詩篇10篇〜2024年最後の仕事 50人分のレポート評価

 今日は今年最後の仕事で、ある神学校の講義レポート、累計50人分を読んで短い感想を書かせていただきました。
 ヨシュア記、オバデヤ、ナホム、アモス、ミカ、ダニエル、歴史書のまとめです。一人でそれぞれすべてのレポートを出す方もいらっしゃいました。特に今年は歴史書の講義準備に本当に苦労しました。

 米国からの参加者を含め、ネットで講義を受ける方が多いのですが、毎年、レポートの質がどんどん良くなってきています。
 オバデヤ書やナホム書と、ご自分の人生の体験を合わせて、簡潔で内容の豊かなレポートを書いてくださる方が何人もいました。
 本当に、読むだけで心が熱くなりました。一年間を振り返って、「あなたの労苦は主にあって無駄ではない!」と心から感謝できました。
 とっても報われた気持ちで、一年を終えることができて感謝でした。

 明日も元旦から、感動的な伝道者の書からお話しできることにわくわくしています。

以下は詩篇10篇です。自分の労苦が無駄になってはいないかと嘆くときの慰めの詩篇ですが、本当に神様は、時に応じて豊かな報いを与えてくださいます。

詩篇10篇1–6,14–17節「害毒と苦痛を見られる神」

 この詩は伝統的に9篇とセットで読まれてきました。ただ、ここでは、「主 (ヤハウェ) 」が「遠く離れて」、「苦しみのときに……身をかくされ」ているようにしか思えないという現実に、作者は圧倒されています (1節)。
 そして、「神はいない」と公言する「悪者」の「道はいつも栄え」「敵という敵を……吹き飛ば」しているように見えます (4、5節)。
 残念なのは、神を否定する者の心の方が平安に満たされているという皮肉が見られることです (6節)。
 それはしばしば、私たちの現実でもあります。神に従おうとする者が次々と苦しみに会い、「神はいない」と言う者の方が、繁栄し、平安に暮らしているという中で、信仰生活が空しく感じられることが、あなたにもあるかもしれません。

 そのような中で、14節で突然、神に向かっての賛美が、「あなたは、見ておられました。害毒と苦痛を。彼らを御手の中に収めるためにじっと見つめておられました」と記されます。
 これは、主ご自身が、ご自分の民がこの地で体験する「害毒と苦痛」をみこころを痛めながら、見つめておられたという意味です。それは私たちにとって、神の御子の主イエスご自身が十字架で苦しんでくださったことに現されています。

 それを前提に、「不幸な人は、あなたに身をゆだねます。あなたはみなしごを助ける方でした……あなたは貧しい者の願いを聞いてくださいました。あなたは彼らの心を強くしてくださいます」と告白されます (14、17節)。
 これは、たとい「主 (ヤハウェ) のさばき」は多くの人々にとって「遅すぎる」と思えたとしても、歴史を振り返ってみると、その時々に、神の御手の中で守られてきたという現実がありました。
 ときに、不条理な死を遂げる人があっても、キリストの復活を見るならば、神の真実なご支配の中で私たちが守られ続けるという確信を持つことができます。この世の不条理を十字架と復活で正される神は、私たちの想像をはるかに超えた救いを実現されます。


【祈り】 世に不条理が満ちているように思える時、イエスの十字架と復活の意味を思い起こさせてください。人ではなく、神の視点から、この世界を見させてください。