石破茂氏が日本国総理大臣になる方向——永遠の視点から現実を見る〜Ⅱコリント4:18

 今日の自由民主党総裁選で驚くべきことが起きました。石破茂氏が総裁になり、まもなく国会で日本総理大臣に任命されることが確実になっています。

 石破氏は、日本基督教団鳥取教会の教会員であり、ご自身がクリスチャンであることを明言しておられる方です。
 ただ、その信仰の姿勢は、私たち聖書の無誤性を信じる福音派とは大きく異なります。今回も、総裁選出馬に当たって鳥取県八頭町郡家殿(こおげとの)の和多理(わたり)神社で記者会見を開きました。
 石破氏は和多理神社を出馬表明の場に選んだことについて、「ここは父祖の地。子供の頃の夏休み、ここで夏祭りがあった。本当ににぎやかだった。日本は豊かではなかったが、一人一人に笑顔があった。私にとって一番の思い出だ」と振り返り、「政治家になった原点に返りたい。党よりも、国民一人一人を見る、それが自分の原点」と話したと報道されています。

 つい先日も、ローマ教皇がシンガポールで他宗教の方々に対し「すべての宗教は、神に到達するための歩みである」と説かれた、と報じられています。
 宗教多元主義という考え方があり、石破さんもその流れなのかと思います。

 石破氏は明治の有名な伝道者金森通倫師の孫娘である和子さんの息子です。
 金森通倫は の出身で同志社大学大学の設立にも深くかかわった方です。最初は熱い伝道者として多くの方々を回心に導きますが、明治期に流行った新しい神学の影響を受けて、一時的に信仰を離れて、国民に貯蓄を励ますような運動に関わります。
 ただ、奥さんの死の瞬間に永遠を垣間見たと言って、信仰に復帰、その後は、救世軍やホーリネスリバイバルという熱い伝道運動に加わります。
 しかしそのような運動の行き過ぎに危機感を覚えて、その運動と一線を画すようなことをしています。

 何か金森師の教会との関係を見ると、石破さんと自民党の関係を見ているようです。そこにあるのは、周りの状況を見て右顧左眄するのではなく、自分の確信を貫くという姿勢です。ただ、そのときどきに確信が変わることがあり、周りを唖然とさせます。

 金森師がいつも大切にしていたみことばは、コリント第二の手紙4章18節です

私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。
 見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。

 永遠の視点を見ているからこそ、空気を読まずに、自分の信念を語り続けることができるのでしょう。それは政治家として大切な視点とも言えます。

 正直なところ、石破氏が、神社参拝から総裁選を始めてしまったことを、とってもとっても残念に思います。
 私たちは聖書の教えを、「諸宗教のうちの一つの神に至る道」などとは決して思っていません。
 また、彼が提唱している政策にも、賛同できないものがあります。基本的に、彼は自民党によって立てられた総裁です。
 ですから、石破さんが、自分をクリスチャンであると自称しているからという理由で、「応援しましょう……」という気持ちはありません。

 ふとそんなことを書こうと思っていたら、近所に住むご老人が、この教会に集う子どもたちにお菓子をあげて欲しいと、10人分以上のお菓子を届けてくださいました。
 そこで、イエスご自身も、「私たちに反対しない者は、私たちの味方です」(マルコ9:40) と言われたことを思い起こしました。

 周囲の未信者の方々から見ると、キリスト教会がクリスチャンを自称する総理大臣を批判ばかりしているのも愚かしく見えることかと思います。
 
 また使徒パウロも、「存在している権威はすべて、神によって立てられたからです」(ローマ13:1) と記しています。

 いろんな政治的見解があります。そして、私たち福音自由教会は、個々人の政治信条の違いを何よりも尊重しています。
 ですから、石破さんに対する態度は、それぞれが自由に決めるべきですし、それを教会の中で論じることは避けるべきかと思います。

 ただ、そこに全能の主ご自身の摂理を見ることもできるでしょう。石破さんを批判する理由はいくらでも出て来るでしょうが、まずは、優しく温かい目で、彼のことを見ていただくことも大切かと思わされました。
 私たちは日本の政治家たちのために、神に祈るように命じられています (Ⅰテモテ2:1)。