出エジプト1~4章「『わたしはある』という方が、私を遣わされた」

2025年9月7日

私たちはときに、「あのときは、どうしてあのようなことを私ができたのだろう……不思議にごく自然に身体が動いた」という体験をすることがあります。それこそ「主 (ヤハウェ) 」が「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15) と約束されたことの成就です。

私たちはモーセの生涯と自分とを重ね合わせて見ることができます。主はモーセに向かって、「『わたしはある』という方が、私をあなたがたのところに遣わされた」とイスラエルの民に向かって言うように命じられました。

私たちもみな、「わたしはある」と言われる方によってこの世界に遣わされます。自分がどんなに無力でも、全能の神はこの「土の器」(Ⅱコリント4:7) を通してご自身の働きを進めることができます。

1.神は彼らの嘆きを聞き、契約を思い起こされ、ご覧になり、みこころを留められる

エジプトの王(ファラオ)がヨセフのゆえにイスラエルの民に与えたゴシェンの地はナイルデルタ東側のカナンとの境にありました。そこには世界で最も肥沃な土地が広がっており、エジプト人は羊を飼わなかったので、イスラエルの民は彼らと分かれて住み、急速に増え広がりました。

しかしエジプトはカナンの異民族の侵入に悩むようになり、同じ土地から流れてきたイスラエルの勢力が強くなることは防衛上危険になりました。そのことが1章9、10節で、「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い……いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くことがないように」と記されます。

これがいつの時代かに関しては二つの学説があります。Ⅰ列記6章1節にはソロモンがエルサレム神殿の建設を始めたのが「イスラエル人がエジプトの地を出てから480年目」と記されますが、神殿建設の開始は紀元前966年とほぼ確定できますので、それによると出エジプトは紀元前1446年になります。

ただ「四百八十年」は12世代x40年という象徴的な意味に理解でき、一世代を25年とすると1266年にもなり得ます。11節に「彼らを重い苦役で苦しめようと……ファラオのために倉庫の町ピトムとラムセスを建てた」という記述から見ると、ラムセスⅠ世がエジプト第19王朝を始めた紀元前1295年以降とも見ることができます。

またイスラエルという名が登場するのが、有名なラムセスⅡ世(紀元前1279~1213年)の次の王メルエンプタハの時期であり、またカナンに鉄器が広がり出したのが紀元前1200年ごろであるということから、多くの学者はこの後記説を採用しています。ただ、どちらに確定することもできない面があります。

「しかし、苦しめれば苦しめるほど、この民はますます増え広がった」(1:12) ばかりか、「ヘブル人の助産婦たち」(1:15) に生まれた男の子の殺害を命じても、それに従わない彼女たちに「神は……よくしてくださった。そのため、この民は増えて非常に強くなった」(1:20) と描かれています。

13、14節にはイスラエルの民に課せられた「過酷な労働」と繰り返される一方で、21節では「助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた」と記されます。前者は神の不在、後者は神の臨在のしるしとも見えますが、すべてが神のご計画の中にあることが、創世記15章にあったアブラハム契約に記されています。

そこで神は「あなたの子孫は……寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる」(13節) と言われました。そればかりか1章終わりに記された絶望的なファラオの命令、「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない」は、モーセの誕生への備えと見ることができます。

1章で繰り返し強調されているのは、「イスラエルの子らは……増えて非常に強くなった」ことです (1:7、9、20)。私たち神の民に対する迫害が激しくなることがあるとしたら、それは神の敵の側が非常な恐怖を抱いているというしるしに過ぎません。

そのような中、レビの家から男の子が誕生します。母は三ヶ月後、この子を隠しきれなくなり、パピルス製のかごに入れてナイルの岸の葦の茂みの中に置きます (2:3)。それをファラオの娘が見つけ「その子をかわいそうに思い」(2:6)、ヘブル人だとわかっていながら救い出します。

「モーセ」という名をつけたのはファラオの娘ですが、そこにはヘブル語で「(水から)引き出す」という意味と共に、エジプト語で「(王女の)息子」という意味がありました。

しかも、その際、モーセの姉の機転によって、実母が乳を飲ませ三、四年の幼児期を育てることでヘブル人のアイデンティティーが保たれたのと同時に、その後は、王女の息子として当時の最高の学問を身につけることができました。神は沈黙の中で、モーセを育てておられたのです。

このことを、後にステパノは、「モーセは、エジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにも行いにも力がありました。モーセが40歳になったとき、自分の同胞であるイスラエルの子らを顧みる思いが、その心に起こりました」(使徒7:22、23) と述べます。

そしてここでは「モーセは大人になった。彼は同胞たちのところへ出て行き、その苦役を見た」(2:11) と描かれながら、モーセはヘブル人を打っている「エジプト人を打ち殺し、砂の中に埋めた」(2:12) と描かれます。

しかし翌日、二人のヘブル人の争いを仲裁しようとしたところ、「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。おまえは、あのエジプト人を殺したように、私も殺そうというのか」(2:14) と言われます。

このとき味わったモーセの葛藤に関して、ステパノは、「モーセは、自分の手によって神が同胞に救いを与えようとしておられることを、皆が理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした」(使徒7:25) と解説しています。ここに、イスラエルの民のかたくなさによってモーセが非常な苦しみに会うということの始まりを見ることができます。

そればかりか、「ファラオはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜した」(2:15) と描かれます。その結果、モーセはシナイ半島の東隣、アラビア半島北西部のミデヤンの地に逃れざるを得なくなります。

そこで、彼が井戸の傍らに座っていたところ、ミデヤンの祭司の娘たちが羊の群れに水を飲ませに来ました。そこに羊飼いたちが彼女たちを追い払ったのを見て、「モーセは立ち上がって、彼女たちを助け」ます (2:17)。

それを喜んだミデヤンの祭司は娘のツィポラを嫁に与え、モーセはそこで家庭を築きます。モーセの正義感は、同胞からは拒絶されましたが、異教徒であるミデヤンの祭司からは受け入れられたのです。

「それから何年もたって、エジプトの王は死んだ」(2:23) と記されます。

モーセが新たにファラオの前に立つのは80歳の時ですから (出エジ7:7、使徒7:30)、エジプト王家での教育はその後の約40年間、何の役にも立たないことになります。しかも彼はそれまでの教育と無縁な、エジプト人が忌み嫌っていた羊飼いの働きによって生計を立てます。

そのような中で「イスラエルの子らは重い労働にうめき、泣き叫んだ。重い労働による彼らの叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。

神はイスラエルの子らをご覧になった。神は彼らをみこころを留められた」(2:23–25) と描かれます。これは神がそれまで無視をしていたというのではなく、新しいみわざの始まりを意味します。

神はモーセに当時の最高の教育を受けさせながら、それを捨てさせました。人間的な知恵により頼むことは、神の働きの邪魔になるからです。彼が40歳のときにイスラエルのために働き始めたとしたら、武力闘争に訴えていたかも知れません。

たとえば、私の大学時代以来の専門(経済学、証券市場)は、牧師になるために一時的に捨てる必要がありましたが、身体で覚えた感覚は生きています。それは専門家の予測は当たらないという知恵です。その後、カウンセリングの学びも積み、経験を重ねましたが、身に沁みて分かったことは「人の心は分からない」という現実です。

知識や訓練は大切で、神も人知れずモーセを訓練しました。しかしそれによって何よりも分かるのは、人間の力や知恵の限界であり、この世の知者や力ある人たちなどを恐れる必要がないということではないでしょうか。実際、モーセはエジプトの王家で育てられたからこそ、当時、神として崇められていたファラオと対等に渡り合うことができたとも言えましょう。

2.「わたしは『わたしはある』という者である」

「モーセは、ミデヤンの祭司、しゅうとイテロの羊を飼っていた」(3:1) との記述にモーセの社会的地位を知ることができます。80歳近くにもなりながら、異教徒の祭司の下の婿養子のような立場で、自分の羊も持っていません。

その彼が羊の世話をしながら、「その群れを荒野の奥まで導いて、神の山ホレブにやって来た」と記されます。すると(ヤハウェ) の使いが……柴の茂みのただ中の、燃える炎の中で彼に現れた」と描かれます。そこで彼は、「燃えていたのに柴は焼け尽きていなかった」という不思議に引き寄せられます (3:2、3)。

このことを後にステパノは、「四十年たったとき、シナイ山の荒野において、柴の茂みの燃える炎の中で、御使いがモーセに現れました」(使徒7:30) と述べています。神の山ホレブとシナイ山は同じ場所です。

モーセは羊飼いで一生を終えると思っていたそのとき、単に羊の群れを西へ西へと追って行き、見知らぬ地にやって来ました。そこで思いもよらない燃える柴に引き寄せられ、主の御声を聞いたのです。

神は、「柴の茂みの中から」、「モーセ、モーセ」と呼び、彼を御前に招いておきながら、「ここに近づいてはならない。あなたの履き物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である」(3:5) と言われます。「履き物を脱ぐ」とは、臣従のしるし、またそこを他の地とは異なる「聖なる場」と受け止めるという意味があります。

お寺のお堂が本来、裸足で入るべきなのはそのためです。興味深いことに、仏教のお寺で裸足になるという作法の根拠をネットで調べたら、出エジプト記のこの記事が示されていました。

そして主は、わたしはあなたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」(3:6) とご自身を現わします。

なお、燃える柴とこの主の自己紹介には深い結びつきがあります。「柴が燃えているのに焼け尽きない」という情景は、イスラエルの民が火の試練の中で、守られ、救い出される復活する)ことを示唆すると解釈できます。

なぜなら、イエスはサドカイ人との議論の中で、この箇所を引用されながら、「モーセも柴の箇所で、主を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、死んだ者がよみがえることを明らかにしました。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。神にとっては、すべてのものが生きているのです」と言われたからです (ルカ20:37、38)。

つまり、主は火を燃やしながら柴を生かすことで、イスラエルの父祖に対する契約を守り通す「生きている者の神」であることを証しされたのです。

その際、「モーセは顔を隠した。神を仰ぎ見ることを恐れたからである」と記されますが (3:6)、そこで主(ヤハウェ)は、「わたしは……民の苦しみを確かに見……彼らの叫びを聞いた……彼らの痛みを確かに知っている」(3:7) と言われました。主(ヤハウェ)は神の民の「苦しみを見」「叫びを聞き」「痛みを知っておられる」というのです。

そして、「わたしが下って来たのは、エジプトの手から彼らを救い出し……乳と蜜の流れる地に……彼らを導き上るためである」と言われますが、同時にそこには、「カナン人、ヒッタイト人、アモリ人……エブス人」などが住んでいると言われました (3:8)。

その上で主は、「今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ」(3:10) という使命を与えられます。

そのときモーセは、「私は、いったい何者なのでしょう」(3:11) と答えます。神は、「わたしは人知れずあなたを訓練してきた……だから……」などとは言わずに、ひとこと「わたしが、あなたとともにいる」と言われました (3:12)。

これは厳密には、「わたしはある。あなたとともに」と訳すことができ、次の主ご自身の自己紹介につながる表現です。つまりモーセにとって、自分が何者であるかを知ることよりもはるかに大切なのは、主がどのような方かを知ることであり、その主がともにおられることを知ることなのです。

その上で、当面の目的地を「あなたがたはこの山で、神に仕えなければならない」と、約束の地カナンに入る前に、シナイ(ホレブ)山において律法を与えることを示唆します。

モーセはこの召しに、まず「今、私が行くとするなら」と応答し、彼がイスラエルの民に「あなたがたの父祖の神が……私を遣わされた」と言うなら、彼らは「その名は何か」と聞くだろうという尋ね方をします (3:13)。

それに対し神は「わたしは『わたしはある』という者である」と答えられ、さらに「イスラエル人に向かって」、「わたしはあるという方が、私を……遣わされた」と告げるように命じられます (3:14)。

つまり、イスラエルの神の名は「わたしはある」なのです。これはヘブル語では「エーイェ」ですが、この一人称動詞を三人称の「彼はある」に変えると「ヤハウェ」になります。これは、神が何物にも依存することなく永遠に存在され、すべてのものはそのご支配の中にあることを意味すると思われます。

それと同時に、その方は、「苦しむ時、すぐそこにある助け」(詩編46:1私訳) とあるように、私たち一人ひとりに目を留め、その叫びに耳を傾け、誰よりも頼りになる方であることを示します。先のように、「わたしはある、あなたとともに」と訳すなら、そのことの意味が良くわかります。

これは、詩篇46篇10節で、私たちが目の前の混乱を見て心を騒がせているときに、主ご自身が、「静まれ。そして、知れ、『わたしこそ神、国々の上におり、地のはるか上に在る』と別の観点から言ってくださるようなものでしょう。

3章15節で、主(ヤハウェ)はモーセに、先の二つのご自身の紹介を合体させ、「ヤハウェ、あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神が、私をあなたがたのところに遣わされた」と「言え」と命じつつ、「これが永遠にわたしの名、代々にわたってわたしの呼び名である」であると確認されます。

私たちも、静まりつつ、この御名の意味を心の底から味わうべきでしょう。それこそが、すべての働きの前になすべきことであり、その上で、その方が自分をこの世界に遣わしておられることを知るべきでしょう。

それにしても、神は、モーセを羊飼いとしての歩みをさせることによって、ごく自然に心の底から「私はいったい何者なのでしょう」(3:11)と謙遜に言えるように彼を砕いておられました。それが神に用いられる条件でした。

私たちも日々、様々なことに遭遇し、「私なんかの出る幕ではない」と思うかもしれません。しかし、それでは目の前の人の困難や死の可能性を見過ごすことになりかねません。もし、そこに神の召しがあるならば、不可能はありません。神は自分の弱さと知恵のなさを知っている者をこそ用いられるのです。

3.神が与えるしるしと助け手

神はモーセに「行って、イスラエルの長老たちを集めて、彼らに言え」(3:16) と断固として命じます。その上で「彼らはあなたの声に聞き従う」(3:18) と保証されます。

一方、エジプトの王との対話に関しては、「ヘブル人の神ヤハウェが私たちとお会いくださいました。今、どうか私たちに荒野へ三日の道のりを行かせせ、私たちの神、(ヤハウェ) にいけにえを献げさせてください」(3:18) と言えと命じます。

しかし同時に「エジプトの王は強いられなければ、あなたがたを行かせないことを、わたしはよく知っている」(3:19) と言われます。そればかりか主ご自身が「あらゆる不思議を行い、エジプトを打つ。その後で、彼はあなたを去らせる。わたしは、エジプトがこの民に好意を持つようにする。あなたがたが出て行くとき、何も持たずに出て行くことはない」(3:21) と不思議なことを言われます。

最後に「こうしてあなたがたは、エジプト人からはぎ取りなさい」(3:22) と命じます。それはかつて主がアブラハムに「しかし、彼らが仕えるその国を、わたしはさばく。その後、彼らは多くの財産とともに、そこから出てくる」(創世記15:14) と約束された通りです。

つまり神は、モーセのことばがどのような反応を引き起こし、その結果がどうなるかも支配しておられるのです。

モーセはそれに対し、イスラエルの民の昔の反応を思い起こしながら、「ですが、彼らは私の言うことを信じず、私の声に耳を傾けないでしょう。むしろ、『主 (ヤハウェ) はあなたには現れなかった』と言うでしょう」(4:1) と言います。彼はなおも昔のトラウマを引きずっていました。

それで主はモーセに、杖を蛇に変え、また杖に戻すという第一のしるしを与えます。パロは頭に立ちあがったコブラの記章をつけています。イスラエルでは忌み嫌われた蛇は、エジプトでは人を毒で殺すことができる神聖な動物なのです。これによって、主はエジプトをも支配する神であることを示されます。

第二のしるしは、モーセの手をツァラアト(ハンセン病に似た病い)にし、また回復させことです。これは当時最も恐れられていた病いでした。その意味は、神がわざわいを起こすと同時に回復させることもできる、病いの支配者であると示すことです。

第三のしるしは、ナイルから汲んだ水を血に変えることです (4:9)。ナイルはエジプトにとっていのちの源でしたが、主はその水を死の象徴でもある血に変えることによって、主こそがいのちの源であることを示してくださいました。

この三つのしるしに共通するのは、神がいのちとともに死の支配者であるということです。それによって、イスラエルの民がモーセを信じることができるようにしてくださいました。

しかし、彼はなお、「ああ、わが主よ。私はことばの人ではありません……」(4:10) と躊躇しました。それに対し、神は「人に口をつけたのはだれか……今、行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたが語るべきことを教える」(4:11、12) と言われます。

彼はなおも「どうかほかの人を遣わしてください」と言うと、神はあなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。わたしは彼が雄弁であることをよく知っている……彼があなたにとって口となり、あなたは彼にとって神の代わりとなる」と言われます (4:13–16)。

なお、7章7節では、「彼らがファラオに語ったとき、モーセは80歳、アロンは83歳であった」と記されています。東洋的な感覚では「三歳年下のモーセが兄のアロンに対して神の代わりになる」というのは分かり難いですが、これを通して、みことばの権威が人間的な序列を超えるということが明らかになります。

それにしても、神はモーセに、「わたしはあなたとともにいる」(3:12) と言われましたが、それはこの三つの「しるし」とアロンという「助け手」によって現されました。

モーセの両親が幼子をナイル川に手放さざるを得なったとき、またモーセが40歳になって同胞のために立ち上がりながら拒絶されたとき、どんな気持ちだったでしょう。

しかし彼らが苦しまなければ、エジプト脱出を望みはしなかったでしょう。また両親がモーセを手放さなければ、エジプトの王宮で育つことはできませんでしたし、モーセが荒野で40年過ごさなければ、イスラエルの民を40年間も荒野で導く忍耐と謙遜は養われませんでした。すべての意味は、後になって分かります。

それにしても私たちは、しばしば目の前の問題に圧倒され気が動転します。その時こそ、自分の心の中で、「わたしはある」という主の名を繰り返すべきでしょう。

私たちの願う方向での問題の解決を願う前に、ヤハウェ(彼はおられる)」という方がまずおられ、その方の方法とタイムスケジュールで問題が解決されることを覚えたいと思います。

新改訳聖書で太文字の「」に出会うたびに「『わたしはある』と言われる方」と読み替えてはいかがでしょう。「神が沈黙しておられる」と思えた時、モーセの誕生とその後の成長を力強く導いておられました。神は、モーセが自分の使命を自覚したときにその失敗を見守り、しゅうとの羊を飼うことしか頭にない凡人になったときに偉大な働きへと召し出しました。神は同じことを今も続けておられます。

私たちはこの世界で様々な責任を担うように召されています。それはすべて、主から託された責任であり、そこで主は私たちに、「『わたしはある』という方が、私をここに遣わされた」(3:14) と告白するように召されているのです。