現代の多くの信仰者も、「私にとっての神のみこころは何でしょう……」と真剣に尋ねることがあるでしょう。しかしそれが示されたときに、それに従う用意ができているでしょうか。
ユダの残りの民はエルサレムがバビロンによって滅ぼされ、さらに残された自分たちの立場も危うくなった時に、真剣に神のみこころを、エレミヤを通して知ろうとしました。しかしそれが語られた時、彼らはそれに従うことができませんでした。それは、彼らの価値観が、当時の世界常識に囚われすぎ、神のみこころに対応する柔軟性が無かったからです。
バビロンの王ネブカドネツァルはエルサレムを焼き滅びした後、残されたユダの地を治めさせるためにミツパ(エルサレムの北方約12km)でアヒカムの子ゲダルヤを総督に立てます。そこにエレミヤをはじめ、多くの残されたユダヤ人が集まって来ました。
ゲダルヤは、主(ヤハウェ)恐れる重臣の家系で、人徳がありました。しかし、ダビデ王家の流れをくむネタンヤの子イシュマエルは、ヨルダン川東のアンモン人の王と背後で手を結び、総督ゲダルヤをミツパでの食事の最中に暗殺してしまいます。イシュマエルはミツパに残っていたすべての民を贈り物の捕囚にようにして、アンモン人のところに向かいました (41:10)。
そこで「カレアハの子ヨハナンと、彼とともにいたすべての高官たち」は、イシュマエルと戦うために出て行き、ミツパで虜にされた民は解放されますが、「イシュマエルは、八人の者とともにヨハナンの前から逃れ、アンモン人のところへ行った」(41:11–15) と描かれます。
この曖昧な勝利は、残されたユダヤ人たちを不安に陥れました。それで、「ヨハナンと、彼とともにいたすべての高官たち」は、「イシュマエルから取り返したすべての残りの民……たちを連れて、ミツパからエジプトに行こうとして」、ベツレヘム近郊にまで南下したと描かれます (41:17)。彼らは総督ゲダルヤが殺された責任を、バビロンの王から問われることを恐れていたからです。
1.「それが良くても悪くても私たちは……主 (ヤハウェ) の御声に聞き従います」
42章1–3節では、「軍のすべての高官たち、カレアハの子ヨハナン、ホシャヤの子イザンヤ、および身分の低い者も高い者もみな近づいて来て、預言者エレミヤに」、『どうか、私たちの願いを受け入れてください。私たちのために、この残りの者すべてのために、あなたの神、主 (ヤハウェ) に祈ってください。ご覧のとおり、多くの者の中からごくわずかに私たちだけが残ったのです。あなたの神、主 (ヤハウェ) が、私たちの歩むべき道と、なすべきことを私たちに告げてくださいますように』と言った」と記されます。
40章13節〜41章18節に描かれた悲劇の中で、エレミヤがどのような立場に置かれていたかは分かりません。かつて神が彼にアナトテにあるおじの土地を買うように命じたとき、「再びこの地で、家や畑や、ぶどう畑が買われるようになる」(32:15) と言われましたが、エレミヤは総督ゲダルヤのもとでそれが実現する可能性を期待していたかもしれません。確かにバビロンの支配は七十年と言われていましたが、そのような中でも、ユダヤ人のこの地での生活が続けられることが期待できたはずだからです。
ところがその要のゲダルヤが殺されてしまいました。そのような中で「カレアハの子ヨハナン」を中心とした人々は、自分たちが主への不信の罪のためにエレミヤが預言した通りの悲惨に次ぐ悲惨を体験したことを覚え、「私たちの神、主 (ヤハウェ)」と呼ぶ代わりに、「あなたの神、主 (ヤハウェ) 」と呼びながら、主の新たな導きを真剣に求めて来ました。
そこで「預言者エレミヤ」は、「見よ、あなたがたの神、主 (ヤハウェ) に祈ります、あなたがたのことばのとおり」と言い換えて、「主 (ヤハウェ) があなたがたにお答えになることはみな、あなたがたに告げましょう。何事も、あなたがたに隠しません」(42:4) と応答します。
それに対して彼らは、「私たちは必ず、あなたの神、主 (ヤハウェ) が私たちのためにあなたを遣わして告げられることばのとおりに、すべて行います」とまず答え、再び主の御名を呼び変えるように、「それが良くても悪くても私たちは、あなたを遣わされた私たちの神、主 (ヤハウェ) の御声に聞き従います。私たちの神、主の御声に聞き従って幸せを得るためです」と、自分たちの主(ヤハウェ)の御声に従うことが、一見都合が悪く思えても、自分たちためになるという確信を告げます (42:4–6)。
「十日たって、主 (ヤハウェ) のことばがエレミヤにあった」(42:7) と記されますが、主がなぜこの緊急事態下で十日間も待たせたのかは不思議です。エレミヤも焦ったことでしょう。
そこで彼はそこにいる「すべての人を呼び寄せて」、主のことばを「あなたがたがこの地にとどまるのであれば、わたしはあなたがたを建て直して、壊すことなく、あなたがたを植えて、引き抜くことはない。わたしはあなたがたに下したあのわざわいを悔やんでいる(深く悲しんでいる)からだ」(42:10) と不思議なことを言われます。
「悔やむ」とは「後悔」ではなく「深い呼吸」を意味することばで、そこにご自身のさばきを下さざるを得なかった主の深い悲しみがあり、そこから主の新しいみわざを期待できる契機と言えます。
ただそこで彼らに求められるのはバビロンの王の支配下にある「この地にとどまる」ことです。それで主(ヤハウェ)は「恐れる」ということばを三回繰り返しながら、「恐れるな、目の前のバビロンの王を、あなたがたが恐れている目の前の者を。目の前の王を恐れるな」(42:11私訳) と言われます。
さらに「主 (ヤハウェ) のことば」と保証しながら、「それは、わたしがあなたがたとともにいて、あなたがたを救うからだ、彼の手から助け出す。わたしがあなたがたにあわれみを施す。彼は、あなたがたをあわれみ、自分たちの土地に帰らせる」と言います (42:11、12私訳)。ここに、主ご自身がバビロンの王を動かしてくださるという約束が加えられています。
それと同時に主の警告として、「もし、あなたがたが、『私たちはこの地にとどまらない』と言って、あなたがたの神、主 (ヤハウェ) の御声に聞き従わないなら」と言って、彼らがエジプトに逃れようとする思いに厳しい警告を発します。
それはエジプトこそが彼らを守ってくれるという幻想を抱いているからですが、それに対して主は、「あなたがたの恐れている剣が、あのエジプトの地であなたがたを襲い、あなたがたが心配している飢饉が、あのエジプトであなたがたに追い迫り、あなたがたはそこで死ぬ」と言われます (42:16)。
さらに主はエジプトでの「剣と飢饉と疫病」による「死」が主ご自身のさばきであることを明確にします (42:17)。そしてさらに主(ヤハウェ)は、エルサレムに対する主の「怒りと憤り」を思い起こさせながら、「わたしの憤りはあなたがたの上に注がれ、あなたがたは、のろいと恐怖のもと、ののしりとそしりの的になり、二度とこの場所を見ることはない」と言われます (42:18)。
当時のエジプトは一時的に国力を回復していた王朝で、ファラオはカナンの小さな民族がバビロン軍に屈しないように様々な援助をしていたようです。
ですから、主がエレミヤを通して言われたことの中心は、目に見えるエジプトの力に頼るのか、それともイスラエルの神に信頼するのかという選択を迫る意味がありました。
それを前提にエレミヤは最後に、主のことばを要約して、「ユダの残りの者よ、主 (ヤハウェ) はあなたがたに『エジプトに行ってはならない』と言われた」(42:19) と述べます。
それと同時に、彼らがすでに主の警告を無視してエジプトに逃れようとしていることを知って、「あなたがたは、自分たちのいのちの危険を冒して迷い出てしまった」(42:20) と言い、彼らが主のみこころを求め、またそれに従うと言ったことばが彼らの本心ではなかったことを指摘します。
彼らはエジプトの助けと、主の救いの二股をかけて、それが両立する道しか求めていませんでした。これは私たちの人生の中でも起こり得ることです。主のみこころを真剣に求めると言いながら、「この道に進んではならない」というみこころを聞いても、かえって、その道に進もうとすることの方が現実的な救いに見えて、目の前の問題から逃げることばかりを考えてしまうかもしれません。
2.「わたしがエジプトの神々の神殿に火をつけるので……」
43章1–3節ではそれへの対応が、「ホシャヤの子アザルヤ、カレアハの子ヨハナン、および高ぶった人たちはみな、エレミヤにこう告げた。『あなたは偽りを語っている。私たちの神、主 (ヤハウェ) は『エジプトに行ってそこに寄留してはならない』と言わせるために、あなたを遣わされたのではない。ネリヤの子バルクが、あなたをそそのかして私たちに逆らわせ、私たちをカルデア人の手に渡して……死なせるか……バビロンへ引いて行かせようとしている」(43:2、3) と記されます。
彼らは少し前に、「それが良くても悪くても……あなたを遣わされた私たちの神、主 (ヤハウェ) の御声に聞き従います」と言ったのですが、期待に反する答えを聞くと、それは主のみこころではないと拒絶しました。これこそ肉なる人間の姿です。
その結果、「ヨハナンと、軍のすべての高官たちは、散らされていた国々からユダの地に住むために帰っていたユダの残りの者すべて……侍従長ネブザルアダンが……ゲダルヤに託したすべての者……さらに、預言者エレミヤと、ネリヤの子バルクを連れて、エジプトの地に行った」(43:4–7) と描かれます。
エレミヤも書記のバルクも、残りのユダの民を守るためにこの地に残ったのに、その同胞によってエジプトの地に連行されてしまいました。
そのことが「こうして、彼らはタフパンヘスまで来た」(43:7) と記されますが、それはナイル川河口デルタの東の地でエジプトの領地でした。彼らはこれでバビロンの攻撃を恐れる必要がなくなったと安心したことでしょう。
ところが43章8–10節では、そこで主(ヤハウェ)はエレミヤに、「手に大きな石を取り、それらを、ユダヤ人たちの目の前で、タフパンヘスにあるファラオの宮殿の入口にある敷石の漆喰の中に隠して、彼らに言え。『イスラエルの神、万軍の主 (ヤハウェ) は……人を遣わし、わたしのしもべ、バビロンの王ネブカドネツァルを連れて来て、彼の王座を、わたしが隠したこれらの石の上に据える』」と記されます。
つまり、ユダの民がエジプトに救いを求めても、バビロンの王が「エジプトの地を打ち、死に定められた者を死に渡し、捕囚に定められた者を捕囚にし、剣に定められた者を剣に渡す」というのです (43:11)。これは、主のさばきの御手から誰も逃れることができないという意味です。
この当時の多くの人々は、バビロンのような新興国よりも伝統あるエジプトに信頼を寄せていました。
ところが主(ヤハウェ)は、「わたしがエジプトの神々の神殿に火をつけるので、彼(バビロンの王)はそれらを焼き、神々を奪い去る……エジプトの地にある太陽の神殿の石柱を砕き、エジプトの神々の神殿を火で焼く」(43:13) と言われます。
エルサレムの崩壊から約20年後の紀元前567、566年にネブカドネツァルは確かにタフパンヘスを一時的に攻略しますが、最後は失敗に終わったとも言われます。ただそれから40年後の紀元前525にエジプト全体がペルシアに服属することになりますから、エジプトがユダヤ人を守ることができなかったことは確かで、その意味でこの預言は成就したと言えましょう。
ユダの残りの民は、バビロンへの恐れに圧倒されていました。せっかく主のみこころを求めながら、それを信じることができず、それに反して、人の目に大国と見えたエジプトに助けを求め、そこで死ぬことになります。
残念なのは、エレミヤも一緒に連行されたことです。彼がどのように死んだかは不明ですが、彼は自ら苦しみの道を選び取りました。そこに、反抗する民に最後まで語りかける神のあわれみがありました。
3.「天の女王に犠牲を供えていたとき、幸せだった」と言う民
44章1節では、「エジプトの地に住むすべてのユダヤ人、すなわちミグドル、タフパンヘス、メンフィス、およびパテロス地方に住む者たちに対する、エレミヤにあったことば」と記されます。
ミグドルは最もカナンに近いエジプトの前線基地、タフパンヘスはエレミヤが主のことばを受けた地、メンフィスはエジプト北部の中心都市、パテロス地方とはテーベの南のナイル川上流エジプト南部です。つまり、イスラエルの民は、ただでさえ人数が少なくなっているのに、エジプトに分散して住んだのです。これは彼らが自分でエジプト人に混ざってしまうことを意味します。
そこで主(ヤハウェ)は彼らに、「あなたがたは、わたしがエルサレムとユダのすべての町に下した、あのすべてのわざわいを見た。見よ。その町々は今日、廃墟となって、そこに住む者もない。彼らが悪を行って、わたしの怒りを引き起こしたためだ。彼らは、自分自身も、あなたがたも先祖も知らなかったほかの神々のところに行き、犠牲を供えて仕えた」(44:2、3) とユダ王国滅亡の原因が偶像礼拝にあったことを改めて述べます。
その上で、「なぜ、あなたがたは……エジプトの地でも、ほかの神々に犠牲を供えて……わたしの怒りを引き起こすのか。こうして……自分たち自身を断ち滅ぼして……ののしりとそしりの的になろうとしている」(44:8) と警告を発します。
それで主は、「エジプトの地に……寄留しようと決意したユダの残りの者を取り分ける。彼らはみな……剣と飢饉に倒れて滅びる……ユダの地へ帰ろうとしている……残りの者には、逃れる者も生き残る者もいない。彼らはそこに帰って住みたいと心から望んでいるが、わずかな逃れる者以外は帰らない」(44:12–14) とごく少数者を除くすべてが滅びると宣告しました。
44章15–18節では、これに対し妻たちの偶像礼拝を知っている男たちと「大集団をなしてそばに立っている女たちすべて」はエレミヤに、「私たちは……天の女王に犠牲を供え、それに注ぎのぶどう酒を注ぎたい。私たちはそのとき、パンに満ち足りて幸せで、わざわいに会わなかった。だが、天の女王に犠牲を供え、それに注ぎのぶどう酒を注ぐのをやめたときから、私たちは万事に不足し、剣と飢饉に滅ぼされたのだ」という論理で反論しました。
それはこの40年近く前、ヨシヤ王がエルサレム神殿から偶像を排除しますが、その十数年後にエジプトの王に不必要な戦いを挑んで戦死し、その後、国が急速に没落したという経緯を語ったものです。
しかしエルサレムに対する主のさばきは、その前の最悪の王マナセのときに確定しており、ヨシヤはそれを遅らせることしかできなかったのです (Ⅱ列王記22、23章)。
つまり、主がイスラエルの民をあわれんでさばきを遅らせたことが、彼らには「天の女王」の「さばき」と見えてしまったというのです。なぜなら、この「天の女王」と呼ばれるイシュタルは、バビロンで人気のあった豊穣の神で、バビロンの繁栄は、イスラエルの神が無力で、バビロンの神々に力があることの証しになっていたと思われるからです。
なおこの偶像礼拝を主導していた女性たちだったので (44:9)、「私たち女が、天の女王に犠牲を供え、彼女に注ぎのぶどう酒を注ぐとき、女王にかたどった供えのパン菓子を作り、注ぎのぶどう酒を注いだのは、夫をなおざりにしてのことだったでしょうか」(44:19) と、それが夫たちの決断でもあったと述べます。7章18節では、これが家族全体の礼拝行為だったようすが描かれていました。
それに対して、エレミヤは、「主 (ヤハウェ) は、あなたがたの悪い行い……あの忌み嫌うべきことのために、もう耐えることができず、それであなたがたの地は今日のように、住む者もなく、廃墟となり、恐怖のもと、ののしりの的となったのだ」(44:22) と、このようになったのは、主ご自身が彼らの悪に耐えられなくなったからであると説明しました。
ところが44章25節で主は、「あなたがたは、天の女王に犠牲を供えて彼女に注ぎのぶどう酒を注ぐという誓願を、必ず実行すると言っている。では、あなたがたの誓願を確かなものとし……誓願を必ず実行せよ」と彼らに逆説的に命じます。
さらに主は、「見よ。わたしは彼らを見張っている。わざわいのためであって、幸いのためではない。エジプトの地にいるすべてのユダの人々は、剣と飢饉によって、ついには完全に滅び失せる。剣を逃れる少数の者だけが……ユダの地に帰る。こうして、エジプトの地に来て寄留しているユダの残りの者たちはみな、わたしのことばと彼らのことばの、どちらが成就するかを知る」(44:27、28) と言われます。
そして最後に「エジプトの王ファラオ・ホフラ」(44:30) の滅亡を予告しますが、この王は紀元前589年から570年に在位した王で、一時、カナンに軍隊を進めゼデキヤを支援しました。しかし彼は家来の将軍の反乱によって命を落とします。そして、そのようなエジプトの内紛も、主のみわざだというのです。
ところで、南エジプトのナイル川の中にあるエレファンティンという島から紀元前5世紀後半のユダヤ人集落の跡が発掘されました。そこには、彼らがイスラエルの神ヤハウェと並行して天の女王を拝んでいたことを思わせる文書が発見されています。彼らはエジプトで混合宗教に陥り、滅びて行ったのだと思われます。
これは、バビロンに捕囚とされたユダヤ人たちがその後、主に熱心に立ち返るようになるとの対照的です。
古代世界においては、エジプトこそが世界の覇者でした。紀元前7世紀にアッシリアの支配下に屈することがありましたが、ファラオ・ネコ2世(紀元前610~595年)のもとで勢力を回復し、その後アプリエス(先のファラオ・ホフラ)、彼を退けて将軍からファラオになったアマシス(紀元前570~526年の36年間の在位)はエジプトの権威を復興させます。
これはエレミヤ預言と矛盾しているようにも見えますが、その直後にエジプトがペルシア帝国の支配に屈することを考えるなら、「ユダの残りの民」がエジプトに頼ったことの愚かさが明らかになります。
全能の主、歴史の支配者である神を信じる人々は、世界標準では伝統を重視する保守派が多いように思えます。古い時代を導いた神様が、現代の政治をも導くと考えるからでしょう。これは当時のイスラエルの信仰者にとってもそうだったかもしれません。
紀元前612年にアッシリアをメデイアとともに滅ぼして、紀元前605年のカルケミッシュの戦いでエジプト軍に勝利したネブカドネツァル(紀元前605–562年)はそれまでの国際秩序を乱す野蛮な王に過ぎないと見られていました。
預言者エレミヤが、ネブカドネツァルは神によって立てられたと言っても、当時の知的な人々にとっては非常識としか思えませんでした。
ここに登場する「天の女王」は、本来アッシリアやバビロンで礼拝されていた豊穣の神ですが、エジプトでも人気があったようです。ある意味で、イスラエルの神ヤハウェよりも国際性のある神々とも見られました。
しかも、この「天の女王」がエジプトでも礼拝されるのであれば、エジプトに逃れたユダヤ人が現地の人々と調和する上では役に立つ神々と思えたことでしょう。これはこの世と調和できる礼拝と見られました。
使徒パウロは若いクリスチャンに向けて、「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそあなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるかを見分けるようになります」(ローマ12:1、2) と命じました。
日本はある意味で当時のエジプトに匹敵するような伝統が大切にされている国です。そこに生ける神のご支配を認める信仰者もいるかもしれません。しかし、だからこそ、そこに無意識の偶像礼拝の習慣が入り込みます。
ユダの残りの民は、ある意味で真剣に神のみこころを求めていましたが、当時の世界的な常識に馴染み過ぎて、イスラエルの神のユニークな命令を理解することができませんでした。それと同じ危険が日本人にも起きているのではないでしょうか。みこころを求める前に、心を神に変えていただく必要があります。
預言者ミカ6章8節には、神のみこころに関して、「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか」と記されています。
まさに「神のみこころとは」、あなたが右に進むか、左に進むかという選択に関して以前に、今ここでの生き方を指しているのです。そして、それは世界的に通用する知恵や能力のようなものではありません。この世との調和を目指す人には決して理解できないことばです。まさに、神によって心が変えられた結果として理解できる「ここでの生き方」と言えましょう。
讃美歌333の1番の原歌詞は「私を捕囚としてください (make me a captive)。すると私は自由になれます)という逆説的なものです。
2番も「私の心は弱く貧しく不自由だ、あなたの鎖に捕らえられるまでは」、
3番も「私の力は弱く乏しい、天の霊で動かされるまでは」、
4番も「私の意思は自分のものではない、あなたがそれをご自身の意思とされるまでは」と歌われます。
私たちはみな心の自由を求めますが、それは神ご自身によって捕らえていただいて初めて体験できるものです。ユダの残りの民は、バビロンの支配下で生きることを恐れる余り、エジプトからの甘い誘いに乗ってしまいます。
しかしエジプト文化はすべてを根無し草のように呑み込み同化させる沼地でした。これは日本文化に通じます。私たちの信仰は、社会的な不安定さと適度の恐れの中でこそ培われるものです。敢えて不安と危険の中に遣わされ、創造主の力を体験しましょう。