ダビデ王国の地上的な滅亡の過程 年表
「国家とは、他国からの核攻撃や侵略では決して滅びない。むしろ国は、内側から滅びる」と言われます。ローマ帝国や中国の帝国が内側の腐敗によって滅亡したとしばしば描かれますが、人間の目には驚くほど小さな国ですら、滅ぶときは「内側から滅びている」ことが今回の箇所で明らかになります。それは、すべての共同体、組織に適用できる原則です。
それにしても、まわりの人々が、次から次と保身に走るようになるとき、自分も巻き添えになるのではないかと不安になっても当然でしょう。しかし、だからこそ、詩篇作者も、「主に身を避けることは良い、人に信頼するよりも。 主に身を避けることは良い、君主たちに信頼するよりも」(詩篇118:8、9) と歌っています。
そして、それぞれが主に心から信頼するとき、そこに結果的に互いへの信頼関係が生まれます。人の和を作ろうと頑張ると、人に裏切られます。しかし、人はいざとなったら裏切るということを知りながら、主に信頼するときに、人を許すことができ、また互いへの信頼が生まれます。
1.「私は、カルデア人に投降したユダヤ人たちことを恐れている」
38章は37章と同じ時期のことを描いています。4節ではエレミヤのメッセージを聞いた首長たちが王に、「どうか、あの男を死刑にしてください。彼は……この都に残っている戦士や民全体の士気をくじいているからです。実にあの男は、この民のために平安 (シャローム) ではなくわざわいを求めているのです」と迫っています。より大きな「わざわい」を避けるためのことばが、「わざわいを求める」ものと非難されました。
これに対してゼデキヤ王は、「見よ、彼はあなたがたの手の中にある。王は、あなたがたに逆らっては何もできない」(38:5) と王権を否定する発言をします。
彼はバビロンのネブカドネツァルの傀儡政権でしたから、家臣に対して権威を発揮はできませんでした。しかし37章3、17節に描かれたように、ゼデキヤはエレミヤを主の預言者と認めていたはずですから、これは卑怯な言い逃れです。
彼は、神よりも人を恐れていたのです。その結果、「彼らはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある……穴に投げ込んだ……穴の中には水がなく、あるのは泥だけだったので、エレミヤは泥の中に沈んだ」(38:6) という絶体絶命の危機に追いやられました。
そこで、「王宮にいたクシュ人の宦官エベデ・メレクは」、王にエレミヤの助命を嘆願し、「わが主君 (アドナイ)、王よ。あの人たちが預言者エレミヤにしたことは、みな悪いことばかりです。彼らはあの人を穴に投げ込みました。もう都にパンはありませんので、あの人はそこで飢え死にするでしょう」(38:7–9) と言います。
何とエチオピア出身の「宦官」が、エレミヤ救助に立ち上がりました。これに心を動かされたのか、王は、この人に命じ、「ここから三十人を連れて行き、預言者エレミヤを……その穴から引き上げなさい」(38:10) と言います。
ゼデキヤにはそれなりの優しさと反省能力がありました。愛に満ちた人の意見には、愛で応答する姿勢が見られます。それを受け、「エベデ・メレクは人々を率いて、王宮の宝物倉の下に行き、そこから着ふるした着物やぼろ切れを取り、それらを綱で穴の中のエレミヤのところに降ろし……綱で穴から引き上げた。こうして、エレミヤは監視の庭にとどまった」(38:11–13) という安全な状況が確保されました。
その後、再び、「ゼデキヤ王は人を送って、預言者エレミヤを……召し寄せ」、「私はあなたに一言尋ねる。私に何も隠してはならない」(38:14) と言います。それに対しエレミヤは、「もし私があなたに告げれば、あなたは必ず私を殺すのではありませんか。私が……忠告しても、あなたは……聞かないでしょう」(38:15) と、今までの彼の態度を責めます。
それに対し、「ゼデキヤ王は、ひそかにエレミヤに誓って」、「主 (ヤハウェ) は生きておられる。私は決してあなたを殺さない。また、あなたのいのちを狙うあの者たちの手に……渡すことも絶対にしない」(38:16) と約束します。少なくとも彼は自分を誠実な人間だと思っていたことが明らかです。
するとエレミヤは王に、「もし、あなたがバビロンの王の首長たちに降伏するなら、あなたのたましいは生きながらえ、この都も火で焼かれず、あなたもあなたの家も生きながらえる。あなたが……降伏しないなら、この都はカルデア人の手に渡され、火で焼かれ、あなた自身も彼らの手から逃れることができない」(38:17、18) と述べます。
ただこれは今までとは何も変わらないことばですが、これによってゼデキヤの本音が引き出されます。そこで王は、「私は、カルデア人に投降したユダヤ人たちことを恐れている。カルデア人が私を彼らの手に渡し、彼らが私をなぶりものにするではないか」(38:19) という恐怖を訴えました。
皮肉にも、王が恐れていたのは、敵であるカルデア人ではなく、味方であるはずのユダヤ人からの攻撃でした。
ゼデキヤ王がエルサレムや民衆の将来よりも自分の身の安全を心配しているのには唖然とさせられますが、エレミヤはそのような身勝手な気持ちに寄り添うように、「カルデア人はあなたを渡しません。どうか、主 (ヤハウェ) の御声に……聞き従ってください。そうすれば……幸せになり、あなたのたましいは生きながらえます」(38:20) と語ります。
これは手術を恐れる癌患者に、医者が「今、手術を受けるなら直ります」と優しく説得することに似ています。しかし、同時に「もしあなたが降伏するのを拒むなら、これが、主 (ヤハウェ) が私に示されたことばです」(38:21) と言いながら、「ユダの王の家に残された女たちはみな、バビロンの王の首長たちのところに引き出され」、彼女たちが自分のことばで、王の優柔不断を責め、王も仲間に裏切られると言い合うと告げられます (38:22)。
そればかりかエレミヤは王に、今までと同じように、一時的な痛みを避けようとすることが、彼と家族とエルサレム全体にどれほど大きなわざわいを招くかと厳しく警告します (38:23)。
それに対し、ゼデキヤはエレミヤに「だれにも、これらのことを知らせてはならない。そうすれば、あなたは死なない」と沈黙を命じます。そればかりか、首長たちが話の内容を尋ねても、「王がヨナタンの家に私を返し、そこで私が死ぬことがないようにと、王の前に嘆願していた」(38:26) と答えるようにとまで命じます。これは37章20節に記されたようにエレミヤが願ったことですが、本質を徹底的に歪めています。
これは、手術を勧められた患者が、それを聞かなかったことにしようと心で決め、癌のことなど忘れていたら、癌細胞も自分を忘れてくれると信じるようなものです。しかしそれは問題の先送りに過ぎません。
そして「首長たちがみなエレミヤのところに来て……尋ねたとき、彼は、王が命じたことばのとおりに……告げた」(38:27) と記されます。それは首長たちにも、真実を聞こうとする姿勢がなかったからです。
そして、「エレミヤは、エルサレムが攻め取られる日まで、監視の庭にとどまっていた。このようにしてエルサレムが攻め取られた」(38:28後半私訳) と記されます。彼らは主のことばに対して耳を閉ざすことによって、自滅に向かって行ったのです。
これは、どの国でも戦争末期に起こることかもしれません。民衆が指導者に早期に戦いを止めて欲しいと心の底で思っていたとしても、指導者は徹底抗戦を叫ぶことで自分の地位を守ろうとします。民衆は、敵よりも自分たちの指導者や同胞からの攻撃を恐れて何も言えなくなりますが、心の底では指導者に対する憎しみを増幅させています。
それにしてもゼデキヤのことばには、エルサレムの町やその住民に対する心配が全く出てきません。これがしばしば、勇ましいことを言って戦意を鼓舞する指導者の心の現実かもしれません。私たち自身もときに自分が本当は何を恐れているのか、問い直する必要があるのではないでしょうか。
とにかく、これで明らかになるのは、王も他の指導者も心の底で、エルサレムの一般市民のことよりも自分のことばかり心配し、互いに無意味な楽観的な希望を語り合い、互いをけん制し、自滅に向かっているということです。エルサレムはまさに自己保身を求める指導者によって、絶滅に向かっています。
2.「バビロンの王はゼデキヤの目をつぶし……彼に青銅の足かせをはめた」
39章1節での「ユダの王ゼデキヤの第九年、その第十の月」とは、紀元前588年1月頃のことだと思われますが、「バビロンの王ネブカドネツァルは、その全軍勢を率いてエルサレムに攻めて来て、これを包囲し」ました。
そしてそれから約一年半後の「ゼデキヤの第十一年、第四の月の九日」つまり、紀元前587年の7月頃に「町は破られ」ました (39:1、2)。
その直前に町の飢饉が激しくなり、親が自分の子を焼いて食べるというほどの悲惨が起きました (52:6、哀歌2:20、4:10)。それは既にモーセによって預言され (申命記28:53)、またエレミヤも預言していたことでした (19:9)。この悲惨を招いたのはゼデキヤ王の優柔不断な姿勢でした。
ゼデキヤは人の顔色ばかりを見て、一見柔軟に対応しますが、彼がエレミヤに本音を語ったように (38:19)、自分の身を守ることばかりを優先し、エルサレムや神殿の将来のことを心配していませんでした。
実際、町が破られ、バビロンの指導者たちが突入してきたとき、「ユダの王ゼデキヤとすべての戦士は、彼らを見ると逃げ、夜の間に、王の園の道伝いにある、二重の城壁の間の門を通って町を出て、アラバ(ヨルダン渓谷)への道に出た」(39:4) と描かれます。彼らにはエルサレムの住民を守るという意識がなかったことがこれで明らかになります。
その後、「カルデアの軍勢は彼らの後を追い、エリコの草原でゼデキヤに追いつき、彼を捕らえ、ハマテの地のリブラにいるバビロンの王ネブカドネツァルのもとに連れ上った」(39:5) と描かれます。ゼデキヤはエルサレムから東の方向に山を急いで下りきったのですが、そこで捕らえられ、はるか北に連行され、シリア中心部のリブラにいたネブカドネツァル王の前に立たされます。
そこで「バビロンの王は……ゼデキヤの息子たちを彼の目の前で虐殺し、ユダのおもだった人たちもみな虐殺した。さらに、バビロンの王はゼデキヤの目をつぶし、バビロンに連れて行くため、彼に青銅の足かせをはめた」(39:6、7) と描かれます。
ゼデキヤが最後に見た光景は、自分の息子が殺される場面であり、その後、彼の目がつぶされ、バビロンにまで連行されます。これが、神を恐れず、人を恐れてばかりいた自己中心者の最後でした。
そして、「カルデア人は、王宮も民の家も火で焼き、エルサレムの城壁を打ち壊した」(39:8) と簡潔に記されますが、繁栄を極めた町は廃墟とされたのです。
そして、「親衛隊の長ネブザルアダンは、都に残されていた残りの民と、王に降伏した投降者たちと、そのほかの残されていた民を、バビロンへ捕らえ移した」(39:9) とは第三次バビロン捕囚のことを指します。
「しかし……何も持たない貧しい民の一部をユダの地に残し、同時に彼らにぶどう畑と畑地を与えた」(39:10) と記されるように、彼らは決して残虐な人間ではありませんでした。
そればかりか「バビロンの王ネブカドネツァルは、エレミヤについて」、「彼を連れ出し、目をかけてやれ……ただ、彼があなたに語るとおりに、彼を扱え」(39:11、12) と、彼一人のための命令まで与えます。そして、「エレミヤを監視の庭から連れ出し……家に連れて行かせた。こうして彼は民の間に住んだ」(39:14) と描かれます。それは、エレミヤがエルサレムの指導者たちに速やかにバビロンに降伏することを勧めていたということを聞いていたからです。
こうしてエレミヤの命は守られましたが、それは、主がエレミヤに、「わたしがあなたとともにいて、あなたを救い……助け出す」(15:20) と約束しておられたとおりでした。
これに先立って「エレミヤが監視の庭に閉じ込められているとき」、主はエレミヤの命を守った「クシュ人エベデ・メレク」に対しても、「見よ。わたしはこの町にわたしのことばを実現させる。幸いのためではなく、わざわいのためだ。それらは、その日、あなたの前で起こる……しかしその日、わたしはあなたを救い出す……わたしは必ずあなたを助け出す……あなたがわたしに信頼したからだ」と言われます (39:15–18)。
つまり、人の顔色ばかり見て優柔不断だったゼデキヤは悲惨な最期を遂げ、主に信頼し続けたエレミヤもクシュ人の宦官エベデ・メレクも町が廃墟とされる中でも、その命が守られたというのです。
3.「カルデア人に仕えることを恐れてはならない。この地に住んで、バビロンの王に仕えなさい」
40章1節では、親衛隊の長ネブザルアダンは、エルサレムのすぐ北の町「ラマ」においてエレミヤを釈放したと記されます。
その際、ネブザルアダンはエレミヤに、「あなたの神、主 (ヤハウェ) は、この場所にこのわざわいを下すと語られた……あなたがたが主 (ヤハウェ) の前に罪ある者となり、その御声に聞き従わなかったので、このことがあなたがたに下ったのだ」(40:2、3) と、エルサレム征服をバビロンの意思以前に、主 (ヤハウェ) のみわざとして認めています。これはエレミヤの預言がバビロンにまで知られていたことの証しと言えます。
ネブザルアダンは、「もし……バビロンへ行くのがよいと思うなら……私があなたの世話をしよう」と言いながらも、「もしここにとどまるなら」(5節別訳)、「バビロンの王がユダの町々を委ねた、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤのところへ帰り、彼とともに民の中に住みなさい」と言います (40:4、5)。
シャファンとはヨシヤ王の書記で、発見された律法を最初に読み上げた人、その子アヒカムはエレミヤの命を守った人で、彼らの子ゲダルヤが総督と任じられたのでした。
それで「エレミヤは、ミツパ(エルサレムの北方約12km)にいるアヒカムの子ゲダルヤのところに行って、彼とともに、その地に残された民の間に住んだ」(40:6) と描かれます。当時エルサレムは廃墟になっていたからです。
そして「野にいた軍の高官たちとその部下たちはみな、バビロンの王がアヒカムの子ゲダルヤをその地の総督にして、バビロンに捕らえ移されなかった男、女、子どもたち、その地の貧しい人たちを彼に委ねたことを聞いた」ので、そこに「ネタンヤの子イシュマエル、カレアハの子ヨハナン」などが集まってきました (40:8)。
このイシュマエルは王族の一人で (Ⅱ列王25:25)、後にゲダルヤを暗殺し、ヨハナンはその彼を殺して、残りの民を、主のみこころに反してエジプトに導いた人です。つまり、バビロンへの抵抗運動を続けていたゲリラ兵士がゲダルヤのもとに集まってきたとも言えましょう。
そこでゲダルヤは彼らに誓って、「カルデア人に仕えることを恐れてはならない。この地に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたは幸せになる。この私は、見よ、ミツパに住んで、私たちのところに来るカルデア人の前に立とう。あなたがたは、ぶどう酒、夏の果物、油を収穫して器に納め、自分たちが手に入れた町々に住むがよい」(40:9、10) と抵抗運動を諦めるように言いました。
これは以前からのエレミヤのことばと同じです。そこで周辺の国々に逃れていたユダヤ人たちは、「ミツパのゲダルヤのもとに行き、非常に多くのぶどう酒と夏の果物を収穫した」という一時的な繁栄が生まれました (40:11、12)。
ところがそこで、カレアハの子ヨハナンはゲダルヤに、「アンモン人の王バアリスがネタンヤの子イシュマエルを送って、あなたを打ち殺そうとしているのをご存じですか」と尋ねます (40:14)。しかし、ゲダルヤは、それを信じませんでした。
ヨハナンは非常な危機意識を持っていたので、「では、私が行って、ネタンヤの子イシュマエルを、だれにもわからないように打ち殺しましょう。どうして、彼があなたを打ち殺し、あなたのもとに集められた全ユダヤ人が散らされ、ユダの残りの者が滅びてよいでしょうか」(40:15) とまで言いました。
ところがゲダルヤはヨハナンを差し止めたばかりか、「あなたこそ、イシュマエルについて偽りを語っている」(40:16) と非難しました。ゲダルヤはあまりにもナイーブだったのではないでしょうか。バビロンに抵抗運動を続けてきた人たちがすぐにバビロンに服従するなどというのは、甘い期待に過ぎません。しかも彼は、隣国の王の策謀にも無頓着で、自分を支えてくれるはずの人まで退けてしまいました。
ただバビロンの王はそのようなゲダルヤの性格を知っていたからこそ、彼を総督に任じたのでしょう。一方私たちは、イエスが弟子たちを派遣する際に、「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」(マタイ10:16) と言われたことを覚えるべきです。
人を疑わないのは良いことかもしれませんが、それは聖書的な発想ではありません。エレミヤもかつて、「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい」(17:9) と記したように、人の罪深さをよく知った上で、騙される危険をよく認識した上で、なおその人を愛してゆくというのが神のみこころです。
4.「ヨハナンと、彼とともにいたすべての高官たちは……ミツパからエジプトに行こうとして」
41章1節では「ところが第七の月」に「イシュマエルは、王の高官と十人の部下とともに、ミツパにいる……ゲダルヤのもとに来て、ミツパで食事をした」と描かれます。
そこで彼らは「ゲダルヤを剣で打ち殺し」(41:2)、ゲダルヤを支持するユダヤ人もバビロンの兵士も殺してしまいます。これはエルサレムが滅びた翌年のことかと思われます。
後に、エルサレム神殿が焼かれた第五の月と、この第七の月は、断食をして嘆く日と定められます (ゼカリヤ7:5)。この事件は、ユダヤの残りの民は、バビロンの王が総督に任じたゲダルヤのもとで、なお約束の地に住むことが許されていたのに、それが閉じられるきっかけになったからです。
それに続いてさらに大きな悲劇が起きます。「ゲダルヤが殺された次の日、まだ、だれもそれを知らなかったとき、シェケム、シロ、サマリアから八十人の者がやって来た。彼らはみな、ひげをそり、衣を引き裂き、身に傷をつけ、穀物のささげ物や乳香を手にして、主 (ヤハウェ) の宮に持って行こうとしていた」(41:5) と記されますが、彼らは昔の北王国の地に住んでいながらエルサレム神殿の崩壊を嘆き、廃墟となったエルサレムで嘆きつつ礼拝するためにミツパを通過しようとしました。
イシュマエルは彼らを歓迎するふりをし、殺して穴の中に投げ入れました。ただそのうちの十人だけが、「小麦、大麦、油、蜜など、畑に隠されたものがありますから」(41:8) と言って難を逃れることができました。これはイシュマエルが、神への熱心のためにバビロンに反抗していたのではないことを明らかにするとともに、食料に不足していたことを示します。
イシュマエルは、ミツパに残っていたすべての民をとりこにして、ヨルダン川東の国のアンモン人のところに向かいました (41:10)。つまり、王族の身分を誇る彼は同胞を敵国に売って、自分の身を守ろうとしたのです。
その後、「カレアハの子ヨハナンと、彼とともにいたすべての高官たち」は、イシュマエルと戦うために出て行き、ミツパでとりこにされた民は解放されますが、「イシュマエルは、八人の者とともにヨハナンの前をのがれて、アンモン人のところへ行った」(41:11–15) と描かれます。
もしヨハナンが、イシュマエルの首をはねてバビロンの王に届けることができたなら、その後のことは違っていたでしょうが、この曖昧な勝利は、残されたユダヤ人たちを不安に陥れました。
それで、「ヨハナンと、彼とともにいたすべての高官たち」は、「イシュマエルから取り返したすべての残りの民……たちを連れて、ミツパからエジプトに行こうとして」、ベツレヘム近郊にまで南下しました (41:17)。彼らは、バビロンの総督とされたゲダルヤが殺された責任を、バビロンの王から問われることを恐れていたからです。しかし、ヨハナンも神に信頼すべきでした。
多くの日本人は、指導者に無私な自己犠牲を期待します。しかし、たとえば世界で最も豊かなのはタイの王族で、彼らは大地主であるとともに途方もない金融資産を保有していると言われます。
それに比べて日本の天皇家の贅沢が話題になることはありません。徳川幕府の将軍も自分から身を引きました。第二次大戦後のマッカーサー元帥は、天皇が命乞いもせず、国民のために命を投げ出す姿勢を示した時、天皇制が日本の安定化の鍵だと悟ったと言われます。
しかし、そのような例は決して国際標準ではありません。
多くの国の支配者は、自分が権力を失ったとたん、自分の家族も財産も奪われることを恐れて、自己保身に走ります。そのような態度の連鎖によって、国や共同体は内部から崩壊します。私たちはイスラエルの滅亡の歴史を見て、創造主を礼拝するはずの民の指導者が、これほど自己中心の固まりであることに驚きます。
しかしそれが人間の罪の現実と言えるのかもしれません。だからこそエレミヤは、「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい……主 (ヤハウェ) が心を探り、心の奥を試し、それぞれの生き方により、行いの実にしたがって報いる」(17:9、10) と記し、「主 (ヤハウェ) に信頼する者」の祝福と幸いを歌っています。
全世界の創造主である神の御子は、敢えて最も貧しい人の仲間になるために、飼い葉桶の中に眠る赤ちゃんとなってくださいました。それは自分の身の安全を第一とするこの世の支配者たちと正反対な生き方でした。
そしてその謙遜な生き方に倣うことを可能にするために、今、キリストは聖霊を通して私たちのうちに住んでくださいます。イエスを主と告白する者は置かれた立場を超えた祝福を体験できるのです。