詩篇60篇〜ウクライナ船越先生の宣教報告

以下はウクライナの船越先生ご夫妻からの最新のお知らせ、祈祷課題です。

 いつも、ウクライナを覚え、祈り続け、オデッサ宣教のために祈り支え続けてくださっているみなさまに本当に心から感謝しています。私たちはみなさまの忍耐と愛の祈りに本当に励まされ、支えられています。本当にありがとうございます。
 ロシア軍によるウクライナの各都市へのミサイル・無人爆撃機での攻撃はさらに烈度を増しています。ロシアはなりふり構わず一般市民を攻撃し続けています。オデッサもほぼ毎日、攻撃にさらされています。
 ウクライナ東部でのロシア軍地上部隊も攻勢を強めています。7月1日にロシア軍は「ルハンスク州を完全制圧した」と発表しており、さらなる進軍を図っています。
 一方、6月30日、ウクライナのゼレンスキー大統領は「対人地雷禁止条約」からウクライナが脱退することを表明しました。実は「対人地雷禁止条約」にはロシアは加盟しておらず、ウクライナは加盟していたのですが、今回、ウクライナが脱退するということは、これからロシア地上軍がさらに東部で進軍してくるのを地雷で阻止しなければならなくなるからで、この脱退表明はウクライナが地上戦の長期化を覚悟していることを物語っていると思われます。
 ロシアがやめない限り、この戦争は終わりません。しかし、ロシアはやめる気配を見せていません。6月20日にプーチン氏はサンクトペテルブルグ経済フォーラムの場で「ロシア人とウクライナ人とは一つの民族であり、その意味でウクライナ全土がロシアのものだ。」「ロシア兵が足を踏み入れた場所はロシアの領土だという古くからの決まりがある。」などと発言し、戦争継続の意思を改めて強調しました。
 そんな中、それを受けて立たなければならないウクライナでは兵士不足が深刻化しており、徴兵がさらに厳しくなっています。私たちの周りでも、突如「徴兵委員会」に連行されるケースが増えています。男性たちとその家族はロシアからの空爆だけではなく、徴兵の可能性にも怯えながら日々を送っている状態です。
  計り知れないストレスです。一日も早くロシアが侵略を思いとどまり、自軍を撤退させ、ロシア兵たちもウクライナ兵たちも家族のもとへ無事に帰ることができることを切に願います。
 オデッサから派兵されている兵士たちの中からも日々、死傷者が出ています。2022年に発足した「戦没兵士家族(女性)の会」は登録人数が日々増えています。6月8日、その中から50名を私たちの教会に招待し、支援物資の提供と交わりの会を開きました。参加した女性たちにとって励ましの時となりました。今後もこの会を継続していきます。この中からイエス・キリストの愛に触れられる女性たちが起こされるようにお祈りください。
 病院での負傷兵訪問の活動も継続中です。私たちが信頼関係をきずいている兵士たちを教会に招いて、より親密な交わりが持てるように様々な工夫をしています。ぜひ、祝福をお祈りください。
 迷彩ネットを作る会も継続中です。
 HOPEヘルソン(オレグ牧師家族が牧会するヘルソン教会へ支援物資を届ける働き)も継続中です。ヘルソンはますます危険になっています。ドニプル川東岸に陣取っているロシア兵たちは小型ドローン(FPVドローン)に爆弾を吊るして対岸のヘルシン市に飛ばし、一般市民やボランティアの車を狙って攻撃しています。多くの人々が被害に遭い、オレグ牧師家族もすでに何度も攻撃の対象となってきました。それでも彼らはそこにとどまって宣教と牧会の働きを続けています。彼らの守りと働きのためにお祈りください。
 HOPEニコラエフでは、夏の間、子どもたちのためのさまざまな活動が計画されています。
7月7日から11日にはマリフカ村で、14日から18日まではイングールカ村で、21日から25日まではノヴァ・ウクラインカ村で子どもキャンプを行います。どうか、働き人たちが霊的にも肉体的にも強められ、参加する子どもたちがイエス・キリストを知る喜びで満たされるキャンプとなりますように、お祈りください。
 オデッサ教会の日曜礼拝も祝福されています。お祈りに感謝します。
6月1日はウクライナでの「子どもの日」であったため「子ども祝福礼拝」を行いました。
 6月15日は「父の日礼拝」を行いました。多くの父親たちが兵役についている中で、複雑な気持ちとなってしまう「父の日」でしたが、すべてのお父さんたちが守られ、主の恵みによって父としての使命をまっとうできるように主の祝福を祈りました。
 今年1月から日曜礼拝で続けてきた『福音とは何か』シリーズを完了しました。教会がどのような状況に直面したとしても、いつもその土台が確かな福音であることを教会全体でしっかりと確認、確信しました。7−8月の日曜礼拝では、勇貴、アルチョム兄、ジェーニャ兄が交代で説教の働きをつとめます。どうか祝福され、豊かに用いられますように、お祈りください。
 水曜集会では「ダニエル書の学び(1−6章)」を続け、6月に終了しました。7−8月の水曜集会では勇貴がヨシュア記の学びを導きます。祝福をお祈りください。
 家内と私は6月20日に一時帰国しました。8月4日に日本を出発します。この間、関西、関東、九州を中心に宣教報告の働きをさせていただきます。どうか、宣教報告の働きが祝福され、ウクライナのことを忘れずに忍耐と愛をもって祈り支えてきてくださっている日本の兄姉の励ましとなることができるように、お祈りください。
 愛するみなさまの尊いお祈り、愛と支えに心から感謝しています。みなさまの上に主の祝福が豊かにありますように、心から祈っています。
 船越真人・美貴

以下は、ウクライナの悲惨の中での状況に結びつく詩篇の祈りです。

詩篇60篇1–12節「あなたの愛する者が助け出されるために」

 標題はサムエル記第二8章13、14節、また歴代誌第一18章12、13節を指しているように思われます。その両方で、「このように主 (ヤハウェ) は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた」と記されています。その直前のサムエル記第二7章では、「王が自分の家に住み、主 (ヤハウェ) が周囲のすべての敵から守って、彼に安息を与えられたとき」、ダビデが神殿を建てたい願ったことに対し、主はダビデの王国は「とこしえに続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」と約束されています (同16節)。
 つまり、この時期はダビデの絶頂期なのです。それに対しこの詩の内容は悲惨に満ちています。標題の最後の「ときに」というヘブル語は多様な解釈が可能ですから、この詩がこの時期に記されたはずと考える必要はありません。そのときの栄光を思い出しながら、それと対照的な現在の苦しみを、神の御約束を思い起しながら歌ったと考えるべきでしょう。
 「神よ。あなたは私たちを拒み……怒って、私たちから顔をそむけられました……御民に苦難をなめさせられ……よろめかす酒を……飲ませられました」(1–3節) という表現は、主が「憤りのぶどう酒の杯」を、周辺の国々ばかりかエルサレムにも飲ませたことを指していると理解すべきでしょう。著者は、エルサレムがバビロン帝国に滅ぼされた中で、ダビデへの約束がどこに行ってしまったのかと問いかけているのだと思われます。
 ただ、5節で著者は自分たちのことを、「あなたの愛する者」(複数形)と呼び、「あなたの右の手で救ってください」と祈っています。その上で6–8節は、「神は聖所から告げられた」という表現でエルサレム神殿の再建が示唆され、同時にかつてのダビデ王国の支配地全体を思い起しつつ、それらが神によって回復されることが約束されます。
 9節では特に、「だれが私をエドムにまで導くのでしょう」と、エドムに対する勝利が課題になっています。たとえば詩篇137篇では、捕囚の民がバビロン川のほとりでシオンを思い出して泣きながら、「主よ、エルサレムに日に、『破壊せよ、破壊せよ、その基までも』と言ったエドムの子らを思い出してください」(同7節) と歌われていますが、エルサレムの回復と、エドム(ヤコブの兄エサウの子孫)に対する神の復讐を求める嘆願は切り離せない関係にあります。
 そして、この10節では、「神よ。あなたご自身が私たちを拒まれなのではありませんか」と、エルサレムの破壊は神がご自分の民を拒まれたしるしであると訴えます。
 そして、11節では改めて、「どうか、敵から私たちを助けてください。まことに、人の救いはむなしいものです」と記されます。著者は、神の超自然的な救いを求め、12節では最後に、神にある最終的な勝利が歌われています。
 なお上記の5–12節は、108篇6–13節でも同じように繰り返されますが、両者ともに、主がダビデへの約束を守ってくださることが歌われています。それはたとえばエゼキエル36–48章全体を貫くテーマでもあります。そしてイエスこそはご自身の十字架と復活によって真の神殿を再建し (ヨハネ2:19)、目に見える約束の地を越えた全世界に広がる神の支配を完成してくださる真の「ダビデの子」です。ダビデに対する約束が成就することが、全世界が復活のイエスのご支配に服することにつながるのです (詩篇2:8)。


【祈り】主よ、あなたのダビデに対する約束がイエスにおいて成就することを感謝します。どうかあなたの救いのご計画の大きさを理解できるよう、私の霊の目を開いてください。