ローマ人への手紙15章14〜33節「平和の神の福音」

2025年6月29日

ローマ人への手紙15章14–33私訳と関連聖句

イスラエルの民は、全世界に創造主なる神ヤハウェを紹介する「祭司の王国」となるために選ばれました。ユダヤ人は宣教師となるはずでした。

一方、異邦人クリスチャンはユダヤ人から伝えられた聖書を自分たちへの使信と受け止めて神の民となりましたが、自分たちがユダヤ人の父祖のアブラハム、ヤコブから始まる神の民に「接ぎ木された」(11:24) 者であるという歴史的な事実を覚え続ける必要がありました。

ユダヤ人と異邦人が一つの民とされたのがキリスト教会です。その基本が、全世界の民族に広げられます。「平和の神の福音」とは、私たちが民族の枠を超えて「互いに愛し合う」ということの中に表されるのです。

1.「異邦人を従順にするために、キリストが私を通してなしてくださったこと」

15章14–16節は次のように記されます

14 私の兄弟たちよ、あなたがたに関してこの私は確信しています。あなたがたが善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うことができることを。
15 ただ私は部分的にかなり大胆に書きました、それはあなたがたにもう一度思い起こしてもらうためです。それは神が私に与えてくださった恵みをとおして、
16 異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となるためでした。私は神の福音のための祭司の務めを果たし、異邦人を神に喜ばれるささげものとしています、それは聖霊によって聖なるものとされたものです。

パウロはローマ教会の人々の福音に対する誤解を一部正したいと願いながらこの手紙を書いているのですが、改めて彼を信頼しているということを、「この私は確信しています……」と書きます。そこには、この手紙の内容が彼らに十分に理解され、それが「互いに訓戒し合う」ために健徳的に用いられるという信頼があります。

15節で「ただ私は部分的にかなり大胆に書きました」と記しています。それはたとえば、「それなのに、あなたはどうして、自分の兄弟をさばくのですか。またあなたはどうして自分の兄弟を見下すのですか。それは、すべての私たちが神のさばきの座に立つことになるからです」(14:10) と厳しく訴えたことを思い起こさせます。

そこではユダヤ人クリスチャンが、律法に反して肉を食べる異邦人クリスチャンを「さばいて」いることを、また異邦人クリスチャンが食物律法から自由になれないユダヤ人クリスチャンを「見下している」ことを問題にした記述でした。

そのことをパウロは続けて自分がユダヤ人クリスチャンとして祭司の務めを果たし「異邦人を神に喜ばれるささげもの」としていると大胆に述べます。

12章1節では「あなたがたのからだを献げなさい、神に喜ばれる聖なる生きたささげ物(いけにえ)として」と記されましたが、そこでの「ささげもの」とは「いけにえ」とも訳され、ここでの「ささげもの」は献げるという行為に焦点を合わせた異なったことばです。

ヘブル10章5、10節では「いけにえやささげものを、あなたはお望みにならないで、わたしに、からだを備えてくださいました……このみこころにしたがって、私たちは聖なる者とされています。それは、イエス・キリストのからだが、ただ一度、献げられたことによるのです」と記されました。

異邦人がキリストの十字架によって聖なる者とされ神に仕えていることの中にパウロの働きの実を見ることができます。それこそ聖霊の働きの現れです。

15章17–19節は次のように記されています

17 ですから私はキリスト・イエスにあって誇りを持っています、それは神に向かうことです。私は敢えて話そうとは思いません、
18 異邦人を従順にするために、キリストが私を通してなしてくださったこと以外のことを。それはことばと行いを通して、
19 しるしと不思議を行う力において、神の御霊の力においてのことです。このようにして私はエルサレムから始めて、イルリコに至るまでの巡回においてキリストの福音を満たしてきました。

パウロは自分の使徒としての働きを、「すべての異邦人(あらゆる国の人々)の中に信仰の従順をもたらすためです」(1:5) と描いていましたが、ここでも自分の「誇り」とできる働きを異邦人を従順にするために、キリストが私を通してなしてくださったこと」と描いています。

しかもその際、彼の働きが実を結ぶことができた秘訣には「ことばと行い」ばかりか、「しるしと不思議を行う力において」という超自然的なことが伴っていました。それこそ「神の御霊の力において」のことでした。

しかも彼は宣教の範囲を「エルサレムから始めて、イルリコに至るまで」と描いています。「イルリコ」とは、ギリシアの西北に位置するアルバニア近辺のことで使徒の働きには出ていませんが、パウロがアドリア海を挟んでのイタリアの対岸まで「キリストの福音を満たしてきた」と、「キリスト・イエスにある誇り」のうちに聖霊の働きの実として述べていることです。

2.「彼のことを……聞いたことのなかった人々が悟るようになります」

15章20、21節は次のように記されます

20 このように私はキリストの名がまだ語られていないところに福音を伝えることを切望しているのは、ほかの人が据えた土台の上に建てないためです。
21 それはこう書かれているとおりです、「彼のことを告げられていなかった人々が見ることになります。また聞いたことのなかった人々が悟るようになります。」

パウロは、「キリストの名がまだ語られていないところに福音を伝えることを切望している」と記しますが、その理由は、「ほかの人が据えた土台の上に建てないためです」と他の使徒の福音の強調点との矛盾が感じられることを避けるような表現になっています。

ガラテヤ人への手紙2章11節以降で、パウロは、ペテロ(ケファ)がアンティオキアに来たとき「面と向かって抗議しました」と、そこに軋轢(あつれき)があったことを正直に記しています。それはペテロが「異邦人といっしょに食事をしていた」にも関わらず、「ヤコブのところから」というエルサレム教会から食物律法を大切にするユダヤ人クリスチャンが来ると、割礼派の人々(食物律法を守る人々)を恐れて異邦人から身を引き、離れて行った……バルナバまで、その偽りの行動に引き込まれてしまいました」という福音理解の違いのようなものがあったことを描いていました。

ですから、パウロが「食べ物のために神のみわざを台無しにしてはいけません」(14:20) と非難していたことに近いことがアンティオキアで起こっていたことが描かれています。

残念ながら多くの人は、非本質的な部分での福音理解の違いに目を向けてしまいがちで、その結果として「私はパウロにつく」「私はアポロに」などという分派ができます。パウロはそのような事態を何よりも嫌っていたのででしょう。

そのような中でイザヤ52章13節~53章の「主 (ヤハウェ) のしもべ」の預言のことばが、「彼のことを告げられていなかった人々が見ることになります。また聞いたことのなかった人々が悟るようになります」と引用されます。これは当時も今も、旧約聖書からキリストを知る際の中心テキストです。

そこではまず、「見よ。わたしのしもべは 栄える。高められ、上げられ、はるかにあがめられる」という主 (ヤハウェ) のしもべの復活が預言されますが、同時にすぐに「多くの者があなたを見て唖然とするほどに、その見栄えも失われて人のようではなく、その姿も人の子らと違っていたのだが……。そのように、彼は多くの民を驚かせ、王たちはその前で口をつぐむ。

彼らは、まだ告げられなかったことを見、まだ聞いたこともないことを悟るからだ」と記されます。そこからさらに続けて、「だれが私たちの聞いたことを信じたか。主 (ヤハウェ) の御腕は、だれに現されたのか」(同53:1) と記されますが、これも10章16節でパウロが引用したことばです。

それに続いて、キリストの姿が「見とれるような姿も、輝きも彼にはなく、私たちが慕うような見栄えもない。蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で 病(弱さ)を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。

まことに、彼が負ったのは私たちの病(弱さ)、担ったのは私たちの悲しみ(痛み)……しかし彼は、私たちの背きために刺し通され、私たちの咎(とが)のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちの平和 (シャローム)、その打ち傷が私たちの癒しとなった……主 (ヤハウェ) は、彼に負わせた、私たちみなの咎(とが)を」と記されていました。

私たちは非本質的なことでの福音理解の違いに目が向かいますが、すべてのクリスチャンはイエスこそがイザヤ書52章13節から53章に預言された「主 (ヤハウェ) のしもべ」であることにおいて一致できます。

これほど明確にキリストの十字架の意味が記されている箇所もなく、キリスト預言の核心と言えましょう。

さらに15章22–24節は次のように記されています

22 こういうわけで私はあなたがたのところに行くことを何度も妨げられてきました。
23 しかし今は、これらの地域に私は場所を持っていません。しかし私は望み(憧れ)を持っています、あなたがたのところに行ってしばらく滞在することを。
24 そして望んできました、イスパニアに行く途中で、あなたがたのところに立ち寄ってお会いし、まずあなたがたとともにて、(心が)満たされてからあなたがたところから、かの地に送り出されることを。

パウロのローマ行きの計画が「何度も妨げられてきた」(22節) ことは、1章13節でも述べられていました。ただそこでは、パウロがローマでも「福音を伝える」ことを「切望している」と記しましたが、ここでは「ほかの人が据えた土台の上に建てない」(15:20) という原則を受けて、ローマでの滞在の目的を、「イスパニア(スペイン)に行く途中で……(心が)満たされてから……かの地に送り出されること」と、スペイン伝道にローマから送り出されることを願うという方向に変えられています。

それはローマ教会の土台を築いた人への遠慮の故と言えます。カトリックではローマ教会がペテロによって土台が据えられたと言われますが、それを示す明確な根拠があるわけではありません。

エルサレムから流れて行ったユダヤ人クリスチャンがローマで集会を開き、その後、ローマ皇帝の命令でその地から退去させられ、このときに再びユダヤ人が戻って来ていたということだと思います。

とにかくパウロは、スペインでの宣教の意図を明確にすることでローマの人々との交わりを築こうとしています。どの時代にもクリスチャンが一致できることの基礎に未伝の地への宣教協力を含めた世界宣教のヴィジョンがあります。パウロはこの手紙を紀元57年頃記していますがその時点でスペイン伝道というヴィジョンが明確にありました。

それが実際に行われたかどうかは不明ですが、パウロが主の御霊によって動かされているなら、このような計画が無に帰することはないとも思われます。使徒の働きはパウロが皇帝の前での裁判を受けるためにローマに護送され、そこで福音を語ることができたと記されることで終わります。

一方、伝統的な伝説によればパウロはその後釈放され (紀元63年)、スペインにまで伝道し、紀元67年に皇帝ネロのもとで殉教の死を遂げたということですが、確実なところは分かりません。

3.「霊的なものにあずかったのですから、肉のものにおいて彼らに奉仕する負い目(義務)があります」

15章25–27節は次のように記されています

25 しかし今は、私はエルサレムに行きます、それは聖徒たちに奉仕するためです。
26 それは、マケドニアとアカヤの人々が喜びとしたからです、エルサレムにおける聖徒たちの貧しい人々のために分かち合い(コイノニア)をすることを。
27 彼らは喜んでしたのですが、その人たちへの負い目(義務)もあります。異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、肉のもの(物資的なもの)において彼らに奉仕する負い目(義務)があります。

パウロはスペイン伝道への熱い思いを分かち合いながら、当面はエルサレムに向かう必要を強く覚えています。それは「聖徒たちに奉仕するため」と言われます。

パウロはこの手紙を書く約10年前に「ガラテヤ人への手紙」を記し、そこではエルサレム教会の「割礼派」の人々との確執があったことが描かれます。そこでパウロは、「ペテロが割礼を受けいている者への福音を委ねられているように、私は割礼を受けいていない者への福音を委ねられていることを理解してくれました」(ガラテヤ2:7) と、彼らの理解を得られたことを記しています。

一方その際に、「ただ、私たちが貧しい人たちのことを心に留めるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めて来ました」(同2:10) とも書いています。

なお、それはパウロが回心後に最初のエルサレム訪問をしてから約10年間が経過してからのことでした。このときは全世界的な飢饉の中で、特にエルサレム教会に飢えが広がっていることを聞いて、ギリシア人を中心に生まれたアンティオキア教会からの支援物資をバルナバとパウロが届けるという働きをした中での記述でした。

その頃から、エルサレム教会がギリシア人クリスチャンによって支えられるという構図が始まっていたのかと思われます。

26節の「マケドニアとアカヤの人々が喜びとした……エルサレムにおける聖徒たちの貧しい人々のために分かち合いをすることを」の背後に、コリント第二の手紙8章があります。

その1–4節では、マケドニアの諸教会が極度の貧しさと試練の中にありながら、エルサレムの「聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました」と記されます。

これはピリピ教会を中心に起こったことでした。彼らはパウロのギリシア伝道を初期から応援しましたが (ピリピ4:15)、その思いはエルサレムの聖徒たちにも向けられていました。昔から貧しい人々こそが、他の貧しい人々の必要を誰よりも敏感に察知するという現実があります。それこそ真の意味での分かち合い(コイノニア)の心です。

しかしパウロは27節で「彼らには……その人たちへの負い目(義務)もあります。異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、肉のもの(物資的なもの)において彼らに奉仕する負い目(義務)が」という露骨な勧めをします。

異邦人がキリストの福音を受けることができた背後には、イスラエルの民がアブラハム以来、困難のただ中で聖書の記述を守り、伝え続け、その福音を味わってきたという歴史があります。ユダヤ人なしには福音は私たち異邦人のもとには伝わりませんでした。

しかも最初のキリストの弟子たちはみなユダヤ人でした。私たちは忘れがちですが、全世界のキリスト教会は、ユダヤ人クリスチャンの教会から生まれているのです。エルサレム教会の一部が最初はパウロの異邦人伝道の方法に納得していなかったという事実があったとしても、ユダヤ人から生まれたエルサレム教会の働きなしに、全世界のキリスト教会は生まれなかったのです。

福音は確かに何の見返りもなく、ただで伝えられますが、それを伝えた人の背後には全世界的な教会の働きがあります。ですから私たちも目に見える教会の財的な必要に答える必要があります。

パウロが「霊的な」恵みへの応答として「肉のものにおいて」の応答を求めるのは現実的なことです。パウロは先のコリント人への手紙では、「キリストの恵み」を、「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それはあなたがたがキリストの貧しさによって富む者となるためです」(同8:9) と、献金によって貧しくなるほどの犠牲を勧めています。

しかし同時に「今、あなたがたのゆとりが彼らの不足を補うことは、いずれ彼らのゆとりがあなたがたの不足を補うことになり、そのようにして平等になる」(同8:14) と記します。これはエルサレム教会がコリントの教会の応援に感謝することで、エルサレムとコリントの教会が対等の立場に立つことを意味します。

私たちは福音宣教において与える側と与えられる側という区別を、現実的なお金のやり取りということを通して超えることができます。私たちはお金を通して平等になるのです。

パウロはさらに28、29節で

28 それで私はこれを済ませ、この果実を彼らに証印してから、あなたがたのところを通して、イスパニアに行くことにします。
29 私は知っています、あなたがたのところに行くときは、キリストの祝福に満ち溢れて行くことになることを。

と記しています。

パウロにとっては未伝の地のスペインに福音を伝えることは最大のヴィジョンでしたが、その前にエルサレムの人々に自分の手でギリシア人から集めた「果実」をユダヤ人クリスチャンに届け、確かに彼らがそれを喜んで受け止めたという「証印」として確認する必要を強く感じていました。それはパウロの異邦人伝道をエルサレムのユダヤ人クリスチャンが正しく評価する鍵になるからです。

しばしば、自分と違う文化圏の人を自分の仲間として受け入れるためには「肉のもの」と呼ばれる物質的な贈り物が役に立つということがあります。実際にエルサレム教会のユダヤ人は、パウロ自身によって届けられた多額の義援金を受けて、飢えた人々を抱える自分たちの必要が満たされ、異邦人教会への感謝の思いが沸き起こり、パウロの伝道を理解できたことでしょう。

そして最後に、30–33節ではパウロの切実な祈りの課題が次のように記されています

30 あなたがたにお願いします、兄弟たちよ。私たちの主イエス・キリストを通して、また御霊の愛を通して、私のために神に祈ることにおいて、私とともに力を尽くすことを。
31 それは私がユダヤにいる不信仰な者から救い出されるため、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに喜んで受け入れられるためです。
32 それによって、神のみこころを通して、喜びをもってあなたがたのところに行き、あなたがたとともに憩いを得ることができます。
33 平和の神があなたがたすべてとともにいてくださいますように。

そこでパウロはまだ会ったことのないローマ教会の人々に、自分のための特別な祈りにおいて「力を尽くす」ことを懇願しています。

その第一の理由はパウロが当時のユダヤ人から、聖書の教えを歪める異端者として敵視され、いのちを狙われていたからです。

また第二の理由は、エルサレム教会の割礼派の人々から受け入れてもらえるか不安だったからです。しかし、パウロにとって異邦人とユダヤ人グリスチャンが一つとされることは、「キリストのからだ」である教会にとって最も大切な基礎となることでした。

当時は、現在のような電子送金や小切手のようなものもありませんでしたから、ギリシア人クリスチャンから集めた募金は、実際の金銀として運ぶ必要がありました。それ自体が危険なことでしたし、パウロは自分がエルサレムに行ったらユダヤ人から殺される危険を覚悟していました。

しかし、ユダヤ人とギリシア人クリスチャンの和解のためなら、彼は自分のいのちを犠牲にする覚悟ができていました。そしてパウロの使命を果たすことで初めて、「喜びをもって」ローマ教会を訪ね、またそこでの交わりを通して「憩いを得て」、喜んでスペイン伝道に向かうことができると期待していました。

そして最後に「平和の神」の祝福をお祈りしていますが、そこにはまさにユダヤ人と異邦人を結びつけるという意味での「平和が意図されていました。キリストにあって私たちが一つとされることこそ、「平和の神」の救いの現れです。

そしてここで興味深いのは、そのために「肉のもの」と呼ばれるお金が、何よりも効果を発揮すると言われていることです。お金は極めて肉的なものですがその使い方に私たちの信仰の内実が現わされることを忘れてはなりません。

パウロはスペイン伝道のヴィジョンをローマ教会に分かち合いながら、その前に、エルサレム聖徒たちにギリシア人教会から集めた金銀からなる献金を自分で抱え、エルサレムで死の危険が待っていることを覚悟しながら敢えてそこに向かいました。

彼はそのようなお金のやり取りが、キリストのからだである教会を一つにするために有効であることをわきまえた現実主義者でした。

私たちもお金の使い方が問われます。霊的な恵みを受けたことへの感謝を肉のものというお金で現わすという勧めは、驚くほど現実的です。