3月27日のニュースで驚いたことがあります。
「関係者によりますと、三菱UFJ銀行は、来年4月に入社する大卒の新入社員の初任給を現在の25万5000円から4万5000円増やし、30万円に引き上げることになりました」とのことです。
実はそれ以前に、大手の銀行はみな横並びで一昨年までの十年間、大卒初任給の給与を20万5千円に抑えていたというのです。
それが2024年度はじめ5万円アップして、2025年度初めにはまた5万円近く上げるというのです。つまり、たった二年間のうちに初任給の給与が約20万円から30万円に一挙に引き上げられるという、前代未聞のことが起きているということです。
大手の金融機関は長年、初任給は抑え気味にして、長く務めるほど待遇をよくするという政策をとってきました。僕の場合も大昔、これから待遇がぐっと良くなるという直前で辞めてしまいましたが……
大手金融機関のことは関係ないと思われる方も、これは日本経済の大きな変化を現す強いシグナルだということを理解していただきたいと思います。保守的な金融機関のこれほどの変化は、その傘下の中小企業にも影響を与えざるを得ません。やがて、賃金上昇はすべての中小企業に確実に広がることでしょう。
日本は1990年代半ば、先進国の中でスイスに次ぐ第二番目の高い給与水準にありました。しかし、2014年には何と世界二十位にまで転落し、なお下がり続けてきました。それがようやく昨年から変わり始めているというのです。
日本の多くの企業は 1990年と2008年の金融バブルの崩壊を通して、生き残ること自体に必死になってきました。
そこから労働者自体が、賃金引き上げ要請自体を自粛するという強い同調圧力が生まれました。それがコロナ自粛での窒息的な雰囲気で頂点に達し、今、その自粛の生き難さから一気に解放されるような動きが生まれています。
自粛ムードは、さまざまな新しいチャレンジをも封じ込める「萎縮」ムードを作り出します。そこでは、技術革新を起こすムード自体が窒息させられます。
そして今、日本は、その愚かさに気づき始めて来たとも言えましょう。
物価の過度な上昇は私たちの生活を危うくしますが、適度な上昇であれば、明日の自分の収入は増えるのではないかというインセンティブとして働きます。
かつて、カトリック教会の煉獄の脅しで委縮していたマルティン・ルターの心を解放させるきっかけになったのが詩篇31篇です。
味わっていただければ幸いです。これは日本のキリスト教世界の雰囲気を変える力にもなります。まさに第二の宗教改革です。
詩篇31篇1–8節「あなたの義によって……」
1節の「あなたの義によって、私を助け出してください」というみことばに真剣に向き合ったときのショックを、宗教改革者マルティン・ルターは次のように記しています。
神の義、神の法廷、神のわざというみことばに、かつて私は恐怖を覚え、敵意を抱くほどであった。なぜなら、ここでの神の義とは、神の厳しいさばきであるとしか思えなかったからだ。どのようにして、神はご自身の厳しいさばきによって、私を救うことができようか?
それでは、私は永遠に滅びるしかない。このことばが、「神のあわれみ」とか「神の助け」であったら、どれほど良かったことかと思った。
しかし、神に感謝すべきことに、物事をよく調べると次のように理解できた。「神の義とは、それによって私たちを義とするための義であり、それはキリスト・イエスによって与えられる義である。私はようやく詩篇の文法を理解できた。そして初めて詩篇を心から味わうことができた。」
1540年9月の文章、Luthers Psalmenauslegung(詩篇注解)からの私訳
そして、プロテスタント教会の基本教理とも言われる「信仰義認」は、ルターが1513年から15年にかけて詩篇講義を続けていた中で生まれたと言われます。
ここに、みことばを読みながら、その意味に納得できないときに、真剣に、神に問いかける真摯な姿勢が見られます。
そして、そのように自分のうちにあるマイナスの感情を神に訴えられることこそが、詩篇の最大の魅力です。
そのことが、ここでは、ダビデが最初に、「主 (ヤハウェ) よ。私はあなたに身を避けています」と告白しながらも、「私が決して恥を見ないようにしてください……私に耳を傾け、早く私を助け出してください……私をねらってひそかに張られた網から、私を引き出してください」(1、2、4節) と、たたみかけるように訴えることに現されます。
そのような中で、突然、「私の霊を御手にゆだねます。真実の神、主 (ヤハウェ) よ」(5節) という深い信頼の告白が記されます。
この前半は、イエスが十字架上で最後の息を引き取られる直前に、大声で叫んで言われたことばでもあります (ルカ23:46)。それは、人としてのイエスご自身も、想像を絶する苦しみの中で、この詩篇を祈っておられたことを示唆します。
そして、その信頼の理由が、「あなたは、私の悩みをご覧になり、私のたましいの苦しみを知っておられました」(7節) と記されています。
このように見ると、1節の「あなたの義」とは、明らかに、「私に対する神の真実」と理解することができます。
「神の義」を「神の真実」と受け止められることは、何と幸いなことでしょう。そこにこそ、宗教改革の原点があります。
全宇宙の創造主が、あなたひとりの悩みをご覧になり、苦しみを知っておられます。
「神の義」が、神の厳しいさばきの基準ではなく、ひとりのあなたに深いあわれみを示してくださる神の真実の愛なのです。
イエスの復活は、「私の霊を御手にゆだねます」と叫ばれたことへの御父からの真実の応答と見ることができます。
ですから、あなたの苦しみには必ず出口があるのです。それは、「神は真実な方ですから……試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(Ⅰコリント10:13) と記されている通りです。神の義、神の真実に心を向けましょう。
【祈り】「あなたの義によって、私を助け出してください」と、怖じることなく祈ることができる幸いを感謝します。真実の祈りへと私を導いてください。