信仰と心理学の関係 こころの時代シリーズ「ヴィクトール・フランクル」の見逃し配信

 以前から私が聖書の学びをしてきて残念に思ったことがあります。それは、聖書と心理学を混ぜ合わせたり、また聖書と自然科学、国防政策などの学びを、「聖書的……」という名のもとに混同してしまうことでした。

 何でも一つの体系のもとに整理できるということを目指すのは20世紀のイデオロギー的な考え方の遺物と言えるかもしれません。
 しかし、分かりやすいことは、ときに、とっても危険なことでもあります。それはある体系の枠にはまらないことを切り捨ててしまうことになるからです。残念ながら、この世界で起きることは、ある意味で、例外的?なことだらけです。身近な人を見ていても、それが事実ではないしょうか。

 たとえば、最低限の心理学の知識を学ぶことは、人々の日常的な悩みの相談に乗る上で非常に大切なことです。
 ただ、心理療法の目指すところは、その人の抱えている問題を整理して、生き易くしてあげることであるのに対し、聖書は私たちに、自分の十字架を負ってキリストに従うことを教えます。
 楽に生きられるようになることと、神の国のために死ねるようになることでは、目的が正反対です。
 そうは言っても、自分に死ぬことによって、結果的に、様々な不安から自由になり、毎日を感謝のうちに過ごせるようになるという結果が付随することもありましょう。
 その意味で、聖書信仰に従うことが、心理療法と同じような効果を発揮しているように見えることは確かにあります。

 それにしても私たちは、様々な学問を身につけ、人間として成長することを目指しますが、それは、「神のようになる」というサタンの誘惑と紙一重にもなっています。
 聖書はそれに対し、徹底的に、創造主である神を愛し、信頼し、神に仕えることを命じます。聖書の体系と世の学問は、矛盾はしないとしても、目指している方向がまったく違うということを忘れてはなりません。

 たとえば、霊性のセミナーの指導者として多くの日本人にも影響を与えてこられたハンズ・ビュルキ氏は、心理療法と牧会カウンセリングの関係について、「融合もせず、分離もせず」という原則を大切にしておられました。
 この表現は、キリストにおける人としての性質と神としての性質の関係について451年にまとめられたカルケドン信条に由来します。

 聖書とこの世の学問は、体系の前提も目指している方向も全く違いますから、それを融合しようとすると双方の最も大切なことを見失うことになりかねません。
 その原則を決して私たちは忘れてはなりません。

 そうは言っても、たとえば、牧師が心の病を抱えた人の相談に乗ろうとするときに、最低限の心理学の知識も持ち合わせていないとしたら、それもとんでもなく危険なことと言えましょう。
 しかし、二つの要素が、牧師個人の中で、融合することもなく、分離することもなく、共存しているならは、神の国の働きのために用いていただくことができるでしょう。
 その意味で、僕自身は心理学的な学びにはそれなりの時間をかけてきましたし、それが生かされてきた面があります。
 それは引き続き、僕が牧師としての奉仕を続ける際に大切にしてゆきたいと思っております。

 以前からウィーンで活躍していたユダヤ人心理学者ヴィクトール・フランクルの心理学が、聖書の福音を理解する際の助けになるということをお分かちしてきました。

 その番組で解説をしてくださっているドイツ在住の勝田茅生姉から直々のご紹介がありました。

……

さて、こころの時代シリーズ「ヴィクトール・フランクル」はお陰様で、たいへん好評のうちに最終回を迎えようとしていますが、NHKではその1週間前に第1回〜5回までの異例の一挙再放送をするそうなので、お知らせいたします。(最終回は 9月15日午前5時 Eテレ 第六回「人生の中の出逢い」)

いずれも真夜中ですが、収録の機会を逸した方など、録画しておける良い機会だと思います。

こころの時代~宗教・人生~ シリーズ ヴィクトール・フランクル 

それでも人生には意味がある <最終回直前 一挙再放送> ※ NHK Eテレ

(1)「日曜生まれの子」その光と影 9月14日(土)1:45~2:45 ※ 9/13(金)深夜
(2)苦悩を生き抜く 9月14日(土)2:45~3:45

(3)豊かさの中の「空虚」 9月15日(日)1:00~2:00 ※ 9/14(土)深夜

(4)人生という「砂時計」 9月15日(日)2:00~3:00  

(5)「何か」に支えられて 9月15日(日)3:00~4:00

関心のありそうなお友だちやお知り合いにお伝え頂ければありがたいです。

まだ暑さの続く毎日、どうぞお体をお大切になさってください。