ネヘミヤ1、2章「神の恵みの御手が働くとき」

2022年1月16日

私たちの人生は、なかなか思い通りには進みません。そのような中で、多くの信仰者は、伝道者の書の3章に、「すべてには季節があり、天の下のすべての営みには時がある……崩すのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、笑うのに時がある……求めるのに時があり、失うのに時がある……黙るのに時があり、話すのに時がある……私は見た……神がすべてをご自身の時に美しくしておられるのを(新改訳「神のなさることはすべて時にかなって美しい」)と記されていることに慰めを見出しています。

エルサレムにユダヤ人たちの帰還が許されたのは紀元前538年、神殿の再建は紀元前516年です。本来なら、そのときにエルサレムの城壁も再建されているべきはずでした。そしてエズラがエルサレム来て信仰復興を導いたのは紀元前458年でしたが、少なくともそのときには城壁の再建に大きな動きがあっても良いはずでした。

ところが神がネヘミヤを遣わしてエルサレムの城壁の再建に着手させたのは紀元前445年のこと、なんとユダヤ人のエルサレム帰還から93年もたってのことでした。

しかし、ネヘミヤがペルシアの王に訴え出てから半年もたたないうちに城壁は再建されます。まるで約10年前の当教会の会堂建設の話のように、もう無理かと思われたことが急に動き出すということがあるものです。

神の御手が働くときに、ずっと閉ざされていた道が、次から次と開かれてゆくということがあるものです。

1.私は今、あなたのしもべイスラエル人の子らのために、昼も夜も御前に祈り……

ネヘミヤは、ペルシア帝国の「アルタクセルクス王」(2:1)の「第二十年」(紀元前445年)の「キスレウの月」(過ぎ越しの祭りから第九の月、現在の11、12月頃)、帝国の首都である「スサの城にいた」と記されます (1:1)。

そのとき、「兄弟の一人ハナニが、ユダから来た数人の者と一緒にやって来た」ので、ネヘミヤはこの機会に、「捕囚されずに残された逃れの者であるユダヤ人たちについて、またエルサレムのことについて」尋ねました (1:2)。

すると、彼らは「あの州で捕囚を生き残った者たちは、大きな困難と恥辱の中にあります。そのうえ、エルサレムの城壁は崩され、その門は火で焼き払われたままです」と答えました (1:3)。

エズラ4章21、23節による、ペルシアの王アルタクセルクセスは即位して間もなくユダヤ人の敵の訴えを聞いて、新たな命令を出すまでは工事を差し止めるようにと命じましたが、そのときユダヤ人の敵たちは「実力をもって彼らの工事をやめさせた」と記されたように、再建した部分までも破壊してしまったのだと思われます。

その後、王は、立場をまったく逆にして、祭司エズラに全権を与えて再建されたエルサレム神殿を中心とした信仰復興を助けました。ネヘミヤのこのときはすでにそれから13年間が経過していましたから、エルサレムの城壁の再建も進んでいると期待できたはずでしたが、実際は、なお廃墟のままに置かれていたと報告されたのです。

彼はそれを聞いて大きな衝撃を受け、「座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った」と描かれます (1:4)。その祈りの内容は以下のとおりです。

彼はまず、「ああ、天の神、主 (ヤハウェ) よ。大いなる恐るべき神よ。契約を守り、恵み(慈愛:ヘセド)をくださる方よ」と恐れをもって呼びかけながら、その対象とされるはずの民を、「主を愛し、主の命令を守る者に対して」と描きます (1:5、6)。そこでは自分たちが神の「恵み(ヘセド)」を受けるに値しない者であることが示唆されます。

その上でなお、「どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください」と訴え、自分が民を代表するかのように、「私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。私たちはあなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった、命令も掟も定めも守りませんでした」と罪を告白しました (1:6、7)。

新約でもペテロはすべてのキリスト者を指して「あなたがたは……王である祭司……です」(Ⅰペテロ2:9) と述べました。そこからプロテスタントの共通信条である「万人祭司」ということばが生まれます。

日本や日本の教会のために執り成しの祈りを献げるのは、聖職者ばかりかすべてのキリスト者に与えられた特権であり務めです。私たちは日本の教会の問題を批判する前に、ネヘミヤに倣って祈る必要がありましょう。

ただし、多くの人々は罪に関して大きな誤解をしているかもしれません。イエスは一番大切な命令は何かとの質問に対して (マルコ12:29–31)、「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神、主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのち尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と答えました。それは申命記6章4、5節からの引用でした。

イスラエルの民はかつて、エルサレム神殿で確かに礼拝を献げていましたが、同時に他の神々をも並行して拝んでいました。それは主が最も嫌われることでした。また、民の指導者たちは多くのものを献げていましたが、それは貧しい者たちを虐げ、搾取して得たお金でなされたことでした。

そのように彼らは見せかけだけの礼拝を続けた結果として、神の怒りを買い、神の神殿さえも神ご自身によって滅ぼされたのでした。

それと同じように私たち日本の教会は、第二次世界大戦中、神社の神々や天皇を拝んでいたばかりか、教会の代表は朝鮮半島にまで行って、神社参拝や天皇を拝むことを指導していました。

日本の教会の戦争責任に関して問われることがありますが、私たちは戦争に協力したという以前に、偶像礼拝の罪をこそ認め、それを反省すべきでしょう。

2.「どうか今日……この人の前で、あわれみを受けさせてくださいますように」

1章8、9節でネヘミヤは、「どうか、思い起してください」と祈りますが、それは申命記28章14節以降の「のろい」の警告の頂点としての63、64節と、それからの「回復」を描いた30章1–5節の要約とも言えます。

かつて神はモーセを通してイスラエルの民に、「あなたがたが信頼を裏切るなら、わたしはあなたがたを諸国の民の間に散らす」と警告しながら、同時に「あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとえ、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしは彼らをそこから集め、わたしの名を住ませるためにわたしが選んだ場所に連れて来ると約束されました。

ネヘミヤは神がイスラエル民に再生の機会を約束されていたことを「思い起してください」と必死にすがっています。ただ、過去に守ることをできなかった命令を再び守るということは決して容易なことではありません。

それでネヘミヤは、10節において、神の選びの原点に立ち返って、「これらの者たちこそ、あなたのしもべ、あなたの民です」と訴えます。その上で、彼らのことを「あなたがその偉大な力と力強い御手をもって贖われた」と説明します。

イスラエルの民がかつて、奴隷の地エジプトから救い出された際に、それを正当化できる理由は、神の一方的な選び以外にはありませんでしたが、同じことが神の御手によって実現することを彼は期待しています。

それで彼は驚くほど大胆に、「ああ、主よ。どうか耳を傾けてください。このしもべの祈りと、喜んで御名を恐れるあなたのしもべたちの祈りとに。どうか今日、このしもべに幸いを見せ、この人の前で、あわれみを受けさせてくださいますように」(1:10、11) と訴えます。

ここでは、「今日……この人の前で」という表現が注目されます。ネヘミヤは「今日」、ペルシアの王アルタクセルクスの前に出て、具体的な願いをしようとしており、神が王の心を動かしてくださるように嘆願したのです。

その上でネヘミヤは、「そのとき、私は王の献酌官であった」と初めて自分の立場を記します。この職務は、その日の料理に合わせてワインを選ぶとともに、毒見をする役ですから、王の身近に常にいて話し相手にもなれる政府高官です。

ところで、祭司エズラはその約12年前にエルサレムに遣わされ、ユダヤ人と異教徒たちとの雑婚の問題を正し、神の民としての純粋さを保つことができるように導いていましたが、彼は律法の教師であって、エルサレム城壁の再建という政治的、また実務的な働きは指導できませんでした。

後に城壁再建後の集会のことが、「総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと……レビ人たちは、民全体に向かって言った」(8:9) と、二人の共同の指導の様子が描かれています。

たとえば、長老教会では、牧師を宣教長老と呼び、代表執事のような立場の人を治会長老と呼び、みことばの解き明かしの働きと、実際上の教会運営に関する働きとを分離して、二人で教会を治めるようにしています。二人が謙遜に仕え合うときに、教会は調和を保って成長することができます。

自由教会にでは教会運営に関する働きを教会員全体が担う形になっていますが、ネヘミヤのように神の前に日々祈りながら政治的な判断ができる指導者がいるとき、一人ひとりの信徒が力を発揮することができます。

2章1節で、「アルタクセルクセス王の第二十年のニサンの月に」と記されますが、ニサンとは現在の3、4月頃、過越の祭りの月で当時の一年の初めでした。これは、ネヘミヤがエルサレムの様子を聞いてから約4か月間が経過したことを意味します。彼はその間、断食とともに主に祈り続けていたことでしょう。

そして今、行動の時が来ました。その時の様子が、「王の前にぶどう酒が出されたとき、私はぶどう酒を取り、王に差し上げた。それまで、私は王の前で気持ちが沈んでいたことはなかった」と描かれます。献酌官の務めは、お酒によって王の心を楽しませることにありましたから、王の前で気持ちが沈んで」いるなどということは職務怠慢になります。

その点でネヘミヤは忠実に職務を果たしていたと言えましょう。

しかし、「そのとき、王は」ネヘミヤに、「なぜ、そのように沈んだ顔をしているのか、病気でもなさそうなのに……。きっと心に悲しみがあるに違いない」と尋ねます (2:2)。これは確かにネヘミヤが意図的に悲しみを隠さなかったのでしょうが、それでもその問いかけに、「非常に恐れ」ます。なぜなら、献酌官が王の前で悲しい顔つきを見せることなど、本来あってはならないことだからです。

ただ、王のことばには彼への気遣いの気持ちが溢れていました。そこでネヘミヤも「王よ。永遠に生きられますように」(2:3) と尊敬の枕詞を用いながらも、「明るい顔をできなくてすみません」などと謝罪する代わりに、「どうして沈んだ顔をしないでいられるでしょうか」と、悲しむのが当然であるかのように答えます。

そしてその理由を「私の先祖の墓がある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに」という説明を加えます。ネヘミヤは、この機会をずっと祈り求めていたからこそ、極めてダイレクトに自分の気持ちを訴えることができました。

しかも彼はエルサレムという名を持ち出さずに、極めて個人的なことであるかのように、「私の先祖の墓がある町」と答えています。それは王の共感を得やすくするための表現です。そして、王もネヘミヤの意図を察していたからこそ、率直に、「では、何を望んでいるのか」(2:4) と問いかけます。

ネヘミヤはずっと神に祈ってきたはずですが、ここで改めて「私は天の神に祈ってから、王に答えた」と描かれます (2:4)。このような祈りは、arrow prayer(矢の祈り)とも呼ばれ、瞬間的に一つの課題を祈るものです。私たちも重大な局面に直面するとき、とっさに神に祈るという習慣を身に着けていたいものです。

そこでネヘミヤは、「もしも王が良しとされ、このしもべにご好意をいただけますなら」と王の前に徹底的に遜る態度を見せながらも、極めて直接的に「私をユダの地、私の先祖の墓のある都へ遣わして、それを再建させてください」と願います (2:5)。

そのときの反応が、「王は私に言った。王妃もそばに座っていた」敢えて記されますが (2:6)、そこには、王がくつろいでいた時であり、また王妃もネヘミヤに好意を持っていた?ことが示唆されます。

それで、王はさっそく「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか」と尋ねます。ただここではその答えを聞く前に「王はこれを良しとして、私を遣わしてくださることになった」と描かれ、その結果が「それで私は予定を伝えた」と記されます(第三版と異なる)。

これは神の御手が働いていたので、王はネヘミヤの返事を聞く前にエルサレムへの派遣を許可したという意味と解釈できます。

ただネヘミヤはそれに満足することなく、さらに続けて「もしも、王様がよろしければ、ユダに着くまで私が通行できるように、ユーフラテス川西方の総督たちへの手紙をいただけるでしょうか」(2:7) と通行の安全を保障する手紙を求めます。

そればかりか「王家の園の管理人アサフへの手紙」までも求めます (2:8)。これは王の所有の森林の管理者から材木を調達するためでしたが、その管理者の名前はアサフというユダヤ人の名前であることが興味深いことです。その材木は、エルサレム神殿の「城門の梁を置くため」、また、町の「城壁」と、ネヘミヤが「入る家のため」に用いられるものと明確に説明されます (2:8)。

ネヘミヤは王が心を開いてくれたタイミングを生かして城壁再建に必要不可欠なすべてのことを訴えます。多くの場合、話のタイミングは何よりも重要です。しかも、彼は四か月間このときのために祈り続けてきました。

この率直な願いの結果を彼は「わが神の恵み善)の御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた」と記します (2:8)。まさに「神の御手」がペルシアの王の心を動かしてくださったのです。

3.「私の神が……私の心に示しておられることを、だれにも告げなかった」

その後のことが、ネヘミヤは「ユーフラテス川西方の総督たちのところに行き、王の手紙を彼らに手渡した」と記されます (2:9)。ただ興味深いのは、それに先立って、「王は、軍の高官たちと騎兵たちを私とともに送り出してくださった」と描かれていることです。これは安全を計るためと同時に、ペルシア王の保護を諸国にアピールする効果があったと思われます。

このような王の一連の配慮のことを聞いて、「ホロン人サンバラテと、アンモン人でその部下のトビヤは……非常に不機嫌に」なりました (2:10)。そしてその理由が、「イスラエル人の益を求める者」が、王の保護のもとに「やって来たからである」と描かれます。

なお、サンバテラはこの38年後に記された古文書によると、サマリアの総督であったとのことです。また、「トビヤ」とはユダヤ人の名前なのですが、彼が「アンモン人」と描かれるのは、ユダヤ人の敵と呼ばれる異教徒との深い交わりの中で自分の富と地位を得ていたということが示唆されているのかもしれません。

さらにネヘミヤの行動が、「こうして私はエルサレムに着いて、そこに三日間とどまった。ある夜、私は起きて出て行った。ほかに数人の者も一緒であった」(2:11、12) と描かれます。これは彼が人の目を警戒しながら、密かに行動したという意味です。

そのことがさらに、「しかし私は、私の神がエルサレムのためにさせようと私の心に示しておられることを、だれにも告げなかった」と記されます。彼はまず神の導きの中で、神との対話の中でエルサレムの現状を把握しようとしていました。

またその際、「私自身が乗った動物のほかに、動物はいなかった」とも描かれます。そしてその時の彼の歩みが、「私は夜、谷の門を通って竜の泉のほう、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べた。それは崩され、その門は火で焼け尽くされていた。さらに、泉の門と王の池のほうへ進んで行ったが、私の乗っている動物の通れる所がなかった。夜のうちに流れを上って行って、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻った」(2:13–15) と記されます。

彼が視察したルートは、エルサレムの南半分のダビデの町と呼ばれた部分の城壁を北西部分から南端を経由して北東の王の池の手前まで行き、また戻ったというものです。

彼は本来、城壁を一回りしたかったはずなのですが、それもできないほどに荒れ果てていました。

ネヘミヤは主との交わりの中で、自分の目で現状を冷静に判断しようとしています。その際、「代表者たちは」、彼が「どこへ行っていたか……何をしていたかを知らなかった」と描かれます。その理由が「ユダヤ人にも、祭司たちにも、有力者たちにも、代表者たちにも、そのほか工事をする者たちにも、その時まで私は何も告げていなかった」と記されます (2:16)。

彼は人々の声以前に、主のみこころを確信することに心を集中しています。彼は再建の号令をかけるタイミングとその語り方を思い巡らしていました。なぜなら、一度、それを口にすると、後戻りすることはできないからです。

私も会堂建設のために最初から祈っていましたが、着手する数年前までは、会堂建設に潜む危険ばかりを強調した面もあり、「高橋先生は、本当に会堂を立てる気があるのか……」と疑問を持った人もあったほどでした。しかし、指導者は不退転の決意を示すとき、自分が号令をかけるタイミングと方法を慎重に見極める必要があります。

それから、ネヘミヤは彼らに、「私たちが直面している困難は見てのとおりだ。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままだ。さあ、エルサレムの城壁を築き直し、もうこれ以上、屈辱を受けないようにしよう」(2:17) と簡潔に訴えます。

そして、その現実性を根拠づけるために、「私に恵み(善)を下さった私の神の御手のことと、また王が言ったことばを彼らに告げた」と描かれます (2:18)。ここには天の王の御手のわざと地上の目に見える権力者の王の保障の二つが重ねられています。

それを聞いた民は、「さあ、再建に取りかかろう」と、即座に反応して、「この良い仕事に着手した」と簡潔に記されます。

「ところが、ホロン人サンバラテと、アモン人でその部下のトビヤ、およびアラブ人ゲシェムは、これを聞いて」、ユダヤ人たちを「嘲り、蔑んで」、「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか」(2:19) と言います。

ここには三番目の反対者が登場しますが、サンバテラはサマリヤという北部からの敵、トビヤは東のアンモンからの敵、そしてゲシェムは南のアラブからの敵です。まさに彼らはユダを取り囲む包囲網を築いています。

そして、彼らはペルシアの王の心も動かそうとしています。実際、かつてアルタクセルクセス王は、工事の差し止めを命じたことがありますから、それを思い起こさせて、ネヘミヤのことばに対する不信をもユダヤ人たちに植え付けようとしたのではないでしょうか。

それに対し、ネヘミヤは、天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。それでそのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。あなたがたには、エルサレムのうちに何の取り分も、権利も、ゆかりもない」(2:20) と答えます。

エズラ記4章2節によると、サマリア人たちはエルサレム神殿をともに建てることを提案して拒絶されましたが、それ以来、サマリア人たちはエルサレム神殿での礼拝に加えられることを願いながら、同時にそれを拒絶したユダヤ人を憎むという矛盾する気持ちを持っていました。

それに対しネヘミヤは、改めて、サマリア人たちはエルサレムに何の居場所もないということを語りました。

ネヘミヤはエルサレムの悲惨な状況を聞いて四か月間祈り続け、「神の時」を待ちました。その後彼は突然、「今日……この人の前で」という具体的な祈りをささげ、大胆な願いを王に訴えます。

そして誰にも話さずに城壁を調査した上で、不退転の決意で民衆に訴えます。そして、工事が始まってから52日間で城壁は完成します (6:15)。百年近く動かなかったことが、ネヘミヤが神に真剣に懇願した半年以内に完成に至ったというのです。そこに時を支配する神の御手があったからです。

私たちも何かをしようと思うとき、神の前での謙遜な長い祈りと、神の時に臨んでの矢のような祈りを伴う不退転の行動が大切です。それは、「神はすべてのことを、ご自身の時に美しくされる」(伝道者3:11私訳) と記されているからです。