マルコ14章43〜72節「人の弱さを知っておられる救い主」

2013年3月3日

ペテロは確かに弟子たちのリーダーでした。カトリック教会の総本山はペテロの墓の上に立っており、まもなく異例の交代を迎えようとしているローマ法王はペテロの後継者と呼ばれています。それは根拠のないことではありません。確かに、イエスは弟子のペテロに向かって、「あなたはペテロ(岩)です。わたしはこの岩 (ペトラ) の上にわたしの教会を建てます」(マタイ16:18) と言われたからです。そのように考えると、ペテロはよほど立派な人間であると思われて当然ですが、よくよく聖書を見ると、彼は救いようのないほどの偽善者、臆病者、嘘つきであることが赤裸々に記されています。

一方、イエスは本日の箇所で、ご自分を預言者以上の救い主、全世界の支配者として示しておられます。それは主がペテロの失敗を事前にご存じで、それを通して彼を作り変えてくださったことの中に現されています。そして、主は「不動の者」と変えられた彼の信仰告白の上にご自身の教会を建てておられます。ペテロを作り変えた御霊が私たちに与えられています。私たちはみなペテロの後継者です。

1.「するとみなが、イエスを見捨てて、逃げてしまった」

人としてのイエスにとっての最も厳しい戦いは、このゲッセマネの園での祈りでした。イエスはこの時、ご自分の肉の身体から生まれる願望を、御父に向かって包み隠さずに表現し、「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください」と願われ、その上で、「あなたのみこころのままをなさってください」と三度も祈られました (14:36)。

そこには、究極の恐れの表現と、究極の献身の告白があります。私たちは自分の肉の弱さを正面から認めないからこそ、恐れに振り回されるのではないでしょうか。

この後ペテロは三度、イエスを知らないと言います。三度の祈りと三度の否認が対照的に描かれています。

イエスは、この祈りの戦いに勝利した結果、「罪人たちの手に渡される」(41節) ために雄々しく前に進まれました。これは剣を振り回すよりもはるかに勇気の要ることです。

イエスがまだ話しておられる時、ユダに導かれた群衆がイエスを捕えに来ました。ユダは、敢えて「十二弟子のひとり」と強調され、不気味な印象を与えています。

ユダヤ人の指導者たちは、イエスが多くの民衆から支持されていることから、昼間にイエスを捕らえようとすると暴動になるのではないかと恐れ、夜陰にまみれてイエスだけを一気に捕らえ、無力になったイエスを民衆に見せて、彼らの幻想を打ち砕こうと計算しました。

そのため、確実にイエスを捕らえるための内通者を求めていたのです。そして、弟子たちの会計係をしていたユダが、進んでその役を申し出ました。ユダは、イエスがご自分の十字架の死を繰り返し予告するようになったことに、裏切られた思いを味わっていたのかもしれません。

「すると人々はイエスに手をかけて捕らえた」と記されながら、同時に、「そのとき、イエスのそばに立っていたひとりが、剣を抜いて大祭司のしもべに撃ちかかり、その耳を切り落とした」と描かれます (14:46、47)。

ヨハネによると剣を抜いたのはペテロです。イエスは、「心は燃えていても、肉体は弱いのです」(14:38) と言っておられましたが、ペテロはまさに熱い思いに駆り立てられ、瞬時のうちに、イエスを守ろうと大胆に行動したのです。

イエスはそこで彼らに向かって、「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしを捕らえに来たのですか。わたしは毎日、宮であなたがたといっしょにいて、教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕らえなかったのです。しかし、こうなったのは聖書のことばが実現するためです」(48、49節) と彼らの暴力的な行動を非難しました。

確かに、ユダヤ人の指導者はイエスが武力革命の指導者になり得る存在として警戒していました。そして、ユダもイエスにそのようなメシアになることを期待していたからこそ裏切ったとも解釈できます。

それに対しイエスは、ご自分をいつでも彼らの前に現して、神の国について語っていたということを思い起こさせようとしています。それは第一に、彼らはイエスの話を聞いているようで聞いていなかったことを非難したものであり、第二に、彼らが群衆の顔色を窺って、自分たちの身を守ることを優先したという卑怯さを指摘するためでした。

そして、みことばの成就とは、たとえばイザヤ53章12節などにあるように「彼は……そむいた人たちとともに数えられた」ということを指します。イエスは、ご自分を被害者としてではなく、積極的に預言を成就する者として彼らに提示されたのです。

ところが弟子たちはそれが分かりませんでした。彼らの「霊は燃えて」いましたが、「肉体は弱い」ので彼らを逃亡へと駆り立てました。それが、「すると、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった」(50節) という行動です。

これが、「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても……」(14:31) と言っていた弟子たちの真の姿でした。マルコでは、「弟子たちが……」と書く代わりに、「みなが……」と描いています。それは彼らが自分の身を守るために、イエスの弟子であることをやめたということを示唆しているのかもしれません。

51、52節には他の福音書には記されていなことが、「ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた」と描かれています。これはこの福音書を書いたマルコ自身ではないかと多くの学者は推測します。

使徒の働きでは、第一回目の伝道旅行の途中でマルコがエルサレムに帰ってしまい、パウロは彼を第二回目の伝道旅行に同行させることを強く拒んだと描かれます。

マルコは臆病さのゆえに、はだかでイエスの前から逃亡し、また、後にはパウロの前からも逃げ去ったようなものですが、そんな自分の姿を反省してここに記録したのでしょう。

多くの人は恐怖や不安を紛らわすことに夢中になります。しかし、私たちはそれを祈りによって解決します。それこそがイエスの姿でした。抑圧された恐れは、後でその人を罪へと駆り立てます。

それを正面から見据えて、それを父なる神に訴えるところに勝利があるのです。

2.「人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです」

その後のことが53、54節では「彼らがイエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな、集まって来た。ペテロは、遠くからイエスのあとをつけながら、大祭司の庭の中まで入って行った。そして、役人たちといっしょにすわって、火にあたっていた」と描かれます。

ペテロは少なくとも、一度はイエスのもとから逃げながらも、隠れるようにしてイエスの「あとをつけながら」、大祭司の庭の中にまで入って行って、役人たちに紛れ込むところまで近づいたというのです。

マルコは、イエスがユダヤの最高議会で裁判を受ける場面を、まるでサンドイッチのように、敢えてペテロの臆病な行動に挟まれるような構成で描いています。

そして、55、56節では、「さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える証拠をつかもうと努めたが、何も見つからなかった。イエスに対する偽証をした者は多かったが、一致しなかったのである」と描かれます。イエスはユダヤ人の最高議会で裁判を受けますが、それは「イエスを死刑にするため」との結論を決めた上で、「訴える証拠をつかもう」とするものでした。

そのような中で多くの偽証者が現れます。何とここで、ユダヤの宗教指導者は、「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」(出エジプト20:16) という十戒に堂々と違反しながら、イエスを神殿と神への冒涜という律法違反によって死刑に定めようとしています。

彼らはイエスを恐れる余り、目的にためには手段を選ばないという政治的な行動を取ったのです。

決定的な偽証は、「数人が立ち上がって」、「私たちは、この人が『わたしは手で造られたこの神殿をこわして、三日のうちに、手で造られない別の神殿を造ってみせる』と言うのを聞きました」というものでした (57、58節)。イエスは確かに、当時のエルサレム神殿の崩壊を預言しましたが (13:2)、ご自分で破壊するとは言っていません。

ヨハネ福音書2章19節では、イエスが「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」と言われたことが記されますが、それは、目に見える神殿を建て直すことではなくご自身の復活を語るためでした。

マルコにはそのことばは記されていませんが、イエスは宮清めという大胆な行動によって、当時の神殿のシステムを断罪するとともに、神殿の崩壊を預言していました。それは当時の宗教指導者にとっては許しがたい冒涜と思われました。ですから、この偽証の背後には、イエスを神殿冒涜者として断罪しようという思いがありました。

しかし、「この点でも証言は一致しなかった」と記されます (59節)。証言が一致しなければイエスを死刑に定めることはできません (申命記17:6)。それで大祭司はイエスを死刑にする口実を見つけ出そうと積極的に問いかけたということだと思われます。

そのことが、「そこで大祭司が立ち上がり、真ん中に進み出てイエスに尋ねて」、「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか」と言ったと記されます。

それに対するイエスの反応が、「しかし、イエスは黙ったままで、何もお答えにならなかった」(61節) と描かれます。イエスはご自分の身を守るための弁明は一切しようとしませんでした。

そこで大祭司は、さらにイエスに尋ねて、「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか」と言いますが、イエスはこの質問に対しては、「わたしは、それです」と断言しました (61、62節)。それはご自分がどのような立場で十字架にかかるのかを明確にするためでした。

そればかりかイエスは続けて、「人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです」(62節) と途方もないことを言われました。

イエスはかつて、12章35-37節で、キリストはダビデの子である前にダビデの主であり、神の右の座に着く全世界の支配者であることを、詩篇110篇を引用して語っていましたが、ここでは直接にご自分がそのような存在であることを断言しました。

それと同時に、イエスは13章26節で、人の子が栄光の雲に包まれて現れるということを、ダニエル7章13節を引用しつつ話しましたが、ここでは「それをあなたがたは見るはず」だと言われたのです。

これは孫悟空のように雲に乗ることを意味するのではありません。「昼は雲の柱」などとあるように、雲は神の栄光の象徴です。それはご自身が、預言された救い主としての栄光を現わすと宣言するためでした。

しかし、イエスは今、弟子たちにも逃げられ、ひとりぼっちで無力に立っているのです。それに対して彼らがこれを神への冒涜と捉えたことは無理からぬことです。

その様子が、「大祭司は、自分の衣を引き裂いて」、「これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、神をけがすこのことばを聞いたのです。どう考えますか」と問いかけ、「すると、彼らは全員で、イエスには死刑に当たる罪があると決めた」と描かれます (63、64節)。

彼らがイエスに死刑を宣告した後のことが、「ある人々は、イエスにつばきをかけ、御顔をおおい、こぶしでなぐりつけ、『言い当ててみろ』などと言ったりし始めた。また、役人たちは、イエスを受け取って、平手で打った」と描かれます (65節)。「言い当ててみろ」ということばは、厳密には、預言しろ」と記されています。

これはイエスが預言者以上のキリストであるなら、眼を塞がれていても、誰が殴ったかを言い当てることができて当然であるという嘲りです。

これはイエスが決してキリスト、つまり「救い主」ではあり得ないことを印象付けるための行動ですが、この福音書を読む者は、イエスがペテロの失敗を正確に「預言し」ていたことを知っています。この後、ペテロがまさにイエスの言われた通りの行動を取ったことが描かれ、イエスが預言者以上の者であることが示されます。

世の多くの人は、イエスが無実の罪で十字架にかけられた悲劇の主人公であるかのように考えます。しかし、イエスが死刑判決を受けた直接のきっかけは、ご自身がダニエル7章の預言の成就者だと宣言したことにあります。しかもイエス目の前の祭司長や議員に向かって、「あなたがたは見るはずです」と言われ (14:62)、それがキリストの再臨以前に、目の前の彼らの世代に起こると言われたのです。

そしてイエスの十字架を見たローマの「百人隊長」が、「この方はまことに神の子であった」と告白したときにイエスの預言は成就しました。つまり、十字架でイエスの栄光が現わされたのです。

イエスが引用されたダニエル書には、この世の権威が裁かれ、あなたがキリストとともに王とされ、栄光に包まれ、すべての問題が解決することが約束されています。あなたにとっての救いの理解は狭過ぎはしないでしょうか。今も起こる奇跡や病の癒しは、救いの完成のしるしなのです。

3.「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います」

その一方でペテロの身に起こったことが次のように描かれます。ペテロはイエスが捕まえられた後を隠れてついて行き、裁判が行なわれている大祭司の家の中庭にまで入りました。その点では、逃げ続けた他の弟子たちよりも評価できます。

ただしそこで、「ペテロが下の庭にいると、大祭司の女中のひとりが来て、ペテロが火にあたっているのを見かけ、彼をじっと見つめて」、「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね」と問いかけると (66、67節)、とっさに「ペテロはそれを打ち消して」、「何を言っているのか、わからない。見当もつかない」と言って、「出口(前庭)のほうへと出て行った」というのです (68節)。

多くの聖書翻訳では新改訳の脚注にあるように、「すると鶏が鳴いた」ということばを加えています。マルコの福音書では、イエスはかつて14章30節で、ペテロに向かって、「あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います」と言われたことが記されていますが、ここではペテロが一度目に鶏が鳴いたのを聞いても、悔い改めなかったということが強調されているのだと思われます。

その後のことや他の福音書を見ると、ペテロは「大祭司の庭」(54節) 自体から出たのではなくその「下の庭」(66節) から「前庭」(68節別訳) に移動したという意味です。

ペテロは恐怖心と必死に戦いながら、イエスへの愛のゆえに、「大祭司の庭」に留まり続けました。それ自体は賞賛に値することでしょうが、彼の心は大きく揺れていました。

ただしペテロは、そこで自分の弱さを見つめ、真剣に神の助けを求めて祈っていたわけではなかったと思われます。私たちは、心が揺れるからこそ真剣に祈る必要があるのですが、彼の心は、一度目の鶏の鳴き声を聞いても、かたくななままでした。

その時の様子が、「すると女中は、ペテロを見て、そばに立っていた人たちに、また、『この人はあの仲間です』と言いだした。しかし、ペテロは再び打ち消した」と描かれます (69、70節)。

つまり、これはとっさの嘘ではありません。とにかく、明らかになるのは、二度目の否認は、とっさの自己防衛ではなく、反省の時間を十分にとることができた上で、複数の人々の前で指摘を受けながら、断固として、イエスとの関係を否定したということです。

そして、ルカ22章59節によると二度目と三度目の否認の間にも一時間もの時間があったことが明らかになります。そのような中で、「しばらくすると、そばに立っていたその人たちが」、「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから」と言ったと記されます。

そのときのペテロの反応が、「彼はのろいをかけて誓い始め」、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません」と言ったと描かれています (71節)。それは、「私のことばが嘘なら、神にのろわれても構わない」と宣言することです。

ペテロの態度は、イエスばかりか、父なる神のさばきをも否定するもので、その点では、ユダよりもなお罪深い行為であり、まったく弁解の余地はありません。ペテロの心の奥底には、救い難いほどの臆病さと不信仰が隠されていたのです。何という絶望でしょう!

イエスは、ペテロを初めとする弟子たち全員に、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません……人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います」(マタイ10:28、33) と警告しておられました。

そのときペテロは、「それは私の問題ではない!」と思ったことでしょうが、それが今、深刻な自分の問題になっているのです。

そしてここでは、「するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、『鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います』というイエスのおことばを思い出した」と描かれます (71節)。

ペテロは、本当に命懸けでイエスを守るつもりでした。しかし、イエスはペテロ以上に彼の弱さを知っておられ、ご自分のゲッセマネの祈りの様子を見せ、また、正確に彼の失敗を預言しておられました。

それらすべてがわかった時、「それに思い当たったとき、彼は泣き出した」(72節) のでした。そこには、イエスに向かっての明確な謝罪を含んだ悔い改めがありました。

ペテロは、自分に何の言い訳の余地もないことを、淡々と自分の書記として働いていたマルコに記録させています。これほど赤裸々に自分の失敗を記録させたこと自体に彼の悔い改めの真実さが現れています。

ペテロの弱さを通して、イエスこそが真の王であり、救い主であることが明らかなっています。

私たちはとんでもない失敗や罪を犯すことがあります。しかし、イエスはどんな人をも再び立たせることができます。自分で自分を変えられるなら、また自分の力によって神に喜ばれる生き方ができるなら、イエスは十字架にかかる必要はありませんでした。

「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」(Ⅱコリント7:10) とありますが、前者の代表はペテロ、後者の代表はユダです。彼らはふたりとも救い難い罪人でしたが、イエスに向かって悔い改めたか、それともイエスに心を閉ざし続けたかで、ひとりは最高の教会指導者にひとりは永遠ののろいへと分かれたのです。

私たちの人生の挫折や失敗は、神と人との交わりを豊かにする契機とされます。自分の無力さを知れば知るほど、イエスの十字架の意味が分かり、人への優しい眼差しが養われるからです。

ペテロはこれによって文字通り、「心の貧しい者 (poor in spirit)」とされました。それは謙遜の美徳を指す以前に、「霊的に貧しい人」を意味します。主の救いは、「私は大丈夫」という人ではなく、何よりも自分の救い難さを自覚した人にこそ及ぶのです。

ペテロはこの体験を通して、他の弟子たちの弱さを軽蔑する代わりに、共感できるようになったことでしょう。彼は、福音を語るたびに、自分の愚かな失敗を証ししました。彼の愚かさと、主のあわれみがセットになって、人を慰め励ましたのです。

しかも、それを聞く者は、必ず、ペテロを真の自己認識と悔い改めに導いたイエスの愛を理解します。だからこそ、ペテロの後継者たちは、彼とは反対に、命懸けでイエスへの信頼を貫くことができたのです。

つまり、彼の救い難いほどの弱さを通して、どんな人をも造り変えるイエスの真実が証しされました。あなたがどんなに不信仰でも、イエスはあなたを立たせることができるのです。