詩篇82篇〜国連における石破首相の演説 「おまえたちは神々だ」

 石破首相の退任が近づいておりますが、昨日9月24日の朝に国連で行われた石破さんの演説はとってもバランスの取れた、すばらしい内容だったように思われます。改めて石破首相のあまりにも短い首相任期を残念に思います。

 最大のポイントは、ロシアのウクライナ侵攻以来、安全保障理事会が機能していないことを指摘しての安全保障理事会の改革案です。
 それとガザ地区の悲惨をどう解決するかに関しても、それなりのバランスの取れた発言をしています。これが今後も日本の中心姿勢なのかと思います。
 それはハマスによるテロ行為を全面的に非難するとともに、現状のままでパレスチナ国家を承認することはハマスのテロ行為を認めることになりかねないという見解です。
 また日本が「核戦争のない世界」実現のために世界をリードするという発言、また国際協力を推進するために日本が中心的な働きをするというものです。 から全文をご覧いただけます。

 以下は、パレスチナ問題に関しての抜粋です。僕は日本がパレスチナが国家として機能できるように応援している働きを知りませんでしたので、参考になりました。

 我が国にとり、パレスチナ国家承認は、「国家承認するか否か」ではなく、「いつ国家承認するか」の問題です。イスラエル政府による一方的行為の継続は、決して認めることはできません。「二国家解決」実現への道を閉ざすことになる更なる行動がとられる場合には、我が国として、新たな対応をとることになることを、ここに明確に申し述べておきます。最も重要なことは、パレスチナが持続可能な形で存在をし、イスラエルと共存することであり、我が国は、二国家解決というゴールに一歩でも近づくような現実的かつ積極的な役割を果たし続けてまいります。
 我々として、パレスチナを国際社会の責任ある参画者として招き入れる以上、パレスチナ側も責任ある統治の体制を構築しなければなりません。9月12日の総会決議でも確認されたとおり、ハマスは人質をただちに解放し、武器をパレスチナ自治政府に引き渡すことを強く求めます。
 我が日本として、パレスチナの国づくり、すなわち、経済的自立と有効な統治の確立を強力に支えてまいります。我が国が支援して立ち上げたヨルダン川西岸地区のジェリコ農産加工団地では、現在、パレスチナ企業17社が300人以上の住民を雇用しており、オリーブを加工したサプリメント、食品や医薬品など、付加価値を高めた産品の輸出を行っています。経済的自立は確保していかねばなりません。
 高い使命感と能力を持った公務員なくして、国家は決して機能しません。公務員の汚職があっては決してならないのであります。我が国は、公務員の能力強化のため、これまで27年間で7000人以上のパレスチナ人に研修を実施してまいりました。これからも、パレスチナにおける人材育成を積極的に支援してまいります。
 こうした取組を進めるに当たっては、インドネシアやマレーシアといったムスリム国を含め、東南アジアの仲間の国々とも連携をしてまいります。我が国はそのための枠組みを12年前の2013年に立ち上げ、主導してまいりました。
 我が国は、アブラハム合意の拡大を通じて、中東地域全体に持続的な平和と安定をもたらそうとする構想を強く支持しています。アブラハム合意、それは、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒の共通の父祖の名前を冠した合意であります。この2年、アブラハム合意の実現に向けた歩みが停滞していることは極めて残念でありますが、このアブラハム合意の持つ価値が損なわれることは決してないと私は強く信じています。

詩篇82篇は不思議な内容で、イエスがイスラエルの指導者を神々と呼んだ内容です。そして私たちも神々と見られています。それはこの地上で神の代理として平和を広げるという責任を指しています。

詩篇82篇「おまえたちは神々だ」

 「神は……神々のただ中でさばきを下す」(1節) とは不思議な表現ですが、文脈からすると、「神々」とはイスラエルの指導者たちを指しているのは明らかです。それゆえ2、3節では、「いつまで おまえたちは不正をもってさばき 悪しき者たちの味方をするのか。弱い者とみなしごのためにさばき 苦しむ者と乏しい者の正しさを認めよ」と、彼らに対する叱責と期待が記されます。
 その上で改めて神ご自身が、民の指導者たちに向かって、「おまえたちは神々だ。みな いと高き者の子らだ。にもかかわらず おまえたちは人のように死に、君主たちのひとりのように倒れるのだ」と言われます。
 エゼキエル34章でも、「イスラエルの牧者たち」(1節) と呼ばれた者たちが羊を踏みつけていることが非難されました。つまり、神はイスラエルの指導者をご自身の代理の「神々」と呼びながら、神のお気持ちに沿って、民を治めることを期待しておられたというのです。

 イエスはご自身を、「わたしは良い牧者です」(ヨハネ10:14) と紹介しながら、「だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。わたしと父とは一つです」(同10:29、30) と言われました。
 それに対しユダヤ人たちは、イエスが「人間でありながら、自分を神としているから」(同10:33) と非難して、イエスを石打ちにしようとします。
 その時イエスはこの詩を引用して、「あなたがたの律法に、『わたしは言った、「おまえたちは神々だ」』と書かれてはいないでしょうか。神のことばを受けた人々を神々と呼んだなら……『わたしは神の子である』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは……『神を冒涜している』と言うのですか」(同10:34–36) と言われます。
 私たちは、主の前に謙遜になる必要がありますが、同時に、主から崇高な使命が与えられているということも忘れてはなりません。
 イエスが、「わたしと父は一つです」と言われたのは、ご自分を父なる神と等しくしたということではなく、神のみこころをご自分の「こころ」とされたという意味なのです。
 ユダヤ人たちは、神を口先では崇めながら、与えられた自分たちの使命にあまりに無頓着になっていました。彼らは神の「宝の民」として、世界に対して神の愛とあわれみを証しするという使命が与えられていたにも関わらず、他の世界の人々を偶像礼拝者と軽蔑し、敵視していたのです。

 この詩の8節では、作者が、「神よ 立ち上がって 地をさばいてください。あなたが すべての国々を ご自分のものとしておられるからです」と歌われますが、それは主がイスラエルの指導者を退けて、ご自身で世界を治めるということを意味します。
 神はそのためにご自身のひとり子を世に遣わされました。そしてイエスは弟子たちに向かって、「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします」(ヨハネ20:21) と言われました。
 私たちも「神のことばを受けた人々」として「神々」と呼ばれる存在です。イスラエルの指導者のように、自分の特権を悪用してはいけませんが、神から与えられた特権を忘れて、それを眠らせてもいけません。
 この神のことばを読んでいる私たちはみな「神々」と呼ばれる存在です。その自覚を持ってこの世に遣わされて生きるのです。イエスも、「平和を作る者は……神の子どもと呼ばれる」と言われました (マタイ5:9)。 


【祈り】主よ、あなたが一人ひとりをご自身の「かたち」として創造し、また私たちに「神のことば」を与えて「神々」とお呼びくださることを感謝します。それにふさわしく生きることができるように助けてください。