原爆裁判——戦争のルール〜エレミヤ25章

 現在、NHKの朝ドラで、日本初の女性判事となった三淵嘉子さん生涯が描かれています。
 今は、ちょうど「原爆裁判」が描かれています。主人公のモデルとなった三淵さんも東京地裁での三人の判事の一人としてこの裁判に関わっていました。

 この裁判は、原爆被災者が1955年に国を相手に被災者への損害賠償と原爆投下の国際法違反を訴えたもので、1963年12月に訴訟棄却で結審しました。

 ただそこでは、以下のような三人の判事による見解が発表されました。

広島、長崎両市に対する原子爆弾による爆撃は、無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて違法な戦闘行為。原子爆弾のもたらす苦痛は、毒、毒ガス以上で、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反している。

 原爆投下が国際法違反と明確に論じられたことは、その後の反核武装運動にも大きな影響を与えると共に、その後の、国による被災者保障への大きな道を開きました。
 この画期的な判決に、日本初の女性判事が加わっていることに大きな意味があります。
 そのことが の東京新聞のサイトで振り返られています。

 当時、日本は米国と平和条約を結んでおり、米国への損害賠償権は棄却されておりました。そのため、日本政府が米国に成り代わり、原爆投下の正当性を主張するという異常な構図になりました。
 
 日本政府が韓国の賠償訴訟に対してとる態度は、この日本が米国に対してとった態度に倣ったもので、戦争賠償訴訟は平和条約を結んだ以上、国内問題として解決して欲しいということになっているのかと思います。

 この裁判でなお注目されたのは最後の裁判官の意見陳述で次のように述べられたことでした。
 「国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだ」と指摘し、被爆者救済の必要性を痛切に訴えた。
 そしてその責任について「立法府である国会及び行政府である内閣において果たされなければならない」と言及。「われわれは本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない」

 「政治の貧困」と断じたことによって、この後、原爆の被災者保障への道が開かれることになります。

 戦後の日本では、戦争自体を「悪」と見る論調が一般的で、戦争におけるルールがあるという視点での議論があまりなされて来ませんでした。

 しかし、残念ながら、人間の歴史は戦争の連続です。そして、戦争は、平和と裏表の関係があります。
 なぜなら、現状の「平和」と呼ばれる状態の「不条理を正す方法として武力が用いられる」からです。

 現在、礼拝で解き明かしているエレミヤ書でも同じです。神は、イスラエルの悪をさばくために、バビロンの王ネブカドネツァルを「わたしのしもべ」と呼んで、彼を用いてエルサレムを廃墟としました。
 しかし、バビロンの支配は、神によって七十年と限定され、その後に、バビロン帝国が周辺諸国を奴隷として迫害したことに、さばきを下すということになります。

 ある意味で、神はバビロン帝国をご自身のしもべとして用いながら、最後は彼らの戦争犯罪を裁くことになったのです。
 
 原爆投下のような違法な戦闘行為は、国際法に照らして、裁かれるべきであるという視点は、極めて聖書的な視点でもあると思われます。

 朝ドラ「虎に翼」を契機に、人々の目が「原爆裁判」に向かうことを嬉しく思います。
 戦争は確かに、途方もない悪ですが、そこにも国際法が適用されなければならない……戦うルールの視点から、ウクライナやイスラエルの問題を考えるきっかけになればと思います。

 神はバビロンの支配者に次のように語っておられます

多くの国々と大王たちは彼らを奴隷として扱い、わたしも彼らに、その行いに応じ、その手のわざに応じて報いる。
エレミヤ25:14