マタイ27章27〜44節「神のお気に入りとしての苦難」

2023年5月28日ペンテコステ 

今日はペンテコステ、聖霊が信者の上に下ったことを記念する日です。イエス・キリストは、三回に分けて私たちの人生に現れてくださるという神学的な解釈があります。

一度目は、クリスマスの日に、ひ弱な赤ちゃんとして、そして二度目は、この世界の終わり、または完成に導かれるときに「栄光の王」として現れてくださる「キリストの再臨」の希望です。

そして、この初臨と再臨の間に、主が聖霊を通して私たちに現れるという不思議があるというのです。それは聖書のことばがこの私一人に語りかけられた神のことばであると迫って来る時とも言えます。

みことばを身近に体験する中に聖霊の働きがあります。イエスの十字架と復活の姿は、詩篇22篇に驚くほどリアルに描かれています。私は詩篇22篇を自分の祈りと感じられたときに、イエスを本当の意味で、自分にとっての救い主であると分かりました。あなたはいかがでしょう。

1.「こうしてイエスをからかってから、マントを脱がせて元の衣を着せ、十字架に……」

ローマ総督ピラトは、裁判官の立場にありながら、そこにいる人々に「あの人がどんな悪い事をしたというのか?」(23節) と問いかけた上で、十字架刑を宣告します。それは人々が、「十字架につけろ!」と激しく叫び (22、23節)、「暴動になりそうなのを見て」(24節) のことでした。

しかも、彼らは、「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に」(25節) と言って、自分たちがイエスの血の責任を担うと宣言することで、ピラトに十字架刑の宣告を迫りました。

ここに総督ピラトの無責任な態度が明らかになっていますが、同時に、そこにいるユダヤ人たちのイエスに対する勝手な怒りも明らかにされています。彼らはイエスが偽預言者であることを確信していたからこそ、イエスの血の責任を問われても構わないと言ったのです。

27節では、「総督の兵士たち」の反応が、「イエスを総督官邸の中に連れて行き、イエスの周りに全部隊を集めた」と描かれます。敢えて「全部隊」が集められたのは、彼らがふだんからユダヤ人の独立運動に悩ませられていたからでしょう。

彼らはイエスがその五日前に群衆から「ホサナ、ダビデの子に」(21:9) という歓呼を受けながらエルサレムに入城したようすを、肝を冷やしながら見ていたはずです。この時期、ユダヤ人の独立運動のため多くのローマ兵士が命の危険に晒(さら)されていました。当時のユダヤ人は、現在のパレスチナ解放闘争のテロ活動と同じようなことをしていたからです。

この四、五年前にピラトはローマ皇帝の胸像がついた軍旗をエルサレム市内に持ち込もうとして激しい抵抗にあって断念し、またエルサレム神殿の献金を奪い取って市内の導水管工事に使い、激しい反発を受けていたという記録があります。

そのように兵士たちはユダヤ人の抵抗運動に対して不安と怒りの感情を持っていたと言えます。

このとき、「総督の兵士たち」がイエスに敢えて王様の格好をさせて嘲ったようすが、「彼らはイエスが着ていたものを脱がせて、緋色のマントを着せた。それから茨で冠を編んでイエスの頭に置き、右手に葦の棒を持たせた。そしてイエスの前にひざまずき、『ユダヤ人の王様、万歳』と言って、からかった」と描かれます (28、29節)。

「緋色」とは 赤に近い濃いオレンジ系カラー、スカーレットとも呼ばれ、「紫」と並んで王族の上着の色でした。また王や競技の勝利者は「月桂樹の冠」をかぶりましたが、イエスにはそれをまねた「いばらで冠を編んで」、かぶらせました。「葦を持たせた」のは王酌に見せるためです。

ローマの兵隊たちはユダヤ人のテロ攻撃を恐れていましたから、彼らはイエスをテロリストの親玉に見たて、日頃の憎しみをぶつけたのでしょう。とにかく彼らは少し前まで多くのユダヤ人の支持を集めていた者が、無力に一人で立っている姿を嘲りました。

そのようすがさらに「イエスに唾をかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたいた」(30節) と描かれます。イエスはまさにユダヤ人の王として、ローマ兵からの憎しみを受けたのです。

31節ではその後のことが、「こうしてイエスをからかってから、マントを脱がせて元の衣を着せ、十字架につけるために連れ出した」と描かれます。マントを着せたり、脱がせたりと不思議ですが、マルコの平行記事では、「紫の衣を着せ」また「紫の衣を脱がせた」と色が違います (15:17、20)。

裁判直後のことが26節では、「イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した」と簡潔に描かれましたが、「むち」は何度も気を失わせるような厳しいもので、イエスの背中は血まみれになっていたはずです。ですからイエスに着せたマントは、「緋色」か「紫」かの区別がつかないほどの古びたものに違いありません。

後にパウロは自分が「キリストのしもべ」として、その苦しみにあずかったことで使徒にふさわしいということを敢えて語るために、「ユダヤ人から四十に足りないむちを受けたことが五度、ローマ人からむちで打たれたことが三度」(Ⅱコリント11:24、25) などと記しています。ローマ市民権を持っていたパウロでさえこれほど厳しい「鞭打ちの刑」を受けたのであれば、十字架に渡される際の「鞭打ち」がどれほど激しいかは、想像を超えています。

ところが、ここではそのような肉体的な苦しみを思い起こさせる描写は驚くほど簡潔なままで、イエスに着せられたマントなど、王の姿をさせ、「からかった」という描写に焦点が当てられています。

そこには、イザヤ書での「主 (ヤハウェ) のしもべ」の預言の成就が示唆されていたと思われます。

イザヤ50章5–8節では、「神である主は、私の耳を開いてくださった。私は逆らわず、うしろに退きもせず、打つ者に背中をまかせ、ひげを抜く者に頬を任せ、侮辱されても、唾をかけられても、顔を隠さなかった。しかし、神である主は私を助けてくださる。それゆえ、私は侮辱されることがない。それゆえ、私は顔を火打石のようにして自分が恥を見ないことを知っている。私を義とする方が近くにいてくださる……見よ。神である主が私を助けてくださる」と記されています。

ただしイエスは、このときストア哲学者や禅宗の僧侶のように感覚を麻痺させることによって辱めに耐えたのではなく、「主 (ヤハウェ) のしもべ」として、ご自身を義としてくださる父なる神の語りかけを聞くことによって、辱めに耐えておられたのです。

イエスは父なる神の助けを受けながら、人々の嘲りに耐えておられました。しかもイエスがローマ総督の兵たちから「嘲り」を受けていた時、まさにユダヤ人の王、代表者として嘲りを受けていたということを忘れてはなりません。

イエスは公生涯の始めの山上の説教で、弟子たちに向かって、「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから」と、天に心の目を向けて、迫害の中で敢えて「喜ぶ」ことを勧められました。

「天において」の喜びを先取りすることが迫害に耐える秘訣です。

2.「彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いてその衣を分けた」

32節では、「兵士たちが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会った。彼らはこの人に、イエスの十字架を無理やり背負わせたと描かれます。それはイエスが衰弱し切っていて、その歩みがあまりにも遅かったことに兵士たちも困っていたからだと思われます。

イエスは木曜日から十字架にかけられる金曜日まで、一睡もせずに、厳しいストレスにさらされていました。主は最後の晩餐の後、ゲツセマネの園で悲しみもだえながら必死に祈っておられ、その後、ユダの裏切りによって捕らえられ、夜を徹して最高法院での非公式な裁判に臨み、日が昇ると共に最高法院での死刑判決が下され、ローマ総督ピラトのもとに連れ出されてきました。

ヨハネ福音書19章1–3節によると、イエスはピラトの裁判を受ける直前に既に、むち」で打たれ、「茨の冠」と「紫色の衣を着せられ」、「ユダヤ人の王様、万歳」という嘲りを受けていました。それはピラトがユダヤ人の歓心を買うと同時に、イエスにはユダヤ人の王として暴動を起こす力など全くないということを明らかにするためだったと思われます。

しかし、これによってイエスは、他の犯罪人と違い、裁判の前と後の二回にわたって厳しい「むち打ちの刑」を受けることになりました。一度のむち打ちで死ぬ直前にまでなるのが、二回もそれを受けると身体が動かなくなって当然とも言えましょう。

なお、マルコの平行記事では、イエスの十字架を無理やりに背負わされたクレネ人シモンに関して、「彼はアレクサンドルとルフォスの父で、田舎から来ていた」(15:21) と描かれます。それはこの二人が初代教会でよく知られていた信仰者で、その父がシモンであったということを示しています。

つまり、シモンはイエスの十字架を無理やり負わされることによって、イエスの十字架刑を身近に目撃することになり、その姿に感動し、イエスの弟子となり、子どもたちも信仰へと導かれたと考えられます。

私たちも、降ってわいたような苦しみに合わされ、うめきながら、結果的にそこでイエスを身近に感じるということがありましょう。

その後のことがここでは、「ゴルゴタと呼ばれている場所、すなわち『どくろの場所』に来ると、彼らはイエスに苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった(33、34節) と描かれます。

ここにはイエスが十字架にかけられた場所と、十字架にかけられる直前のことが描かれています。「苦みを混ぜたぶどう酒」とは麻酔的な効果を持つもので、意識を朦朧とさせることができます。それは十字架に手と足に釘を刺すときに暴れないようにするための必需品でしたが、イエスはそれを「なめた」だけで、「飲むことを拒絶し続けた」と訳すこともできます。

そこには、イエスは正気を保ったままこの苦しみを引き受けようとされたという意味があったと思われます。

ただ、不思議に、釘を打ちつけられ、十字架を絶たせる絶望的な苦しみの場面は一切、描かれていません。それは読者への配慮なのかもしれませんが、それ以上に十字架の本質である「辱め」を強調するためであったと言えましょう。

さらに続けてここでは、「彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いてその衣を分けた。それから腰を下ろし、そこでイエスを見張っていた」(35、36節) と描かれます。

ヨハネの平行記事では、「兵士たちはイエスを十字架につけると、その衣を取って四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。また下着も取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目のないものであった。そのため、彼らは互いに言った。『これは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。』 これは、『彼らは私の衣服を分け合い、私の衣をくじ引きにします』とある聖書が成就するためであった。それで、兵士たちはそのように行った」(19:23、24) と描かれています。

マタイでは「衣」と記されているものがヨハネでは「下着(チュニック)」と描かれます。これは肌に直接つける長い衣服で、イエスの着ておられたものは縫い目のない高級なものだったのでしょう。それを兵士たちは「くじ引き」にしたのですが、それは目の前のイエスの苦しみよりも、彼の衣の方に関心を向けているという態度です。

そこにいる兵士たちは、イエスのことなど人間とも見ていないのです。しかしそれは、詩篇22篇18節のみことばの成就であったとヨハネでは明確に記されています。

ただ同時に、これはその同じ詩篇の6節で、「この私は、ただ、虫けら。人間と見られていません。人のそしり、民の軽蔑の的です」と描かれていることを思い起こさせます。

この詩篇は、「わが神 わが神 どうしてわたしをお見捨てになったのですか」ということばから始まりますが、マタイ、マルコでの十字架の場面では、この詩篇22篇のことばだけに焦点が当てられています。まわりの人々から「人間と見られていない」ほどに無視され、衣がくじ引きにされることと、神からも見捨てられていると感じることは、人の心の中では区別しがたい絶対的な孤独感を現しています。

詩篇記者の感覚としては、人から見捨てられている結果として、神からも見捨てられたと感じられたのかもしれません。

3.「彼は神に拠り頼んでいる。神のお気に入りなら、今、救い出してもらえ」

37節では不思議にも、「彼らは、『これはユダヤ人の王イエスである』という罪状書きをイエスの頭の上に掲げた」と、敢えて描かれます。

総督の兵士たちは、それを嘲りのために掲げたのですが、イエスはピラトが「あなたはユダヤ人の王イエスなのか」と尋ねたとき、「あなたがそう言っています(あなたが言ったとおりです)」と答え、ご自身が「ユダヤ人の王である」ということを認めていました (26:64参照)。

そこには、イエスが「ユダヤ人の王」として、イスラエルの歴史を完成に導くために十字架に自らかかって行かれたという意味が含まれています。その結果、私たち異邦人も神の民に加えられたのです (Ⅰペテロ2:10)。

さらに「そのときイエスと一緒に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に十字架につけられていた」と描かれます (38節)。それは、イザヤ53章12節で、「彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられた」と預言されていたことの成就だと思われます。

ところがそこにいるユダヤ人たちは誰一人、そのような預言を思い起こすことなく、「通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしった。『神殿を壊して三日で建てる人よ、もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い』」と描かれます (39、40節)。

興味深いことに、ここでの「頭を振りながらののしる」という姿は、先の詩篇22篇7節で、「私を見る者はみな 私を嘲ります。口をとがらせ 頭を振ります」と描かれていたことの成就と言えます。

そして、嘲りの内容が、「神殿を壊して三日で建てる人よ」と記されるのは、ヨハネ2章13節以降に描かれた、イエスが公生涯の始めに行った宮清めの直後に、そこにいるユダヤ人たちが「こんなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのか」と言ったことに対し、イエスが「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる」と言われました (2:19)。

そしてその意味は、「ご自分のからだという神殿について語られた」のであって、「イエスが死人の中からよみがえられたとき」弟子たちはその意味を理解したと記されています (2:21、22)。

イエスはご自分が神殿を壊すとは言っておられないので、イエスのことばが捻じ曲げられていることは確かですが、とにかくイエスが「三日で建てる」と言われたことは間違いありません。彼らがそれを盾に、イエスを嘲るのも無理がないことと言えましょう。

さらに彼らは、「もしおまえが神の子なら、自分を救ってみろ」(40節) と嘲りました。これは本当に逆説的なことばです。イエスは「神の子」であるからこそ、ご自分を犠牲のいけにえとすることで私たちを救うことができました。それは創造主である「神の子」にしかできないことです。

続けて、「同じように祭司著たちも、律法学者たち、長老たちと一緒にイエスを嘲って言った。『他人は救ったが、自分は救えない。彼はイスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおう。そうすれば信じよう」(41、42節) と描かれます。

イエスはかつて荒野で悪魔の試みを受けられた際、神殿の頂きに立たされ、そこで「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が岩に打ち当たらないようにする』と書いてあるから」と誘惑されました (4:5、6)。

悪魔が詩篇91篇11、12節を文脈無視で引用しながらイエスを誘惑したように、当時の宗教指導者たちも、聖書全体の文脈を無視し、イスラエルの王は目に見える戦いに勝利するはずで、それを証明するようにと迫りました。

しかも43節の宗教指導者による、「彼は神に拠り頼んでいる。神のお気に入りなら、今、救い出してもらえ」という嘲りのことばは、詩篇22篇8節の「主 (ヤハウェ) に身を任せよ。助け出してもらえばよい。主に救い出してもらえ。彼のお気に入りなのだから」を思い起こさせます。

ユダヤ人たちは、神殿に神の栄光が戻って来ること、自分たちの国がローマの支配から解放されることを望んでおり、神が長らく沈黙しておられることに戸惑っていました。

イエスはこの時、彼らが心の底に貯め込んできた不満と怒りをその身に受けたとも言えるのかもしれません。このときイエスはすべての人の怒りをその身に受けたと言えましょう。

ですからここでは、「強盗どもも、同じようにイエスをののしった」(44節) という点に焦点が合わされます。ルカ福音書において、一人の強盗が、イエスがキリストであることを告白して、パラダイスを保証されたと描かれているのとは正反対です。

この強盗は最初、そこにいた宗教指導者たちの影響を受け、一緒にイエスを罵(ののし)っていたのでしょうが、その後、イエスの真実さと宗教指導者たちの愚かさの対比に気づかされ、悔い改めに導かれたのではないでしょうか。

そして、イエスを罵った後で、悔い改めに導かれるという不思議は、その後の多くの人々にも起きていると言えましょう。パウロの場合もそうですが、イエスに無関心な態度を取っている人よりも、イエスを批判している人の方が真の悔い改めに導かれる確率が高いのかもしれません。無関心な人よりも、批判者の方が、真理に向き合おうという心があるからです。

それにしてもイエスは、十字架で様々な嘲りを受けながら、それが基本的に詩篇22篇のストーリーの中に描かれていることを理解しておられたのではないでしょうか。

イエスはこのとき、「死の力」を打ち破るために十字架にかかろうとしています。イエスはそのために十字架に留まり続けたのです。

そして詩篇22篇21節cでは、「あなたは 私に答えてくださいました」と、沈黙しておられた神が、明確な答えを与えてくださったことが記されます。それこそ、主に信頼している者のうめき」の声を、主が聞いてくださるということが明らかになったことを意味します。

この詩篇では、主が貧しい者の訴えから御顔を隠し、沈黙しておられることへの不満が率直に描かれていましたが、この告白の直後には、「主は 貧しい人の苦しみを蔑まず いとわず 御顔を彼から隠すことなく 助けを叫び求めたとき 聞いてくださった」(同24節) という告白が生まれています。

それはこの詩篇の1、2節とは真逆に見えますが、それこそ主の復活の結果です。

後のヘブル書の著者は、イエスについて、「この方は、目の前に置かれた喜びのゆえに、十字架を耐え忍びました、辱めを軽蔑することによってですが、神の御座の右に着座されたのです」(12:2私訳) と描きますが、イエスは詩篇22篇に描かれた嘲りのことばをご自分の身に引き受けながら、それと同時に、この詩篇の後半に描かれた復活預言に思いを向け、苦難に耐えておられたとも言えましょう。

私は昔、最初に福音書を読んだとき、イエスが十字架で、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたと描かれているのを見て、「これは信じるに値しない宗教だ」と思いました。

しかし後に、これが詩篇22篇の最初のことばであると分かったときに、イエスがまさに私たち弱い人間の代表者としての「王」となられたという意味がよくわかりました。そればかりか、自分が人々から誤解され、嘲りを受けているように感じた時、詩篇22篇を本当に自分にとっての祈りのことばと思えるようになりました。

誰にとっても、人から誤解され、無視され、嘲られているという状況は本当に辛いことです。しかし、そのような中でこそ、イエスを身近に感じることができるという逆説を覚えたいものです。

イエスは、まさに神のお気に入り」である方としての苦難に会っていました。イエスが味わった詩篇に出会う中で、私たちはイエスに出会い、自分も「神のお気に入り」として、この苦しみに会っていると信じることができます。