です。
イエスの逆説的な勝利の預言を詩篇24篇から覚えたいと思います。
詩篇24篇「栄光の王が入って来られる」
この詩はダビデが、主の契約の箱をエルサレムに運び入れた際に歌われたものと言われています。
彼は最初、律法の規定に無知だったためか、契約の箱を牛車に載せて運んでしまいます。それがひっくり返りそうになった時、ウザが神の箱に手を伸ばし、「不敬の罪」のためにその場で死ぬというような悲劇が起きます (Ⅱサムエル6:7)。
「だれが、主 (ヤハウェ) の山に登りえようか……」という問いかけは、主に近づくことの恐ろしさを前提としたものです。
「手がきよく、心がきよらかな者」とは、自分で「私はきよい」と言えるような人のことではありません。それは主ご自身に任命され、雄牛の血によってきよめられた祭司を指すような表現でした。
そこでは、主ご自身が示された手続きに従うことが何よりも大切でした。それは、私たちの場合は、自分の汚れを認め、イエスの十字架の贖いなしには、神に近づくことができないと信じることを指します。
「きよさ」は、神ご自身が与えてくださる一方的な恵みです。ウザのように自分が神の箱を守るかのような行動は、傲慢な「不敬の罪」と言われます。
ダビデはその後、主の御教えに従って、契約の箱をレビ人に担がせ、いけにえをささげつつ、喜び踊りながら、主の契約の箱をエルサレムの城内に迎え入れます。
その際に、エルサレムの門に向かって、「かしらを上げよ」と命じつつ、契約の箱の入城を、「栄光の王」の入城として迎え入れます。契約の箱こそ、主がイスラエルの民の真ん中に住んでくださるというしるしだったからです。
イエスの時代に契約の箱はエルサレム神殿の中にはありませんでした。人々は、「主の栄光が東向きの門を通って宮に入って来た」という預言が成就するのを待ち焦がれていました (エゼキエル43:4)。
そして、イエスのエルサレム入城こそ、その預言の成就だったのです。私たちは、そのことを覚えて、「栄光の王」であるイエスを私たちの交わりの真ん中に迎え入れるのです。
【祈り】イエスが、「栄光の王」として、私たちを罪と死の支配から解放するために来られたことを感謝します。神の一方的な恵みに謙遜に応答できますように。