世界中でのいろんな悲しいニュースが聞かれますが、少し立ち止まって、より大きな歴史の流れを振り返って見たいと思いました。
テレビ朝日で、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏へのインタビュー番組がありました。一時間のフルのインタビューがインターネットでご覧いただけます。
そこで、ついこの前まで、多くの国では国家予算の半額が軍事費に使われるのがあたりまえだった、国家予算の中で社会福祉や医療費が軍事費を上回るようにいなったのもごく最近のことであると言われていて、改めて、世界中に共有されている物語の力を思わされました。
見知らぬ国の見知らぬ人が育てた作物や製品を安心して使うことができるのは、世界中に共有される「物語」があるからだというのが彼の一貫したメッセージです。
しかし、私たちはその共有されている物語の根底に聖書の福音があることを忘れががちかもしれません。基本的人権の尊重の価値観、一人一人の意思の尊重、契約を守ることの大切さなど、今や、イスラム教国でも共産党支配の国でも共有されています。実際、例えばイスラム教国と言われるトルコでのデモ活動で言われている政権批判の中に、明らかに聖書的な価値観が入っています。
聖書のストーリーを、神の「契約」の観点から見ることができます。アブラハムとの契約、ダビデとの契約の結果が、イエス・キリストによる新しい契約に繋がっています。
今、世界中が一つの市場のようになっているのは、細かな契約によってなされる取引の背後に、契約は守られて当然という価値観があります。
その背後に、主ご自身が人間と結んだ契約の信頼性があります。
グローバル市場経済が成立する背後に、上記の基本的価値観(常識)の共有と、契約に対する信頼があります。
昨年末、福音主義神学という機関誌に「市場経済に生かされる聖書の福音」という論文を掲載していただきました(いまいち、反響が聞こえないのが残念ですが……)。
多くの神学者は、人間を商品化する根本的な問題、また格差社会、貧困の連鎖を生み出すという意味で市場経済に否定的ですが、上記のように世界全体で共有される価値観があって初めて世界的な市場経済が成り立っていることを忘れてはなりません。
その背後に、聖書の価値観が世界中の人々の価値観を変え続けてきたという歴史があります。ですから私たちクリスチャンの使命は、あきらめることなく、聖書のストーリーを語り続けることかと思います。
市場経済というシステムを否定するのではなく、それを動かす新しいストーリーを広げ続けるのが、私たちの使命かと思わされています。
聖書の福音自体に歴史を動かす力があるということが詩篇29篇に記されています。
詩篇29篇「主はとこしえの王」
1、2節では三回にわたる「主 (ヤハウェ) に帰せよ」という表現ですべての「栄光と力」を人間ではなく、主に帰することが訴えられます。
そして3–9節では七回にわたって「主 (ヤハウェ) の声」ということばが繰り返されます。それは、雷を伴った嵐を象徴したものです。
当時のカナンではバアル神が嵐の神としてあがめられていましたが、ここでは主 (ヤハウェ) こそが、雷を伴った嵐を支配しておられることが強調されています。
牧師としての働きを始めてまもなく、働きがまったく実を結ばず、「こんなはずではなかった……」と焦り落ち込みました。証券営業をしていたときには、それなりに労苦が結果に結びつくということがあったので、自分のやり方の何が悪いのかと、いろいろ考えてしまいました。
そんなとき、ある大学教授が、葉書にたったひとこと「主 (ヤハウェ) の声は、水の上にあり……」と書いて送ってくださいました。
そのとき改めて、「主の声」としての聖書のことばに込められた創造の力に目が開かれました。自分は、「主のことば」を分かりやすく解説することばかりに力が入っていたのではないかと反省させられました。
「主 (ヤハウエ) の声は、力強く、主 (ヤハウェ) の声は、威厳がある」(4節) とあるように、主のことばご自身に働いていただくのが自分の使命だと思わされました。
そして今、改めて、「主 (ヤハウェ) の声は、雌鹿に産みの苦しみをさせ」(9節) というみことばが迫ってきました。神の民を生み出す働きは、主のことば自身にあるのです。
「主 (ヤハウェ) は大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主 (ヤハウェ) は、とこしえに王として御座についておられる」(10節) という主の圧倒的なご支配の現実に目が向かいます。
私たちに「力」を与え、「祝福」してくださるのは主ご自身のみわざです。
海の上のヨットは、大きな風を受けることによって驚くべきスピードで走ることができます。私たちに求められるのは、主の風(霊)を作ることではなく、身を任せることです。
【祈り】主よ。あなたのみことばで世界が生まれ、保たれています。主の声の力と威厳に働いていただけるように、私たちの心を砕き、整えてください。