詩篇83篇〜ウクライナ船越先生からの祈祷課題 「主のご支配は虐げられている人を通して現わされる」

ウクライナの船越宣教師ご夫妻から昨晩届いた祈祷課題です。

 いつもウクライナを覚え、オデッサでの宣教のために祈り、支え続けてくださっているみなさまに心から感謝をしています。
 ロシア軍によるオデッサをはじめとするウクライナ各都市へのミサイル・無人爆撃機での攻撃は断続的に継続されています。また、ヘルソンにおけるドローンでの爆弾投下による民間人への攻撃は継続されており、危険極まりない状況が続いています。(オレグ牧師家族は現在、他の教会員たちとともにリヴィウ州におられ、今後の働きについて模索をしています。ただ、ヘルソンがどうなるのかがまったく分からないため、しばらく時間がかかると思われます。)
 私たちは以前のようにヘルソンの街の中に食料支援物資を届けることができなくなっているため、現在は、ポサド・ポクロフスケ(ヘルソン市から約17km。アンドレイ・アーニャ牧師夫妻)に物資を届ける形でHOPEヘルソンを継続しています。(HOPEニコラエフも継続しています。)
 9月23日、トランプ大統領はゼレンスキー大統領との会談の後、「(ウクライナは)全土をもとの形で取り戻すことができる」と自身のソーシャルメディアに投稿しました。これがいったい何を意味し、今後の戦況にどう影響するのかはまだ分かりませんが、戦争終結に向かって状況が動くことを心から期待したいと思っています。
 HOPEソルジャーズも継続中です。ビタリクという帰還兵は毎週、礼拝に集うようになっています。また、タラスという帰還兵とその家族との聖書学び会も継続することができています。
 訪問する病院では毎週たくさんの負傷兵の方々に接し、彼らの体と魂の回復、救いのために祈っています。この働きを通して永遠のいのちを受け取る兵士たちが一人でも多く起こされますように、続けてお祈りください。
 ニコラエフ方面の部隊で軍務についているイリヤ兄(24歳)は、駐屯地の近くにアパートを借りて、そこで妻のクスーシャと住むことが許可されました。したがって、クスーシャ姉は10月からそちらに引っ越します。
 今まで賛美の奉仕を続けてきた彼女を送り出す寂しさはありますが、2年前の結婚式直後から、ほぼ別々の場所での生活を強いられてきた彼らが、今ようやく夫婦として一緒に暮らせ、そこで助け合い支え合いながら、家族として成長できることを心から願っています。
 また、9月25日に、マーシャ姉(20歳)は約10ヶ月間の予定でクロアチアに留学に行くこととなりました。こちらも私たちにとっては少し寂しいことですが、彼女がクロアチアで必要な訓練を受け、クリスチャンとして成長することを願っています。彼らのためにお祈りください。

 私たち(真人、美貴、勇貴、サーシャ)は9月からオデッサ市内の二つの大学で日本語を教えています。この活動を通して、大学生たちが教会に、そしてイエス・キリストとの関係へと導かれることを切に願っています。祝福をお祈りください。
 10月2日から9日まで、私たちの派遣教会(加古川バプテスト教会)から三名がオデッサに来てくれます。10月4日(土)には、私たちと日本語を学んでいる大学生を対象とした「日本文化フェスティバル」を行い、その三名が活躍してくれることになっています。
 そして10月5日(日)に、勇貴の按手礼式を行います。(この式にはオレグ牧師も参加してくれます。)この按手式が主の栄光を表す式となるようにお祈りください。
 10月5日(日)の夕方には、戦没兵士家族(女性たち)を対象としたコンサートと、食料配布、フェローシップ・カフェを行います。祝福をお祈りください。
 ウクライナという国も、また私たちの教会も、状況が激しく揺り動かされる状況が続いていますが、そのような中で、決して変わることのない主のみことばにかたく立って、神の力である福音に生かされ、その福音を力強く宣べ伝える教会として、主の希望の光を放ち続けることができるように、どうか続けてお祈りください。
 いつもウクライナ、オデッサ教会のために熱く祈り、支え続けてくださっているみなさまに心から感謝しています。みなさまの上に主の祝福が豊かにありますように、心から祈っています。
 船越真人・美貴

 創造主を信じている方々が多くいるはずの国々が、武力で問題を解決しようとし、その陰で無力な一般市民が虐げられることに心が痛みます。
 しかし、以下の詩篇83篇を含める多くの詩篇では、全能の神が正しいさばきをつけてくださることを呼び求める祈りが満ちています。主のご支配を信じるからこそ、目の前の人々の必要に答える働きに献身することができます。
 なお、ウクライナの教会のために祈るときには、下記の「イスラエル」を「ウクライナの教会」と読み替えていただく方が、意味が理解できると思われます。

詩篇83篇1–4、13–18節「こうして彼らが知りますように」

 この詩の初めは「沈黙」に関する三つの類語が用いられ、「沈黙しないでください」「耳を閉じないでください」「静まっていないでください」と立て続けに訴えてこととして訳すこともできます。
 その上で、神の「敵」が「騒ぎたち」、神を「憎む者どもが頭をもたげ」ている現実に目を向けるように訴えています (2節)。彼らは神の民に対して計略をめぐらし、神に「かくまわれている者たち」を滅ぼそうとしています (3節)
 彼らの目的はイスラエルの国を「消し去って」その名が「もはや覚えられないようにしよう」というところにありました (4節)。天地万物の創造主はご自身を「イスラエルの神」として紹介しておられましたから、その国と民が消え去ることは、その神である主(ヤハウェ)ご自身の名すらも消し去られることになるというのが著者の訴えの核心です。
 そして、5–8節ではイスラエルの親戚筋の民を中心に、無縁の周辺諸国も加わってイスラエルを包囲している様子が描かれます。そして9-12節では士師記で、神がデボラやギデオンを用いて神の民の敵を圧倒したことが思い起こされます。
 そのような中で13節では信頼を込めて「私の神よ」という呼びかけがなされます。そして、イスラエルを包囲している敵を、主ご自身が「吹き転がされる藁のようにし」、「林を燃やす火のように」、「疾風で彼らを追い」、神の嵐で「恐れおののかせ」、「彼らの顔を恥で満たしてください」と、神ご自身による圧倒的なさばきを祈り求めています。
 ただ、不思議なのは、そこで神のさばきを求める目的が、「主 (ヤハウェ) よ 彼らが御名を捜し回りますように」と記されていることです。著者は彼らが「消え去る」代わりに、イスラエルの神の御名を求めるようになることを願っています。
 確かに17節で「辱めを受けて 滅びますように」と記され、「滅び」の中心的な意味は「死ぬ」ことですが、ここでは異教徒の国の国家体制自体の滅亡を願っているのです。国は滅びてもその民は残ります。大切なのは、彼らが自分たちが頼っていた偶像の神の無力さや国家体制の危うさに気づくことです。それが「彼らが いつまでも 恥を見て 恐れおののき 辱めを受け」ることの核心です (17節)。大切なのは彼らの愚かなプライドが崩されることです。
  
 そして最後に、「こうして彼らが知りますように。その名が主 (ヤハウェ) であるあなただけが 全地の上におられる いと高き方であることを」(18節) と記されます。出エジプト記19章6節では、神がイスラエルの民をエジプトから救い出し、「十のことば」を中心としたご自身の愛の教えを与え、民と契約を結ばれた目的が、イスラエルが神にとっての「祭司の王国 聖なる国民となる」ことであると記されていました。
 このとき彼らは神に背いた結果として懲らしめを受けていましたが、その悲惨を通してさえ、創造主の栄光と人知を超えた愛を全世界の民に証しすることができるはずでした。それゆえ著者は必死に、神が「沈黙」を破り、御力を現わしてくださることを待ち望んでいたのです。
 そして今、私たち異邦人も、「王である祭司、聖なる国民」(Ⅰペテロ2:9) として召され、全世界の人々がイスラエルの神を礼拝できるように、主のみわざを証しするのです。全世界が主を礼拝する時、神の平和と繁栄(シャローム)が全地に実現するからです。


【祈り】主よ、あなたが私たちを「王である祭司、聖なる国民」として選んでくださったことを感謝します。あなたの御名が全世界で崇められるいために私たちをお用いください。