詩篇55篇〜二宮尊徳

 この季節は紫陽花が美しい季節です。ふとお天気ニュースで小田原城の紫陽花が見頃らしいと聞いて、久しぶりの丸一日の休暇を取って、洋子とともに小田原城を初めて見学しました。確かに美しいお花を見ることができました。
 その後、雨が降る中で、小田原駅と反対方向に迷い出たら、二宮尊徳を祭る報徳神社に突き当たりました。
 その入り口に、二宮尊徳に関して、「内村鑑三が『代表的日本人の一人と評した』と紹介されている」のを見て嬉しくなりました。二宮尊徳を紹介するのにわが母校の代表的クリスチャンの名を持ち出されること自体大変名誉なことです。

 二宮尊徳(幼名:金次郎)は まきを背負いながら本を読んでいる銅像が、昔、各地の小学校に置かれていました。彼は没落した農民の子でありながら、江戸時代末期の日本の農業を復興した高徳の人として崇められています。
 日本を代表するトヨタの社内の敷地にも二宮尊徳に由来する報興神社というのがあります。
 彼の名言に、「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」というのがあります。
 現在の日本では米価が連日の話題になっております。内村鑑三が引用した二宮尊徳のことばを為政者も学んで欲しいと思います。

国に飢饉がおこるのは、民の心が恐怖におおわれるからであります……食料不足の年には、飢餓の話しだけで驚いて死ぬものです。
 したがって、治める者たちが、まず進んで餓死するならば、飢餓の恐怖は人々の心から消え、満足を覚えて救われるでありましょう。

 このように言われたのは、藩の家老が、自分たちの身を犠牲にして目の前の貧しい人々に備蓄米を放出することで、人々の恐怖心が和らげられ、それぞれが自分の懐に米を蓄えるのを恥じさせ、目の前の仕事に集中させるようにするという効果を狙ってのことばだったようです。
 二宮尊徳はこのような痛烈な逆説を得意としたようです。

 恐怖心に圧倒されることから、働く気力、また人を助ける心の余裕が奪われます。恐怖心に賢く対処できるなら、私たちの生き方が変わります。

 なお、内村鑑三は、「代表的日本人」として西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の例を挙げ、福音を知らない日本人の中にも尊敬すべき生き方ができた人がおり、そのような人々を生み出した日本人の心が自分たちのうちに流れていることに誇りを持たせようとしています。
 それは私たちが自分の出生をまず感謝をもって受け止め、その上で、私たちがキリストに接ぎ木されることで、さらに自分自身が神によって生かされることができるようになり、少数であっても世界に影響力を与えることができるという希望を述べるための書であったとも言えます。
 
 なお、創造主を知らない人は、恐怖心を自分で治める必要がありますが、誰よりも勇敢だったダビデは、詩篇55篇でまったく異なった道を示してくれています。

詩篇55篇1–8節、22節「あなたの重荷を主にゆだねよ」

 この詩篇の著者は、親しい友から裏切られ、胸も張り裂けるほどに悩み苦しんでいます。1–5節のような気持ちは無縁と思う人もいるでしょう。しかし、感情は説明し難いものです。
 ヘンリ・ナウエンは、50代半ばの頃、心の奥底を分かち合える友に出会い、急速に依存して行きました。しかし、あまりにも多くを求め過ぎたため友情は破綻しました。彼は、世界が崩れたと感じ、眠られず、食欲もなく、生きる気力を失いました。
 私たちも、失恋でも、失業でも、夫婦喧嘩や約束の時間に遅れた時でさえ、「私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています」(2節) という感情を味わうかもしれません。私たちは、その混乱したままの気持ちを、この詩篇を用いて神に訴えることが許されています。

 心の内側に湧き起こった感情を、自分で制御しようとして、混乱を深めたことがないでしょうか?不安こそ、怒りの第一次感情と言われますが、怒りで周りの人を傷つけたり、自分を責めて鬱状態になることさえあります。
 この著者は、自分の心の状態を、分析することも、言い訳することもなく、そのまま言葉にしています。それは感情に振り回されないためのステップです。
 彼は、「私の心は、うちにもだえ、死の恐怖が、私を襲っています。恐れとおののきが私に臨み、戦慄が私を包みました」(4、5節) という四つの並行文で、自分の恐怖心を認め、その気持ちを静かに味わい尽くそうとしています。

 ナウエンは、繊細さのゆえに生き難さを抱えましたが、同時に、多くの人々への慰めを語ることができました。
 自分の気持ちを受けとめられない人は、人の気持ちをも受けとめることができません。私たちは、自分の気持ちを自分で整理しようとする代わりに、それをそのまま神に差し出すことができます。それこそ御霊に導かれた祈りです。

 しかも、この人は「ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら飛び去って、休むものを」(6節) と、逃げ出したい気持ちにも優しく寄り添っています。
 ただしそこでは、「荒野」を「私ののがれ場」と描いています。それは誰の保護も受けられない、孤独で不毛な場所だからこそ「神だけが頼り」となるのです。つまり、彼は白昼夢の世界に逃げているようでありながら、神との対話に安らぎを見出そうとしているのです。 
 
 この詩篇には、「敵を愛する」代わりに「のろっている」ように思える表現があります。しかしそれは、自分の気持ちを正直に神に述べ、神の公正な裁きを訴えたものです。
 そして、このような「私」を中心とした祈りの後に、22節では突然、「あなたの重荷を主 (ヤハウェ) にゆだねよ」という勧めが入ってきます。
 そこには体験に裏打ちされた説得力があります。「ゆだねる」とは「放り投げる」という意味で、自分の思い煩いや恐怖感を、そのまま主(ヤハウェ)の御前に差し出すことです。
 しかも、「主は、あなたのことを心配してくださる」とは、何と優しい表現でしょう。これは「あなたを支える」とも訳されますが、神の救いは、あなたの重荷を取り去ることではなく、重荷や思い患いを抱えたままのあなたを支えることです。
 主の目に「正しい者」とは、主に向かって叫び続ける者のことです。その人を、主は「ゆるがされるようには、なさらない」で試練の中で立たせ続けてくださいます。神の御前に心を注ぎ出せる幸いを味わってみましょう。


【祈り】主よ、私がこの霊感された祈りを用いて、自分の感情を表現できることを感謝します。どうか、自分の心を自分で制御する代わりに、あなたにゆだねさせてください。