今日の朝の祈祷会で、皆が口々に、世界各地での戦争や各国内の争いのことが話題にして、ともにお祈りしていました。
私たちは「神の御腕」、つまり、神のみわざが見えないと思いますが、預言者イザヤは、神のご支配は 貧しい姿を取る救い主に現れたと語ります。以下のイザヤ52章7節、イザヤ53章1–4節です(私訳)。
主 (ヤハウェ) は聖なる御腕を現された、
すべての国々の目の前に。
地の果て果てもみな見る、
私たちの神の救いを。
……
だれが私たちの聞いたことを信じたか。
主 (ヤハウェ) の御腕は、だれに現れたのか。
彼は御前で若枝のように芽生えたが、
乾いた地から出ている根のようだった。
見とれるような姿も、輝きも彼にはなく、
私たちが慕うような見ばえもない。
さげすまれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で、病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼が負ったのは私たちの病、
担ったのは私たちの悲しみ。
キリスト・イエスにある救いの神秘をドイツ最高の詩人と呼ばれる17世紀のパウル・ゲルハルドは「飼い葉桶の傍らに」(讃美歌107番別訳) で次のように歌っています。その百年後にバッハがこれに新しいメロディーをつけました。
飼い葉桶に眠る赤ちゃんは全世界の創造主であり、私たち一人一人をご自身のかけがえのない弟妹として選んでくださった方なのです。
以下でバッハの時代の楽器での演奏が聞かれます
歌詞の直訳を以下でご覧くだり、お聞きいただければ幸いです。
- 私は今、あなたの飼い葉桶のかたわらに立っている。イエス、私のいのちよ。
あなたからいただいたものを携え来て、あなたにそれらをささげよう。
どうかお受けください。ここにある、私の霊、感覚、心、たましい、思いを。
これらすべてをお受けください。それがあなたに喜ばれますように。 - 私が生まれる前に、あなたは私のために生まれてくださった。
あなたは私をご自分のものにしようと、私があなたを知る前に私を選んでくださった。
何と、私があなたの手で造られる前から、あなたは私の救い主になることを望まれ、
そのことをすでに思い量っておられた。 - 私が深い死の暗闇に横たわるようなときにも、あなたは私の太陽であられる。
私にもたらされた太陽、それは 光、いのち、喜び、楽しみ。
そのまことの光は、私のうちに信仰の光を灯してくださった。
あなたの輝きは何と美しいことか。 - 私は喜びを持ってあなたを見つめるが、満足に観ることはできない。
今は、これ以上はできないので、私はただ祈りつつ、たたずんでいる。
この感覚が底知れず豊かで、このたましいが海のように広いなら、
ああそうであるなら、あなたを理解することができるのに……
- ただ一つのことをあなたに願いたい。私の救い主よ。それを退けないでください。
あなたをたえず、私のうちに、そばに、かたわらに担わせてください。
この私を、あなたの飼い葉桶として 用いてください。
どうか、あなたご自身とあなたの喜びのすべてが私のうちに宿ってくださるように!