国際情勢も日々刻々と動いています。現在、ドイツで大きな変化が生まれています。
財政規律を厳しく定めた基本法の改定が議会の三分の二の賛成を得て行われました。その結果、国際情勢の変化に柔軟に対応して防衛支出を増大させることができるようになりました。それは特に、フランスとドイツの軍需産業の連携強化として現れることになり、フランスもそれを歓迎しています。
軍事費の増大や軍需産業の連携に対して、様々な意見があるのは当然で、私はそれに対して何かを言いたいと思っているわけではありません。
何よりも驚きなのは、20世紀半ばまで、戦争の絶えなかった国どうしが完全な同盟関係に入っているという時代の変化を感じさせられます。
もちろん、このような動きは、米国とロシアの政治状況と不可分の関係にあります。
しかしそれにしても、ドイツとフランスは、言語や習慣、国民のメンタリティー、国境の問題からして、仲良くするのが本当に難しい関係にありました。
40年前に住んでいたいたときも、国民性の違いを驚きをもって見ていたことを覚えています。国境を超えたとたん、いろんな習慣の変化を肌で感じました。
ドイツとフランスの協調関係は、第二次大戦後の長い努力の結果として生まれています。たとえば彼らは歴史を学ぶ際、共通の教科書という教材を整えるような努力をしてきました。互いに戦い続け、そのたびに国境が変るような歴史を、双方の視点から見られるような歴史の教科書ができること自体が、奇跡と言えましょう。
もし、日本と韓国が同じ歴史の教科書を持つことができるか想像してみると、それがどれほど困難なことかが分かると思います。
互いの歩みの違いを尊敬をもって見られるようになっているという不思議があります。
詩篇26篇は1節で「私は誠実に歩みました」という告白がなされ、11節で改めて、「私は誠実に歩みます」という告白がなされます。
それは何よりも、主がこの地を支配しておられるという信頼から生まれています。
国際政治のニュースだけを見ていると、私たちは主のご支配を認めることができなくなります。しかし長らく争っていた隣国どうしが、互いの誠実さを認め合うことができるようになっているという現実の中に、主のご支配を認めることができるかもしれません。
また、世界各地で、人と人との和解を導く働きが、草の根ベースで広がっています。そのようなニュースにならない地道な働きに私たちは目を向けて行くべきでしょう。
詩篇26篇1–12節「私を弁護してください」
この詩は、「私を弁護してください」という訴えから始まります。これは多くの英語訳では、Vindicate me と訳され、「私のために裁きを下し、私の正義を明らかにしてください」というニュアンスが込められています。
ダビデはサウル王のもとで誠実に仕えましたが、サウルはダビデの評判をねたみ、理由もなく殺そうとしました。そのように、神の公平なさばきが隠されているように思える中で、この訴えがなされています。
自分が受けている苦しみが不当なものと思えるとき、自分の正義を訴えたくなるのは当然の人情です。
ただここでは、「私は誠実に歩み……主に信頼したこと」が神によって明らかにされること、また、「私を調べ、私を試みてください」と、神ご自身の公平なさばきに謙遜に委ねようとしているという点にこそ注目すべきでしょう。
しかも、ダビデは、「あなたの恵み(ヘセド:契約の愛)が私の目の前にあり」(3節) と告白しつつ、自分があくまでも、神の恵みと真理(真実)に、謙遜に応答しながら生きてきたと訴えています。
ただこれは、「自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかった」(ローマ10:3) という、イエスを十字架にかけたユダヤ人の自己義認とは異なります。
ダビデは単に、悪者が繁栄し、正しい者が虐げられているという現実に対して、神のさばきが明らかにされることを望んでいるだけなのです。
6–8節でダビデは、神の家における真心からの礼拝の姿勢を大切にすることを宣言します。これは、悪者に対するさばきがまだ明確には見えない中で、なお、主の前に誠実を尽くすと約束することです。
「正直者がバカを見るのなら、自分の気ままに生きる方が良いのでは……」などという居直りとは正反対の生き方です。
私たちの中には確かに、いろんな醜い思いや不誠実がありますが、神の霊が私たちのうちに働く時、このような告白を真心からできるように導かれます。聖霊のみわざに期待しましょう。
【祈り】主よ、あなたに敵対する者が栄え、信仰者が虐げられる現実を見ると、心が痛みますが、あなたの公平なさばきが明らかになることにいつも信頼させてください。