詩篇75篇〜劇場版 東京MER 南海ミッション

先日の休暇の日に、洋子とともに映画「TOKYO MER~走る緊急救命室~南海ミッション」を見てきました。
 とっても迫力のある映画で、日本版、ミッションインポシブル(不可能な使命)のように感じました。南海の火山噴火で、島の全住民の奇跡的な避難誘導と看護ですが、けが人を救うために医師自体がその不可能と思われるミッションに臨みます。噴火や溶岩の流れが驚くほどリアルに迫ってきますから、過敏な方にはお勧めできませんが、ハラハラドキドキで、アッという間に時間が過ぎました。

 それにしても多くの映画で、次々と人が死ぬような中で、「死者数ゼロ」を目指す映画のストーリーが大変な人気を博しています。今年の興行収入一位になるのかと思います。
 戦後八十年の平和を享受できている日本ならではの「死者数ゼロ」を目指すテーマです。かつての八十年前は、日本の軍隊は兵士のいのちを、鉄砲よりも安く見ていました。洋子の父が辛くも生き残れたミャンマーからインドを目指したインパール作戦では、驚くほど多くの兵士が、敵の銃弾ではなく、戦略の貧困による「飢え」で命を落としました。
 そして今も、イスラエルに隣接するガザ地区、ウクライナの地では、人間の命が驚くほど安く扱われています。
 そこに人の傲慢さの罪を見ることができます。

 そこには双方の責任があります。報道ではガザの飢餓はイスラエル政府が起こしたものかのように描かれますが、ガザ地区を実効支配するハマスが、世界の世論を反イスラエルの向けるために、飢餓状態を作り出し、それを世界に発信しているという面も決して否定はできません。
 しかし、同時に、圧倒的な軍事力を誇るイスラエルがテロ組織ハマスの殲滅を急ぐあまり、ガザの住民の犠牲を軽く見すぎているということも否定できない現実です。どちらの立場でも、人の命があまりにも軽く扱われてしまっています。
 詩篇75篇は人の命をあまりにも軽く見る傲慢な者たちへのさばきが歌われています。

詩篇75:1–10節「まことに 神こそさばき主」

 標題の「『滅ぼすな』の調べ」がどのような「調べ」なのかは不明です。
 同じ標題が詩篇57、58、59篇にも用いられ、そこでは神の偉大な救いのみわざが歌われていますが (申命記9章26節参照)、神の「公正なさばき」は「救い」と表裏一体のこととして描かれます。
 1節では「感謝します」ということばが二度繰り返されますが、これは先の詩篇で御名が侮られ、神のみわざが見えなくなっていた状況とは対照的な状況を指します。
 2節の原文 では「定めの時を決め」「公正にさばく」ということばの真ん中に「わたしが」という宣言が入っています。つまり、神は「時」と「さばき」の支配者であると言われているのです。
 そして3節は「揺らぐとき」という言葉から始まり、「地とそこにすべての者」に危機的な状況が訪れる時に、神は「わたしが」と再び宣言しながら、「地の柱を堅く立てる」と約束してくださいます。
 これは日本列島が、しばしば地震や津波に襲われながら、その災害の広がりに限界が設定されるのが神のみわざであるという意味にも理解できます。考えてみれば火山活動で生まれた日本列島にそのような災いが起きることの方が自然で、その被害が限定されるということのほうが不思議とも言えます。

 4、5節では「誇るな」「角を上げるな」「角を高く上げるな」「横柄な態度で語るな」と繰り返されます。「角」とは力のシンボルですが、これは人間たちが創造主を忘れて自分たちの働きを誇っていることへの警告です。
 東日本大震災の際の原発事故の悲劇はその現れとも言えます。私たちはそのような中で政治的な非難合戦に陥りがちですが、そこで何よりも問われるのは、この世界を支えているのはどなたかという世界観です。
 6、7節は原文の順番では、「東からでも西からでもなく、荒野からでもない、高く上げることは。まことに神こそがさばき主。ある者を低くし、ある者を高く上げられる」と記されます。
 「さばき主」とは、裁判官というよりは真に治める方という意味で、「高く上げる」とは、治める地位に上げられるという意味です。つまり、イスラエルを真の意味で治めるのは、東西や荒野からの権力者ではなく、主ご自身であるというのです。

 8節では「主 (ヤハウェ) の御手には杯があり 混ぜ合わせたぶどう酒が満ちている」と記されます。これは、イザヤ51章17節やエレミヤ25章15、27節以降では「憤りの杯」とも呼ばれるように、イスラエルを含むすべての神に敵対する勢力への厳しいさばきを示します。
 しかもここでは続けて、「主がこれを注ぎ出されると 実に すべての地の悪者どもは それを飲み かすまで飲み干す」と記されます。これは悪者どもが進んで自滅に向かうことを意味します。
 また、黙示録18章3、6節では悪徳の富の支配者「大淫婦」の「淫行のぶどう酒」に「倍のものが混ぜ合わさせ」られ、彼女自身がそれを飲んで滅びると記されます。それは株価のバブル崩壊で破産することに似ています。神のさばきこの世の富や権力に溺れるままに任せて自滅させることにも現されるのです。

 大津波による原発事故も、株価のバブル崩壊による破産も、その根本的な問題は、人間がこの世界を治めることができると思う傲慢さが招いた悲劇です。
 「神こそさばき主」ということばは、恐怖であるよりは、神に信頼する者にとっての希望の表現です。


【祈り】「神こそさばき主」ということばに、主の愛の招きが込められていることに感謝します。人間の知恵や力の限界を悟って、あなたのご支配にある平安を体験させてください。