詩篇80篇〜宗教法人規則認証書交付感謝

 本日は私たちの教会にとっての大きな一里塚の日です。
 私たちの教会は1979年10月に東京武蔵野福音自由教会の一会堂として立川の地での礼拝を始め、その8年後に同教会の理解を得て独立運営へと移り、2013年5月に新会堂の献堂へと導かれました。
 そして本日、東京都から宗教法人規則認証書を交付していただけました。これは当教会が今まで、宗教法人としての認証を受けるのにふさわしい運営がなされてきたという大きな証明でもあります。
 間もなく登記を終えると「宗教法人立川福音自由教会」と名乗ることができ、様々な社会的な便宜を受けることもできます。ですから多くの開拓伝道を始めた牧師たちも宗教法人格を取得できることを一つの目標としてきています。
 そして、当教会でもこのタイミングで、本当にすばらしい後継者が与えられております。

 すべてが、主の圧倒的な恵みと教会に集う皆様方の誠実なご奉仕のおかげです。特に歴代の教会役員の方々に感謝をしたいと思います。
 今までの36年間の歩みを振り返り、とっても感慨深い思いが湧いております。
 ほんとうにいろんなことがありました。でも、主がそれらすべてを益に変えて来てくださいました。
 毎週日曜日に、ほんとうにみんなが楽しそうに、この教会に集っています。子どもたちも時間を忘れて、この会堂の中でくつろいでいます。
 みんなが心から喜んで主を賛美し、気を許し合っていろんなことを分かち合い、ともに祈ることができています。
 それはすべて、一人ひとりの人生を導いておられる主の驚くべき恵みのゆえです。詩篇80篇は、主の恵みを忘れて国を滅ぼしてしまったイスラエルが、主の前にへりくだり、再び自分たちの上に、主の御顔が照り輝かせてくださるようにという祈りの歌です。
 私たちも何かがあるたびにエベン・エゼルという記念碑を立て「ここまで主 (ヤハウェ) が私たちを助けてくださった」(Ⅰサムエル7:12) と、主に感謝の祈りを献げるようにと導かれております。

詩篇80:1–3、8–14節「このぶどうの木を顧みてください」

 この詩では最初に神を、「イスラエルの牧者」「ヨセフを羊の群れのように導かれる方」と呼びながら、その方に「聞いてください」と訴えます。
 さらに神の栄光の御座を思いながら神を「ケルビムに座しておられる方」と呼びつつ、「光を放ってください」と訴えています。これは神に、本来の働き戻ってくださるようにと願うことでもあります。
 さらに2節で、著者は特別にヤコブの最愛の妻ラケルの息子ヨセフの二人の子とベニヤミンの名をあげながら「エフライムとベニヤミンとマナセの前で 御力を呼び覚まし 私たちを救いに来てください」と訴えています。
 エレミヤ31章15節では「ラマで声が聞こえる。嘆きとむせび泣きが。ラケルが泣いている。その子らのゆえに」と記されていますが、それはベニヤミンの中心都市ラマにイスラエルの民が集められ、バビロンの地に向かって強制連行されたからです (同40:1)。
 その捕囚の嘆きが、マタイ2章18節ではヘロデ大王によるベツレヘムの幼児殺しに結び付けられて引用されます。つまり、この三つの部族の名にはイスラエルの悲惨が凝縮されているのです。それを思いながら作者は、眠っている神に訴えるかのように、失礼なほどに大胆に、神にすがっています。

 3節の三行詩は、7節と19節でも繰り返されます。ほぼ同じことばが三度も記されるのですから、まさにこの詩の核心を現わしたものです。「私たちを元に戻し」とは、「帰らせてください」とも訳されることばです。
 それは14節の「万軍の神よ どうか帰って来てください」とセットに理解される必要があります。バビロン捕囚は、神の栄光がケルビムの翼とともに神殿を離れてしまったことの結果ですが (エゼキエル10:18–22)、その神が神の民の真ん中に戻ってくださることで、民も約束の地に戻ることができます。
 また、「御顔を照り輝かせてください」とは、神が再びイスラエルの民に微笑みかけてくださるようにという訴えです。
 その上で三度にわたって、「そうすれば 私たちは救われます」と告白されます。
 使徒パウロはこの祈りが成就したことを理解させるために、「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか」(Ⅰコリント3:16) と訴えています。
 それは神が私たちをキリストのうちにある者として微笑んで見て、交わりの真ん中に住んでくださったことを意味します。
 
 8–11節は、イスラエルを「ぶどうの木」に見立てた神の救いの物語の要約です。神は「ぶどうの木」をエジプトの地から引き抜く一方で、約束の地から異邦の民を追い出し、そこに植えてくださいました。
 さらに神が「地を整えられた」ので、ぶどうの木は驚くほど豊かに成長し、地中海からユーフラテス川にいたるまで枝を伸ばしました。
 ところが12、13節では、神はその木の豊かな実を、他の国々に奪い取られるままにされたと描かれます。それがバビロン捕囚です。
 それを前提に14節では、「万軍の主」がこの地に帰り、天から目を注いでこの「ぶどうの木を顧み」、繁栄を回復してくださるようにと願っています。
 そして新約の福音によると、主の栄光は神の御子イエスとともに約束の地に戻ってくださったのです。祝福がそこから世界に広がり続けています。
 栄光に満ちた神が私たちの交わりのただ中に住み、「光を放って」(1節) くださるのです。


【祈り】主よ、イエスの十字架によって私たちの罪が赦され、神が私たちの真ん中に住むことができるようになられたことを感謝します。豊かなぶどうの実を生み出させてください。