エレミヤ51、52章「遠くから……エルサレムを心に思い浮かべよ」

2025年3月3日

「ユダヤ人は、いつユダヤ人になったのか」(長谷川修一著、2023年NHK出版、1000円)という本が多くの人々に読まれているようです。その答えがエレミヤ書29章10、11節に記された、主の「バビロンに七十年が満ちるころ、わたしは……あなたがたにいつくしみの約束を果たして……この場所に帰らせる……それはあなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」ということばにあります。

バビロン捕囚はイスラエルの民を再び造り直すための主の計画でした。私たちは基本的に、苦しみにあって初めて自分の生き方を反省するものです。「苦しみ」を再出発の機会と認められる人には、「将来と希望」が生まれます。そしてその希望とは当時のユダヤ人にとっては、主の臨在のしるしの契約の箱が戻って来るエルサレム神殿の再建でした。

私たちにとっては、「新しいエルサレムが……天から降って来る」(黙示21:2) ときで、それはこの天と地が新しくされ、世界が神の平和(シャローム)で満たされるときを指しています。それを私たちは「遠くから……思い浮かべる」ように感じられるかもしれませんが、それは日々の生活の中で霊的に体験されることでもあります。

1.「バビロンは主 (ヤハウェ) の手にある金の杯」

51章1節で、主(ヤハウェ)は、「見よ、わたしはバビロンに対し、レブ・カムイの住民に対して、滅ぼす者の霊を奮い立たせ、他国人たちをバビロンに送る」と言われます。

「レブ・カムイ」とは「わたしの敵の心」という意味のようで、バビロンの中心民族の「カルデア人」を指す「略称 (code name) 」だと言われます。とにかく、主ご自身が「他国人たち」の「霊を奮い立たせて」、バビロンを滅ぼすと記されています。そして、主はバビロンの「全軍を聖絶せよ」(51:3) と厳しいことを命じられます。

しかしそこで同時に、「しかし、イスラエルもユダも、その神、万軍の主 (ヤハウェ) に見捨てられることはない(51:5) と保証されます。それは「彼らがイスラエルの聖なる方から離れ、彼らの地は罪過で満ちていたにも関わらず(私訳)、主ご自身がイスラエルを選ばれたという「あわれみ」によって起きることです。

それを前提に、「バビロンの中から逃げ、それぞれ自分自身を救え」(51:6) と命じられます。それはバビロンの滅亡に巻き込まれないようにとのあわれみのことばです。私たちの場合にも。この世界の滅亡が起きる前に、「自分を救う」ために信仰の応答が求められます。

51章7節では、「バビロンは主 (ヤハウェ) の手にある金の杯。すべての国々はこれに酔い、国々はそのぶどう酒を飲む。それゆえ国々は正気を失う」と記されます。

「金の杯」は、バビロンの豊かさを現すとともに、それは同時に「主の憤りの杯」で、エルサレムの滅亡は、この杯を飲んですっかり酔ってしまい、同士討ちで滅んでしまったことを指していました (13:13、14)。

聖書の最後の黙示録17章4、5節では、サタンの惑わしの姿が、「大バビロン、淫婦たちと地上の忌まわしいものの母」と呼ばれる大淫婦が、「自らの淫行の汚れで満ちた金の杯を手に持っていた」と描かれます。さらにそれに誘惑された者の姿が、「すべての国々の民は、御怒りを招く彼女の淫行のぶどう酒を飲み……地の商人たちは、彼女の過度のぜいたくによって富を得た」(同18:3) と描かれます。

明らかに、黙示録での「大バビロン」は、旧約でのバビロンの延長として描かれています。つまり、私たちが聖書の神の代わりに、この世の富と権力に頼ろうとすることは、「主の憤りのぶどう酒の杯」(25:15) を飲むことに他ならないことであり、それは自滅への道であるというのです。

2008年のリーマンショックではウォール街での富と権力のぶどう酒に酔いしれた人々は、次から次と自滅しました。まだ神から与えられた良心の機能が働いていた人々は、それを少し飲んだだけで、これは「主の憤りの杯」でもあるということに気づいたでしょうが、良心の麻痺した人は、酔いつぶれてしまったと言えましょう。

そして今、神のさばきを執行する器であったバビロンのことが、「バビロンは、たちまち倒れて砕かれる」(51:8) と宣言されます。黙示録でも、それに呼応するように「倒れた。大バビロンが倒れた」(18:2) と御使いが宣言したことが描かれます。また私たちも、栄華を極めた会社の破綻に、富と力のむなしさを思います。

それに続く「その痛みのために乳香を取れ。もしかしたら、癒されるかもしれない」(51:8) という表現は、ギルアデの乳香がイスラエルの民の癒しに用いられる可能性があったこととの比較での皮肉です (8:22)。

そして、「私たちはバビロンを癒そうとした。だが、それは癒されなかった」(51:9) とは、すでに神のさばきを体験したイスラエルの民のことばかと思われます。もしバビロンがイスラエルの苦しみから学ぶことができていたとしたら、彼らは癒されたはずでしょう。しかし罪人は、他の人の痛みや苦しみを軽蔑することしかできません。

それでイスラエルの民は、「私たちはこれを見捨てて、それぞれ自分の土地へ帰ろう。バビロンへのさばきが、天に達し、大空まで上ったからだ」(51:9) と言ってバビロンから逃げ出します。

そして51章10節は、「主 (ヤハウェ) は、私たちの正義を立てて(もたらして)くださった」とも訳すことができます。それは主が既にイスラエルの罪に対する処罰を終えた結果として、彼らを再び罪がない者として受け入れてくださることを指します。

私たちの場合は、キリストが身代わりに神のさばき受けてくださいました。それで「私たちがキリストにあって義と認められる」(ガラテヤ2:17) と言うことができます。

そしてここでは、「さあ、私たちはシオンで、私たちの神、 (ヤハウェ) のみわざを語ろう」(51:10) と喜び合うようすが描かれます。

それは主(ヤハウェ)がかつて「バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみ(善)の約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる……それは平安 (シャローム) を与える計画であり、わざわいではない。あなたがたに将来と希望 (ティヴァ) を与えるためのものだ」(29:10、11私訳) と言われたような救いのご計画を指します。

51章11節では、「矢を研ぎ、小盾を取れ。主 (ヤハウェ) はメディア人の王たちの霊を奮い立たせられる。御思いは、バビロンを滅ぼすこと。それは (ヤハウェ) の復讐、ご自分の神殿の復讐である」と記されます。

メディアとはバビロン南東部の北に位置する国で、後にペルシア帝国と合体してバビロンを滅ぼします。そして、主はバビロンに向かって、大水のほとりに住む、財宝に富む者よ。おまえの最期、おまえの寿命が尽きる時が来た」(51:13) と言われ、彼らの富が何の役にも立たないと示されます。

彼らの神々が偶像に過ぎないのに対して、「主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた。主の御声に、天では水のざわめきが起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のために稲妻を造り、ご自分の倉から風を出される」(51:15、16) という全世界の気象現象を支配する主の「全能の力」が強調されます。

そして、再びバビロンの偶像は「空しいもの、物笑いの種だ。刑罰の時に、それらは滅びる」と言いながら、ヤコブの受ける分は、このようなものではない。主は万物を造る方。イスラエルは主のゆずりの民、その御名は万軍の主 (ヤハウェ) 」(51:18、19) と描かれます。

私たちはこの世でどれほど貧しく見えても、世界のすべての富の源である方を「私の父」と呼ぶことができるのですから、何の心配もないということができましょう。

51章20–23節で主(ヤハウェ)は、「あなたはわたしの鉄槌、戦いの道具だ」と言われながら、十回にわたって「あなたによって」と言いながらご自身の「さばき」を描きます。

すでに50章23節で、主はバビロンを「全地を打った鉄槌」と呼んでいましたが、この文脈はバビロンに対するさばきの宣言です。ただ「あなた」がだれであるかを明言しないことによって、主ご自身がバビロンを用いてエルサレムや諸国の民をさばいたように、今、新しい国(ペルシア)を用いて砕くということが明らかにされます。

そのことが、「わたしはあなたによって国々を砕き、あなたによって諸王国を滅ぼす。あなたによって馬も騎手も砕き……あなたによって総督や長官たちも砕く」と言われます。さらにそのことの意味を主は「わたしはバビロンとカルデアの全住民に対し、彼らがシオンで行ったすべての悪に、あなたがたの目の前で報復する(51:24) と言われます。

道具に過ぎない者が、その主人を忘れて自分を王とするとき、力強い道具であるほど、さばきも厳しいものになります。そのことが「全地を破壊する、破壊の山よ。見よ、わたしはおまえを敵とする……おまえは永遠に荒れ果てた地となる」(51:25、26) という永遠のさばきとして宣告されます。

これこそが、主の敵となることの報いです。

2.「わたしの民よ。その中から出よ。主 (ヤハウェ) の燃える怒りから逃れ、それぞれ自分自身を救え」

51章27節には、「この地に旗を掲げ、国々の中で角笛を鳴らせ。バビロンに向けて国を聖別せよ。バビロンに向けて王国を召集せよ。アララテ、ミンニ、アシュケナズを」と記されます。

これら三つの国々はチグリス川北方の山岳地帯アルメニア地方にあります。

また「バビロンに向けて司令官を立て……馬を上らせよ」(51:27) とは、後に、ペルシア王キュロスの下でこれらの辺境にある国々もバビロンを滅ぼすために一致することを指すと思われます。

「国々を聖別せよ」(51:27、28) とは、主がバビロンへの復讐のために、周辺の国々のすべてを「聖別」してご自身の計画のために用いるという意味です。

その結果が、「主 (ヤハウェ) はご計画をバビロンに成し遂げ、バビロンの地を住む者もいない荒れ果てた地とされる」(51:29) と描かれます。

51章33–36節では、主がバビロンを厳しくさばく理由が「ネブカドネツァルは私を食い尽くし……空の器にした……シオンに住む者は言え。『私と私の肉親になされた暴虐が、バビロンの上に降りかかれ』と」(34、35節) と記され、シオンに住む者の「訴えを取り上げ……報復する」(36節) との主の復讐として描かれています。

さらに51章37–44節ではバビロンの滅亡のようすが描かれますが、それを受けて45節では、主がイスラエルの民に、「わたしの民よ。その中から出よ。主 (ヤハウェ) の燃える怒りから逃れ、それぞれ自分自身を救え」と命じられます (51:6参照)。

それに続く46節の原文は「あなたがたの心を弱らせず、この国に聞こえるうわさを恐れるな」と訳すことができます。それは「今年、うわさが立ち……次の年にも、うわさは立つ。この地には暴虐があり、支配者はほかの支配者に立ち向かう」と記されるように、バビロン政権内で混乱が起きる中で冷静さを保つことの勧めです。なぜなら、そのような自滅に向かう混乱も神の御手の中で起こっていることだからです。

バビロン帝国は短命でしたが、それは内部の権力争いが激化したためです。これは黙示録18章4節で御使いが、「わたしの民は、この女の罪に関わらないように、その災害に巻き込まれないように、彼女(大バビロン)のところから出て行きなさい」と語りかけるのと同じです。

私たちは、この世の組織の中で誠心誠意、与えられた務めを果たすことが求められているのですが、それと心中するようなことになってはいけません。組織が滅亡に向かうとき、人々はその中で、最後の富と権力にすがり、ますます自己中心的になります。私たちは、そのような富と権力の奴隷になる人々から一線を画す必要があります。

51章49節の原文は、「バビロンもまた倒れることになる、イスラエルの刺し殺された者たちのために。バビロンによって全地の刺し殺された者たちが倒れたように」と記されます。

続けて「剣を逃れた者よ、行け。立ち止まるな。遠くから (ヤハウェ) を思い出せ。エルサレムを心に思い浮かべよ」と命じられます (51:50)。

彼らは、神の約束の地から遠く離れているように感じていますが、その遠くから「主 (ヤハウェ) を思い出し」また、神の神殿の立っていた「エルサレムを心に思い浮かべ」続けることが命じられています。

彼らはバビロンやペルシア帝国の生活に同化してはならないのです。私たちの場合も、神が「新しいエルサレム」を実現されることを期待しながら (黙示21:2)、「約束のものを受け取ることがないまま、遠くからそれを見て喜び迎え、地上においては旅人であり、寄留者であることを告白していた」(ヘブル11:13) 姿に倣うように召されています。

51章59節では、「マフセヤの子ネリヤの子セラヤが、ユダの王ゼデキヤとともに、その治世の第四年にバビロンへ行ったとき」のことが描かれます。これはエルサム陥落の約七年前の紀元前594年~593年のことで、セラヤとはエレミヤ預言を書き記したバルクの兄弟だと思われます (32:12参照)。

職務の「宿営の長」とは補給係将校とも訳されることばで、バビロンに召喚された王の旅路をアレンジする責任者の立場です。

そこでエレミヤは、「バビロンに下るわざわい……これらすべてのことばを一つの書物に記し」、セラヤにそれをバビロンで読み上げるように依頼します (51:60–62)。

そればかりか「それを読み終えたら、それに石を結びつけて、ユーフラテス川の中に投げ入れ、こう言いなさい。『このように、バビロンは沈み、浮かび上がれない。わたしがもたらすわざわいを前にして、彼らは力尽きる』」と記されます (51:60–64)。

エルサレムの人々にバビロンへの服従を勧めていた預言者は、同時にバビロンに捕囚とされた人々に対して、バビロンの滅亡を告げました。これは、彼らの目をこの地上の王国から、神の支配に向けさせるためでした。

地上の王国は次から次と変わりますが、神のご支配は永遠に続きます。私たちは常に、その神のご支配に目を向ける必要があるのです。そして51章の終わりでは、「ここまでが、エレミヤのことばである」で閉じられます。

3.「エホヤキンは……一生の間、いつも王の前で食事をした」

52章の記事は、ほとんどすべてがエレミヤ39章とⅡ列王記24、25章に記されます。この記述の目的は、その後の歴史がすべて、エレミヤの預言のとおりであったことを示すためです。

紀元前586年8月のことだと思われますが、バビロン軍は、「第五の月の十日(列王記では「七日」)……エルサレムに来て、 (ヤハウェ) の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた」(52:12、13) と描かれます。

ユダヤ人は、この日を断食の日としています。ゼカリヤ書には神殿が再建される希望の中で、「私が長年やってきたように、第五の月にも断食して泣かなければならないのでしょうか」という問いがあり、それに対して主は「断食して嘆いたとき、本当にこのわたしのために断食したのか」と答えています (7:3、5)。

ユダヤ人は、イエスの十字架の40年後にもエルサレム神殿をローマ軍に破壊され、またその後に最後の反乱も鎮圧されます。彼らはそれらをまとめ「ティシャ・ベアブ(アブの月の九日目)」と呼ばれる真夏の断食を行う習慣があります。

彼らはエレミヤの預言を思い起こしながら、主の前に自分たちの罪を嘆いているのです。

エルサレム陥落の際、カルデア人は「これらすべてのものの青銅の重さは、量りきれなかった」(52:20) というほどの神殿の器具を運び去りますが、それは幸いにも保管されます。

そして最後まで抵抗した者たちを殺しますが (52:24–27)、その際に殺された「祭司のかしらセラヤ」とは、先にエレミヤ預言をバビロンで読み上げたはずの「セラヤ」とは別人で、ヨシヤとともにエルサレムの信仰復興を導いた大祭司ヒルキヤの孫です (Ⅰ歴代6:13、14)。

なお、セラヤの子のエホツァダクはバビロン捕囚の中で守られ、その子のヨシュアはペルシア帝国のもとでのエルサレム神殿再建の際の大祭司として民を導きます (エズラ3:2)。

つまり、バビロン軍に殺されたセラヤの孫が後のエルサレム神殿再建の際の民の信仰をリードするという不思議が見られます。聖書に登場する偉大な人は子育ての失敗者が多いですが、このような信仰継承の例も見られます。

そして、52章28~30節にはバビロンに捕囚とされた人数が記されますが、これはこの書独自の情報です。「ネブカドネツァルが捕らえ移した民の数は次のとおりである。

第七年には、3023人のユダヤ人」と記されますが、これは第二次バビロン捕囚と呼ばれる紀元前597年のことで、ユダの王エホヤキンが捕囚とされゼデキヤ王が即位した年です。

Ⅱ列王記24章14、16節では「すべての有力者一万人、それに職人や鍛冶」が捕囚とされ、「すべての勇士たち七千人と、職人と鍛冶千人」という人数が記されています。列王記は女性や子どもを含めた全住民を指し、エレミヤ書は登録された成人男性を指すという解釈もありますが、この差があまりにも大きいことの説明にはなりません。

さらに「ネブカドネツァルの第18年には、エルサレムから832人」(52:29) と記されますが、これは紀元前586年のエルサレム陥落のときの第三次バビロン捕囚のときで、このように少ない人数になっているのは不思議です。このときには大部分の人が、飢え死にか戦死したのかもしれません。

そして「ネブカドネツァルの第23年には、親衛隊の長ネブザルアダンが、745人のユダヤ人を捕らえ移し」(52:30) という捕囚の記述はここだけのもので、紀元前582年に最後の総督ゲダルヤが暗殺された後のことだと思われます。

そして最後にその合計は4600人であった」(52:30) とバビロン捕囚の成人男性の正確な人数が記されます。少なくともここには紀元前605年にダニエルたちが連行されたときのことは記されていません。この人数はあまりにも少なすぎるようにも思えますが、何よりも強調されているのは、このようにごく少数の残りの民から、神は次の新しいイスラエルの歴史を始めたということでしょう。

最後に、「ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて37年目……バビロンの王エビル・メロダクは……エホヤキンを呼び戻して、獄屋から出し、優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くした」(52:31、32) と記されます。

エホヤキンはマタイの系図では「エコンヤ」と記されます。彼は紀元前597年の第二次バビロン捕囚の際に捕囚とされましたが、彼の場合は即位後3カ月でネブカドネツァルにすぐに降伏したので大切に扱われたのだと思います (Ⅱ列王24:8–12)。

ここに登場するエビル・メロダクとはネブカドネツァルの後継者となった息子で、その即位の紀元前561年の即位の年にこのような恩赦を施したのかと思われます。ただ、この王は翌年に異母兄弟に暗殺されたと言われますが、その後継者も4年間しか王位に留まっていません。その後の王家も混乱を続け、ネブカドネツァルの死後24年の紀元前538年に滅亡します。

そのような混乱の中でも、「彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。彼の生活費は、……一生の間……バビロンの王から支給されていた」(52:31–34) と記されています。

エホヤキンがその後何年間生きたかは不明ですが、彼ののゼルバベルが、ペルシア王キュロスのもとで捕囚の民のエルサレム帰還と神殿再建をリードすることになります。紀元前538年のイスラエルの民のエルサレム帰還の際の「全会衆の合計は42、360人であった」と記されています (エズラ2:64)。これはダビデ王家とその仲間が捕囚とされたエホヤキンを通して成長したことを示します。

それはすべて、主がダビデに「あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(Ⅱサムエル7:16) と約束されたことの成就です。

エホヤキンは決して敬虔な王ではありませんでしたが、「カルデア人に降伏する者は生き、自分のいのちを戦勝品として得る」(21:9) と記されていることの成就として、ダビデからイエス・キリストの誕生に至る系図の中心に名前を記されることになったのです。

バビロンに捕囚とされたごく少数のユダヤ人たちは、そこにおいて生活しながらも、いつも、「エルサレムを心に思い浮かべ」ていたのではないでしょうか。彼らはバビロンの偶像礼拝とは一線を画しながら、そこで増え広がります。

その際彼らは、モーセの時代から残されている様々な文書を、現在に残される聖書に近い形にまとめる作業をしたのだと思われます。そして彼らはやがて約束の地に帰還し、神殿を再建し、神の民としてのアイデンティティーを回復します。

そしてイエスはユダヤ人の王として生まれ、彼らの神、主(ヤハウェ)を世界中のすべての民の王としてくださいました。私たち異邦人はすべて、バビロンで神の民として生き抜いたユダヤ人に負債があります。主は、残されたたった4、600人から世界の歴史を変えました。

私たちも、この日本においては驚くほどちっぽけな存在に見えるかもしれません。しかし、ローマ帝国の中でイエス・キリストの福音が宣べ伝えられて最初の二百年間、キリスト者の数は帝国の全人口の1%に満たなかったという調査もあります。

しかし、その少数者の信仰がその後の50年間の大迫害の時代に爆発的に広がり、その後のローマ帝国の文化を変えました。

私たち日本では、2009年7月にプロテスタント宣教150周年を迎えました。それは聖書が日本語に翻訳されて人々に読まれるようになってから約150年が経過したということを意味します。

私たちにも文化を変える力が与えられています。人数や豊かさで、民族の影響力を測るのは、バビロンの文化です。神は、富と権力を誇るバビロンを裁かれました。そして、終わりの日には、この世の経済力を誇る大バビロンをさばかれます。

私たちも、この地で生きながら、この地の文化に妥協することなく、やがて実現する「新しいエルサレムを心に思い浮かべ」て生きるべきでしょう。