昨年末から、韓国が大変なことになっています。
日本の報道だけを見ると、韓国の保守的なクリスチャンが北朝鮮の脅威を強く意識しながら、現在の保守政権を必死にどうにか守ろうとしているという話しは見えて来ません。韓国の方々の感情的な動きを冷めた目で見る前に、あの残虐な独裁国家と対峙している状況の厳しさを私たちはもっと理解し、祈るべきではないでしょうか。
今回の事件の背後に、もともと野党が国会の多数派を取って、健全な政権運営ができなくなっていたということがあります。もちろん、多くの信仰者は、戒厳令の発布などには賛成しないと思いますが、そうせざるを得なくなったほどの政治の機能不全にこそ目を向けるべきかと思われます。
そして大統領代行までが野党によって罷免される中で、今回の悲惨な航空機事故が起こっています。まさに政治的な指導力が失われている中で、次から次と問題が起きているのです。
韓国のクリスチャンと心を合わせて政治の安定化のために祈るべきでしょう。
詩篇11篇は神のご支配が見えなくなり、信仰者が嘲られるようすが次のように歌われています。
指揮者のために。ダビデによる
1 主に私は身を避ける。どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか。「鳥のように、おまえたちの山に飛んで行け。
2 それ、見よ。悪者どもが弓を張り、弦に矢をつがえ、暗やみで心の直ぐな人を射ぬこうとしている。
3 拠り所がこわされたら正しい者に何ができようか。」
4 主は、その聖座が宮にあり、主は、その王座が天にある。その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。
5 主は正しい者と悪者を調べる。そのみこころは、暴虐を好む者を憎む。
6 主は、悪者の上に網を張る。火と硫黄。燃える風が彼らの杯への分け前となろう。
7 主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。
詩篇11篇解説「主はその王座が天にある」
作者ダビデは、羊を救い出すため、一人でライオンや熊とも戦い、巨人ゴリヤテを打ち倒した力強い戦士でしたが、その彼が、自分の力に頼る代わりに、「主 (ヤハウェ) に私は身を避ける」と告白します。
これは彼が多くの詩で繰り返す言葉です。
1–3節は、敵がダビデをあざけることばです。
「鳥のように、おまえたちの山に飛んで行け」とは、「シオンの山にある神の幕屋に助けを求めてみよ、悪者どもが弓で矢を射るときに、何の助けにもならない」という趣旨の中傷です。
しかしそこで、「主 (ヤハウェ) は、その聖座が宮にあり、主 (ヤハウェ) は、その王座が天にある」と宣言されます。
当時の人々には、敬虔なダビデは、目に見える神の幕屋に頼っているように見えましたが、主の王座は、この三次元空間を超えた天にあるというのです。
しかも、天地万物の創造主は、どんな小さな隠されたことも見分けるという意味で、「その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる」と言われます。しかも、「王座が天にある」とは、同時に、主はいつでもこの地をさばくために降りて来ることができるという意味で、そのことがミカ1章3、4節では、「主はその聖なる宮から……御住まいを出、降りて来て、地の高い所を踏まれる。山々は主の足もとに溶け去り、谷々は裂ける。ちょうど、火の前の、ろうのように」と描かれます。
そして、すべてを見通し、地をさばくことがセットで、5、6節で述べられます。最後に、7節では、「直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る」と告白されますが、「直ぐな人」とは、完全無欠な人という意味ではなく、ダビデのように罪を犯しても、いつでもどこでも、心をまっすぐに主に向けて、主にすがり、祈りながら生きる人を指します。
私たちがイエスの御名で、天の父なる神に祈るとき、そこで天の御座とこの矛盾に満ちた地は、重なり合うように互いに近づいています。それこそ霊的現実です。
【祈り】 イエスの父なる神に向かって「お父様!」と呼びかけられることを感謝します。天の御座におられる方の御守りを、いつでもどこでも、覚えさせてください。