詩篇2篇〜韓国の戒厳令問題

 本日は昨日に続き、詩篇2篇の黙想です。

昨日深夜から韓国では恐ろしいことが起きています。国民の政治活動を制限する戒厳令が一時的に大統領令として発布されました。今後の政治の混乱は避けられません。それは日本の政治にも少なからず影響を与えることでしょう。

詩篇1篇と2篇はもともと一つの詩篇であったとの解釈があります。詩篇1篇は、主に信頼する者の幸いが歌われていますが、詩篇2篇は目に見える世界の混乱が描かれる中で、神の御子の支配が明らかにされます。

そこで「地の支配者は 教えを受けよ」(10節) と記されます。まさに多くの政治指導者たちにお読みいただきたい詩篇と言えましょう。

詩篇2篇私訳

なぜ 国々は 騒ぎ立ち (1)
 人々は むなしく 思い巡らし
地の王たちは 立ち構え (2)
 支配者たちは 結束して
主 (ヤハウェ) と 油注がれた者 (メシア) に逆らうのか?
 「さあ かせを砕き 縄を 切り捨てよう!」と (3)

天に座す方は それを笑う (4)
 主 (アドナイ) は 彼らをあざけり
燃える怒りで おののかせ (5)
 怒りをもって 彼らに語る
「わたしは わたしの王を 聖なる山シオンに 立てた」 (6)
 主 (ヤハウェ) の制定(布告)を 宣べよう (7)
主は私に言われた
 「あなたは わたしの子
わたしは きょう あなたを生んだ
 わたしに求めよ (8)
国々を あなたに受け継がせ
 地の果てまで あなたのものとする
あなたは鉄の杖で彼らを打ち (9)
 焼き物のように粉々にする」

それゆえ今 王たちよ 悟れ (10)
 地の支配者は 教えを受けよ
恐れつつ 主 (ヤハウェ) に仕え (11)
 おののきつつ 喜べ
御子に口づけせよ (12)
 怒りを招き その道で 滅びないために
怒りは 今にも燃えようとしている
 幸いなことよ すべて彼に身を避ける者は

詩篇2篇解説「主にある勝利」

 福音の核心とは、神の国(ご支配)がキリストによってこの地につぼみとして始まり、世界が平和(シャローム)の完成に向かっているという神の救いのご計画です。私たちが味わう悲しみは、その永遠の観点からしたら、束の間の間奏曲にすぎません。
 ヘンデルのオラトリオ「メサイヤ」第二部では、ハレルヤ・コーラスの前でこの箇所から四曲も歌われます。
 そこではまず、この世の権力者が、神に逆らうばかりか、「油注がれた者」、つまり「メシヤ(キリスト)」に逆らうのは「なぜ」なのかと問われます。それは、彼らが「天の御座」におられる方を知らないからです。

 5節では、主は彼らを、「燃える怒りで恐れおのかせる」と記されます。そのために、主は、「わたしは、わたしの王を、聖なる山シオンに立てた」(6節) と宣言されます。
 これは目に見えない神が、目に見える地上の王をエルサレム神殿に立てたという意味で、その「王」こそ、ダビデの子であるイエス・キリストであるという意味です。これこそ目に見える神の国の始まりです。
  
 7節では、「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ」と記されますが、これは神がご自身の子を、王として即位させられるという意味です。不思議にも、十字架こそは、イエスの玉座でした。
  
 9節では、父なる神が御子に、「あなたは鉄の杖で彼らを打ち、焼き物のように粉々にする」と約束されますが、それをもとにヨハネの黙示録では (2章27節、12章5節、19章15節)、再臨のキリストの勝利の支配が描かれます。
 それを前提にハレルヤ・コーラスでは、今、私たちの救い主イエス・キリストが、すでに「王たちの王、主たちの主」としてこの地を治めておられると歌われます (黙示11章15節、19章16節)。
 それは、目に見える不条理に中にすでに始まっているキリストの支配を歌ったものなのです。私たちはこの地上の生涯を、その天上の勝利の歌を霊の耳で聴きながら過ごすのです。


【祈り】 私たちの目には、主のご支配が見えないことが多いですが、すでにイエスはこの世界を統べ治めておられるということを、この心の目を開いて見させてください。