今後のウクライナとロシア 西側諸国の価値観——哀れみに胸を熱くする神

米国でのトランプ政権の誕生が、今後の世界に大きな影響を及ぼしそうです。正直、国際金融に多少なりとも関わったことがある立場からは、新しい政権が目指している保護貿易主義は理解に苦しみます。それは互いの首を絞め合うだけで、そこに新たな経済紛争と社会的弱者をさらなる自滅に追い込むという皮肉な未来が見えてしまうからです。

 しかし、ウクライナでの戦争の観点からは変化の可能性が出て来たという見方もあります。
 今までのバイデン政権の外交には、イデオロギー的な意味での「自由と民主主義」という西欧で養われてきた価値観を押し付けるというネオ・コンサーバティズム(ネオコン)の視点があったとも言われます。
 それからするとロシアの政権も政策も、単純に「悪」であって、その巨悪を屈服させるために、正義の戦いをせざるを得ないということになります。

 今年の6月末に、ウクライナで活動中の船越宣教師ご夫妻にお越しいただいた時、日本のロシア外交の頭脳とも認められている外交の専門家がお越しくださいました。
 その関係で、最近、元駐日ロシア大使のアレクサンドル・パノフ氏が書いた「現代の『戦争と平和』 ロシアvs.西側世界」という著書を友人からいただき、すぐに読ませていただきました。

 そこに19世紀のドイツを導いた宰相ビスマルクのことばが引用されていました。彼は、ロシアに武力行使をしても打ち負かすことはできないと警告し、『ロシアの力を破壊できるのは、ウクライナをロシアから引き離し、一つの国家の中で二つの民族を戦わせた場合だけだ。ウクライナのエリートの中から裏切り者を見つけ出して育成し、彼らの力を借りてウクライナの自己認識を変える必要がある。そうすれば、ウクライナ民族はロシアのすべてを憎むようになる。あとは時間が解決するだろう』と語ったとのことです。

 僕は、このビスマルクのことばに従って、米国や西欧諸国がウクライナを動かしてきたとは思いませんが、少なくとも、ロシアの権力者たちがそれを恐れていたのは確かだと思います。だからこそ、プーチンさんは、ウクライナの指導者を「ネオナチ」と呼んでいます。
 ロシアは西側諸国から攻撃を仕掛けられていると心の底から信じています。そしてウクライナで起きている反ロシアの動きは、西側諸国の謀略の結果だとみています。ロシアは、第二次大戦を「大祖国戦争」と呼び、それは西側諸国からのロシアへの攻撃と位置付けています。
 そしてロシアは第二の「大祖国戦争」によって、自国を西側の攻撃から守ろうと必死なのです。

 残念ながら、米国を中心とした西側諸国も、またそれからの攻撃を過剰に意識しているロシアも、現実を超えた観念というイデオロギーの戦いをしているようにも見えます。
 その点で、トランプ政権が変化を起こすという期待が持たれています。なぜなら、トランプさんは、損得勘定しか考えない政治家と見られているからです。彼は「ネオコン」のように、「自由と民主主義」という「正義」を守るための戦争は考えません。

 今年の6月に船越先生が強調しておられたのは、「この戦争は必ず終わりを迎える。ただ、そのときに国内で、絶望感や互いを非難し合う思いが社会の雰囲気を支配するようになることが心配だ」という趣旨のことを語っておられました。そのために船越先生は聖書の福音を語り続けておられます。
 また、今回のNHKでの報道番組では、戦争終了後に、現在のオデッサの教会からロシアに自分が宣教師として派遣される夢を語っておられました。それはロシア人のウクライナ人の和解を生み出すためです。

 戦争は、自分の価値観の枠で相手の価値観を徹底的な「悪」と位置付けてしまうことから正当化されます。絶対的な「悪」を取り除くために、それぞれが正義の戦いに命を懸けてしまうのです。

 しかし、人間の「罪」の根源は、自分を神の立場に置いて、自分の価値観を絶対化することにあります。
 目の前に何か都合の悪いことが起こったら、それは誰かの責任だと断定し、その価値観を押し通すことができる人が、この世で強い人と見られるということがあります。
 しかも、その際、その悪に対する憎しみが、味方の団結を生み出すという皮肉があります。その憎しみ合いは、戦争終結後の世界をも支配します。

 15年余り前に、イスラエルのバビロン捕囚に至る神のさばきの歴史を、「哀れみに胸を熱くする神」という題名で記させていただきました。
 その原点は、神がイスラエルをさばく際に、次のようにご自身の痛みを表現されたことに基づきます。

わたしは彼を責めるたびに、ますます彼を思い起こすようになる。
それゆえ、わたしのはらわたは 彼のためにわななき、
わたしは彼をあわれまずにはいられない。
エレミヤ31章20節

 日本人で唯一世界的に評価されている北森嘉蔵氏は、このエレミヤのことばの不思議さを思い巡らし、そこから「神の痛みの神学」という世界的名著を記しました。

 神は罪人をさばきながら、ご自身の「はらわた」を「痛めて」おられます。それは親が自分の愛する子を折檻するときの感情です。
 私たちはこの世界で、時に大きな「悪」と戦う必要があります。そのときに、神の「あわれみ」の視点を忘れないことが、その後の世界を変えて行きます。
 悪を憎みながらも、悪人をあわれむという視点を大切にする必要があるように思われます。