昨日、米国との関税交渉の基本が妥結しました。少なくとも日米双方の株式市場がそれを高く評価しています。
僭越ながら7月8日の小生のメール配信で、トランプ関税を過度に恐れる必要がないと書いていましたが、そのとおりになったことを嬉しく思います。
前回の参議院選挙の最大の政策論争は、物価高対策でした。それはせっかく賃金の上昇が始まっていても、物価の高騰にそれが追い付かず、実質賃金が下がり続けているからです。
ただ、これも過度に恐れる必要はありません。世界的なインフレは着実に収束の方向に向かっています。たとえば米国のインフレ率が2022年には8%を超えるところまで進み、それがバイデン民主党政権の逆風になった言われますが、そのインフレ率は今、3%以下の水準に落ち着いています。
日本の物価上昇率は米国よりもずっと遅れて上がり、今年の一月には4%の水準にまで上がりましたが、それが今は3.3%ぐらいにまで落ち着き、多くの調査機関は今年の後半には2%台にまで下がると見ています。
多くの場合、世論が危機感を持って騒ぐ頃には、多くの問題が収束に向かっているものです。そこで、過度な対策を講じようとすると、別の問題が生まれます。
たとえば、10年もの国債の金利は2019年にはマイナスになっていましたが、それが今や1.6%の水準にまで上がってきています。多くの地方の中小の金融機関は、デフレ下で資金運用のために驚くほど多くの国債を購入し続けていました。その国債価格がどんどん下がっており、多くの中小の銀行が評価損を抱えるようになっています。それは地方経済の活性化を妨げる大きな要因になってきます。
ですから、今、この時点から、国の借金を増やす方向に向かうことは、金融市場に混乱を招くことになります。金融市場の混乱は、国全体の経済を悪化させるからです。
日本銀行も日本政府も、つい6、7年前までは、デフレ脱却、2%程度の穏やかなインフレの実現のために、異常な通貨膨張政策を取っていました。
デフレ経済下では、賃上げも、製品価格の引き上げも行えず、自粛、委縮ムードが社会全体を覆い、日本の国際競争力が下がり続けていたからです。
ようやくデフレ脱却が確認され、5%の賃上げなどという、10年前から見たら夢のような世界が実現しはじめ、多くの企業が積極的な経営へと舵を切り始めています。
少なくとも日本経済は過去35年間の停滞期を脱する軌道に乗り始めています。日本に比べて米国の物価は異常に高い水準ですから、購買力平価の理屈から言えば、長期的には円高の方向に進むことは経済学的な常識と言えます。そしてそれも物価下落要因になります。
とにかく経済学的な大枠で見ると、様々な不安要因はあるものの、日本経済は少しずつ良い方向に向かっているように思われます。
ただ大切なのは、そのような経済動向に関わりなく、日々の生活の中に、神のご支配を見出し、希望を持って生きられるようになることです。それは時代を超えて体験できることです。そして何よりも、最終的な希望が、一時的な不安な状況に対する忍耐心を生み出します。
以下の詩篇66篇は歴史を支配する神への信頼の賛美です。
詩篇66篇1–12節「異邦人による、神への賛美」
51篇から70篇までダビデが書いた詩篇が続きますが、この66篇と67篇は例外です。時代的背景は分かりませんが、10–12節を見ると国家的な危機から救われた直後のことで、ダビデよりもずっと後の時代に作られたと思われます。
ただ、詩篇には時代を超え、また個人の体験を超えた神のみわざの普遍的な真実が描かれていますので、時代や作者にこだわり過ぎる必要もありません。12節までは「私たち」が主語になっています。
1、2節では三行に渡って、「喜び叫べ」「ほめ歌え」「栄光を帰せよ」という会衆に対する讃美の呼びかけが記されます。なお3、4節は、「神に申し上げよ」という促しから始まり、神の「みわざ」の「恐ろしさ」「偉大な御力」のゆえに、神の敵も含めた「全地」が、神を「伏し拝み」讃美すると言われます。
私たちは1、4節の「全地」が「喜び叫び」、「全地」が神を「伏し拝」むという途方もない情景をまず思い浮かべる必要があります。人々が思い描く神は、ときに、限られた信仰者にとっての小さな神となりがちです。
ただ、5、6節では、「さあ、神のみわざを見よ」から始まり、神がイスラエルの民を、紅海を分けてエジプト軍から救い出し、またヨルダン川をせき止めて約束の地に導き入れたという具体的なみわざが思い起こされます。
神が全世界を「統べ治め」ておられることは、イスラエルの上に現わされた具体的なみわざから明らかにされます。
8節で「国々の民」に向かって「私たちの神をほめたたえよ」という訴えがなされます。イエスの時代の多くのユダヤ人は、自分たちの信仰を守ることに熱心なあまり、異教徒たちを軽蔑していましたが、神がイスラエルの民を特別に選んで「契約」の民とされたことの目的は、彼らを神にとっての「祭司の王国」とするためでした。
それは、全世界の民を唯一の創造主のもとに導き、全世界の人々がイスラエルの神を礼拝できるように祭司としての務めを果たすことでした。
今その使命が、イエスを信じるユダヤ人を含む全世界のキリストの教会に受け継がれています (Ⅰペテロ2:9)。私たちの宣教の目的は、全世界の民が心からイスラエルの神を賛美できるようになることです。
続けて、「神のほまれをたたえる声を響き渡らせよ」(8節) とありますが、現在の日本で、多くの未信者がゴスペル賛美に引き寄せられています。ときには未信者のグループの方が元気だったりします。信仰者はその現象を喜び、歌っている内容を積極的に紹介すべきでしょう。
その逆に10–12節では、イスラエルが異教徒たちの攻撃を受け、敗北し、途端の苦しみを受ける様子が歌われます。しかし、それはイスラエルの民の信仰を「銀を精錬するように」(10節) 練り直すためでした。
異教徒たちに勝利を与えてイスラエルの民の「頭をまたがせ」たのは、イスラエルの神ご自身のみわざでした。そしてそこには、「豊かな所へ導き出す」(12節) という祝福の計画がありました。
私たちの信仰も神によって「試され」「練られる」必要があります。私たちが会う様々な試練は、神が私たちを真の礼拝者、賛美の民として整えるためです。
それは、神が私たちのために立てておられる計画は、「わざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11) と記されているとおりです。試練が真の賛美を生みます。
【祈り】主よ、あなたが全地の人々をご自身への讃美に招いておられることを感謝します。様々な苦しみに会うことさえ、真の賛美を生み出す契機とされると理解させてください。