昨日、イチロー選手の米国での野球殿堂入りの式典の際のスピーチを全部聞いて深く感動を覚えました。今、日本語の字幕付きのものも発見しました。
ぜひお時間のある時にすべてをご覧になることをお勧めします。
プロフェッショナルであることの意味と責任を改めて思い知らされるスピーチです。興味深いのは、この演説の後のインタビューが、通訳付きで行われていることです。これだけの英語ができるのであれば、僕だったら通訳なしで応答すると思うのですが、ある意味できちんとした準備なしに対応できないことは対応しないというプロフェッショナリズムかなとも思いました。
綿密な準備のうちに最高のパーフォーマンスをしたという姿勢が、何よりもこのスピーチに現れています。僕は野球のことはよく分かりませんが、スピーチの良し悪しはある程度分かるつもりです。
あらゆる準備を大切にし続けてきた最高のプロ野球選手であるからこそ、これほど配慮に満ちたスピーチとまた自分の信念を発することができたのかと思います。
スピーチに入れられている内容が、一つ一つが配慮に満ちています。無駄がなく、人々の心に寄り添う、同時に品の良いジョークに満ちています。
まさにプロのわざです。でもこれができるまでに19年間の米国での苦しい積み重なねがありました。
それに対し、日本の政治はあまりにもリーダーに対するリスペクトがなさすぎるように思います。石破首相の政治に対する評価は、それぞれ意見があって当然です。
しかし、たった十カ月で正当な手段で選ばれた政治の最高責任者を首にしようとする国がどこにあるのでしょう。
たとえばドイツの前首相のショルツさんですが、政権発足時の2021年の12月から政権基盤の弱い政権と評されてきました。そして実態としては2024年の11月にはすでに政権基盤が壊れていました。しかし、彼はもっとも基盤が弱いと言われながら三年半も首相の座に留まり、また政権崩壊が分かってからも半年間も首相の座に留まって、ドイツの国益を守り続けていました。
ドイツは、過去のヒットラー政権の誕生を許した体験から、政治権力の空白化を避ける様々な工夫がなされています。同じ政治の混乱を体験した日本の政治が、どうしてこうも戦前と同じような足の引っ張り合いばかりの政党政治を続けているのかと不思議でたまりません。
詩篇67篇には神の壮大で、気長な救いのご計画が歌われています。
この詩篇の標題は、「指揮者のために。弦楽器に合わせて。賛歌。歌」と音楽的な要素が四つも並列されています。竪琴に合わせて、レビ人たちが声を合わせて歌ったのでしょう。
1節は民数記6章24-26節のアロンの祝祷の要約とも言えます。そこでは、「主 (ヤハウェ) があなたを祝福し、あなたを守られますように。主 (ヤハウェ) が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように」と、イスラエルの民のための祝福が祈られていました。
しかし、それとの決定的な違いは、「神が私たちをあわれみ、祝福し 御顔を私たちの上に 照り輝かせてくださいますように」と、「私たち」の祝福を願っていることで、その目的が、2節の「知られるように」へとつながります。
それは、神の「道」が「地の上で」、神の「救い」が「すべての国々の間で知られる」という、神の祝福が「私たち」を通して、全世界に広げられることを意味します。神の祝福の広がりこそがテーマなのです。
神がひとりのアブラハムを召し出したとき、「あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい……地のすべての部族は、あなたによって祝福される」(創世記12:2、3) と、アブラハムが祝福の基となると約束されました。
使徒パウロはそれを前提に「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました……それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした」(ガラテヤ3:13、14) と記しています。
つまり、この詩篇には、イスラエルへの祝福の歌が、全世界の祝福の歌とされるという壮大な計画が歌われているのです。
それを前提に、3節と5節では全く同じことばが、「神よ 諸国の民があなたをほめたたえ 諸国の民がみな あなたをほめたたえますように」と繰り返されます。
たとえば、イスラエルの民から全世界に広がった有名なフォークダンスに、「マイム、マイム」がありますが、「マイム」とは「水」という意味で、その歌詞はイザヤ12章3節「あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から」のヘブル語をそのまま歌ったものです。しかもそこで「救い」のヘブル語はイェシュアで、それは主イエスを示唆しています。
それに続くイザヤ12章4節のことばは次のように訳すことができます(以下私訳)
その日、あなたがたは言う「主 (ヤハウェ) に感謝し、御名を呼べ。
そのみわざが、国々の民の間で知られるようにせよ。御名があがめられるように語り告げよ。」
つまり、水汲みのフォークダンスの歌詞は、全世界の民が主を讃美するようになるための宣教の勧めなのです。私たちの宣教の目的は、全世界の民が主を賛美することです。
そしてこの詩の6節でも、「大地はその実りを生み出しました」と、豊かな水から生まれる収穫のことが歌われます。
それがさらに、「地の果てのすべての者が 神を恐れますように」(7節) という祈りにつながります。つまり、イスラエルの収穫感謝の歌が、全世界の民が主を礼拝することの始まりとなるというのです。
なお、この詩の4節では、国々の民が主をほめたたえる理由は、主が「公平に諸国の民をさばき、地の国民を導かれるから」と歌われます。それは神の公平な支配が全世界に及ぶことを意味します。
【祈り】主よ、あなたが私たちを祝福してくださることが、私たちの回りの人々があなたを賛美することにつながりますように。主への讃美が全世界を満たしますように。