オリンピック開会式でのイマジン 馬術競技

 先週金曜日からパリ・オリンピックが始まっています。開会式は、まさにフランスらしい、ユニークなすばらしいものでしたね。特に驚きだったのは、イマジンという曲が、炎に包まれたピアノ演奏と共に歌われたことです。以下でほんの少しご覧いただけます。

 この曲は、最近はジョン・レノンとオノ・ヨーコの共作として紹介されます。この曲には、ヨーコさんを通して良い意味での日本の心も表されているように思います。彼女の芸術作品には自由にイメージさせるものが多かったようです。
 さらにこの曲はこれからもオリンピックで演奏され続けると発表され、とっても嬉しくなりました。
 ピアノが燃えているような不安を思い起こさせられながら、ウクライナやイスラエルとガザとの戦いを思い起こしました。
 燃える世界を直視しながら、そこで永遠の平和を夢見ることこそ、実は、聖書のメッセージの核心かと思います。どんな悲惨の中でも、そこで真の平和への夢を抱くとき、目の前の対立を超えた対話が成り立つように思います。
 目の前の問題の解決を急ぎ過ぎるところから対立が生まれます。しかし、互いの意見を違いを尊重しながら、やがて分かり合える時が来ると信じられるなら、そこで「対立を超えた抱擁」が生まれ得ると思います。

 日本が馬術競技で92年ぶりのメダル獲得と聞くと、当教会に10年以上前から集っておられる方はイメージが湧くと思います。
 私たちと共に礼拝を守っていた西泰徳兄は8年半前に天に召されましたが、そのお父様の西竹一さんが1932年のロサンゼルスオリンピックで愛馬ウラヌス(天)とともに金メダルの栄光にあずかりました。そして1945年の硫黄島の戦いで亡くなられました。そのお話しを身近に感じられたことは私たちにとって大きな恵みでした。ともに西さんのご遺族のことをお祈りいただければ幸いです。

 以下は、以前何度か紹介しました、イマジンの曲を聖書全体のストーリーから見直すという記事です。

「新天新地の希望と『イマジン』という曲」

 多くの人が、「世界は本来あるべき姿ではない……」と嘆いていますが、それは、すべての人の心の中に、失ったエデンの園への憧れが宿っているからではないでしょうか。今も、40年近く前にジョン・レノンとオノ・ヨーコが書いた名曲「イマジン」が世界中の人々から愛されています。それは多くの場で、「平和」のシンボル曲とされています。イマジンの歌詞は次のとおりです。

 Imagine there’s no heaven It’s easy if you try No hell below us Above us only sky Imagine all the people Living for today…. 
想像してごらん。天国なんてないって……やってみたら簡単なことだよ。私たちの下に地獄もない。上には、空があるだけさ。想像してごらん。みんなが今日を生きているんだ。
  
 この歌詞は、一見すると、天国を皮肉り、死後のさばきを否定するという、反聖書的なものに見えます。しかし、ジョンとヨーコがこのように歌ったのは、当時のキリスト教道徳が、天国への「夢」を説いてこの世への不満を沈黙させ、地獄への「脅し」で、人々の自由を抑圧しているように思えたからです。
 これは真の聖書の教えに立ち返る良い刺激になります。なぜなら、聖書には「天国」という言葉はないからです。日本語の天国、英語の heaven は、「パラダイス」と呼ばれます。イエスは、十字架に一緒にかかった強盗に、「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」と保障してくださいましたが、それは、信仰者のたましいが復活を待つ一時的な休息の場であり、最終目的地は「新しいエルサレム」に朽ちない身体を与えられてよみがえることです。
 その世界は、「新しい天と新しい地」と呼ばれます。そこにはもはや危険な海もなく、日照りをもたらす太陽もなく、神の平和(平安)が世界を満たしています。私たちに与えられた「永遠のいのち」とは、その喜びの世界の「いのち」が、今、このときから始まっていることを意味します。私たちは、「良い行いをしたら天国に入れてもらえる。でも悪いことをすると地獄に落とされる」という世の道徳の教えの枠を超えて、今、このときから「新しいエルサレム」の市民として、今、このときを喜びながら生きることができます。
 ジョンとヨーコは、キリスト教が「ここで今」(here & now) を生きることを否定すると思いました。しかし、聖書の教えは、イマジンが歌うように「みんなが今日を生きている……」ということを可能にするものなのです。

 Imagine there’s no countries It isn’t hard to do Nothing to kill or die for And no religion too Imagine all the people Living life in peace…
想像してごらん。国家なんてないって……難しくはないよ。何かのために殺したり死んだりすることもない。そこには宗教もない。想像してごらん。みんなが平和(平安)のうちにいのちを生きてるって。
 
 神の国が完成するときには、まさに国籍も人種の違いもなくなります。そこには宗教の違いなどは存在しません。なぜなら、「主 (ヤハウェ) を知れ」と教え合う必要がなくなるからです (エレミヤ31:34)。ヘブル語の「シャローム」は、平和とも平安とも訳すことができます。神がそのような世界を実現してくださると確信するなら、互いに戦う必要もなくなるのです。

 You may say I’m a dreamer But I’m not the only one I hope someday you’ll join us And the world will be as one
 君は僕を夢見る人と言うかもしれない。でもその夢を持つのは僕だけじゃないよ。君もいつの日か、僕たちの仲間になってくれることを願ってるからね。すると、世界はひとつになって行くよ。

 イマジンはこのような夢を互いに共有することによって、平和が実現できると歌い、それが多くの人々の心を動かしています。私たちも聖書が語る「新天新地」の夢を共有するときに、何の強制力もない一致を喜ぶことができます。教会では、終末論の見解の違いによって争いが起きてきましたが、最終的な平和のゴールを見上げるなら、みなが一致できます。

 Imagine no possessions I wonder if you can No need for greed or hunger A brotherhood of man Imagine all the people Sharing all the world…
想像してごらん。所有なんてないって……君もそうできるかな。貪欲になったり、飢えたりする必要もない。人が兄弟愛で結ばれる。想像してごらん。みんなで世界を分かち合っているって……

 初代教会において人々が聖霊に満たされていたとき、「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた……彼らの中には、ひとりも欠しい者がなかった」(使徒4:32、34) という状態が実現しました。
 「聖霊に満たされる」とき、私たちは喜びながら、進んで所有意識を捨てられるのです。「イマジン」には、多くの人々の夢を歌ったものです。それがこれほどポピュラーになったことを考えるとき、新天新地の教えも、実は人々にとっても身近なもので、現在の生き方に直結するということがわかります。