エレミヤ17章19節~20章「陶器師の御手の中で」

2024年7月21日

人間は基本的に、人生を楽しく、無駄な苦労をせずに生きたいと願っているのではないでしょうか。しかし、気楽に生きたいと願い過ぎる人は、かなりの確率で、余計な苦難を招いてしまいます。

神はイスラエルをご自身の目的のために創造しましたが、彼らは創造主に逆らい続けました。そのような中で預言者イザヤは、「主 (ヤハウェ) よ、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです」(64:8) と告白しながら、バビロン捕囚からの回復を願いました。イスラエルの苦難は、創造主の御手の中での再創造のプロセスの中で起きたことです。

私たちの人生で遭遇するすべての苦しみも、神が私たちをご自身の働きのために用いるための再創造のプロセスです。

しかも、陶器師の御手の中で造り変えられることは、個性を輝かせる道でもあります。ある人が、「生まれた時はみながオリジナル作品だが、死ぬときはコピー品になっている」と言いました。

私たちはこの世の同調圧力の中で個性が削がれがちですが、神はあなたの本来の輝きを生み出すために、あなたに適度な試練を与えます。ただ、まずあなた自身が自分を創造主の御手の中に差し出す必要があります。

1.「安息日を聖なるものとし、この日にいかなる仕事もしないなら」

17章7、8節では、主(ヤハウェ)に信頼する者に与えられる祝福の約束が、「水のほとりに植えられた木」にたとえられ美しく表現されていました。

19節以降で主(ヤハウェ)はエレミヤに、「エルサレムのすべての門に立ち」、「ユダの王たち、ユダ全体、エルサレムの全住民」に向かって、主に信頼することの具体的な現われとして「安息日を守る」ことを改めて命じます。

「十のことば」の核心は、安息日の教えにあることは明らかです。主はそこで彼らに「あなたがた自身、気をつけて、安息日に荷物を運ぶな……いかなる仕事もするな。安息日を聖なるものとせよ。わたしがあなたがたの先祖に命じたとおりだ。しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、うなじを固くする者となって聞こうとせず、戒めを受けなかった」(17:21–23) と言われました。

今から二千六百年前に、安息日の教えは途方もなく非現実的な、贅沢な教えに聞こえたかもしれません。

ところが17章24節以降で、主(ヤハウェ)は、「安息日を聖なるものとし、この日にいかなる仕事もしないなら」主ご自身が強大な国々に挟まれた小国の「ダビデの王座」を守り、近隣の支配者たちがエルサレムの城門を行き交うようになり、近隣の人々が、ささげものを携えてエルサレム神殿に集まり、主の宮は経済的繁栄のシンボルになると約束されます (24–26節)。

つまり、一週間に一日、完全に仕事を休むことで、短期的には損をするように見えても、長期的には、主の豊かな祝福を受けて国が繁栄するというのです。

ただ同時に主は、「もし、わたしの言うことを聞き入れず、安息日を聖なるものとせず、安息日に荷物を運んでエルサレムの門の内に入るなら、わたしはその門に火をつけ、火はエルサレムの宮殿をなめ尽くして、消えることがない」(17:27) と警告されます。

つまり、エルサレムが廃墟とされるのは、強大な国々との外交政策に失敗したからではなく、主の安息日の教えを守ろうとしなかったためであるというのです。

イエスの時代には、この反動による窮屈な律法主義が広がり、安息日に困っている人を助けるというようなことまでも、聖書が禁じる労働に相当するというような解釈が一般的になっていました。

それに対しイエスは、「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。ですから、人の子は安息日にも主です」と言われました (マルコ2:27、28)。

イエスが敢えて安息日に緊急性のない人を癒したのは、安息日を『喜びの日』と呼ぶ(イザヤ58:13) という原点に立ち返らせるためでした。

それにしても、私たちの幸福は、主観と客観というふたつの要素からなっており、そこでは主観的なものの方がはるかに本質的です。ショーペンハウアーは、「おそらく健康な乞食のほうが病める王よりもより幸福であろう」と言っていますが(「孤独と人生」p13)、あらゆる豊かさを手にしながら、それを味わうことができないまま暮らしている人は、現在も驚くほど多くいるのではないでしょうか。

安息日の基本は、仕事の手を休めて、主にある幸せを「味わう」ための日です。主(ヤハウェ)ご自身がこの世界を六日間で創造され、七日目に休まれました。私たちは安息日に自分の労働の果実を喜び、それを隣人と分けあって楽しむように命じられています。

主は、休息を取ることを命じることによって、幸せを味わうことを体験させようとしておられるのです。また収入の十分の一を聖別している人は、不思議に、お金のかからない数々の楽しみ方を身に着けることができるようになって行きます。

詩篇作者は主に向かい、「あなたこそ私の主 (アドナイ)、あなたに反して(あなたを離れて、あなたのほかには)、私の幸いはありません」(16:2私訳) と告白しています。

2.「わたしは……わざわいを思い直す……幸せを思い直す」

「陶器師」と「粘土」または「器」のたとえは聖書で繰り返し用いられますが、この18章はその代表的なものです。主(ヤハウェ)はエレミヤに「陶器師の家」にわざわざ行かせ、その仕事を見させます。

そのとき、「陶器師が粘土で制作中の器は、彼の手で壊されたが、それは再び、陶器師自身の気に入るほかの器に作り替えられた」ところでした。

主はそれをもとに、「イスラエルの家よ、わたしがこの陶器師のように、あなたがたにすることができないだろうか……見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしの手の中にある」と言われます (18:4–6)。

ただ、そこには陶器師の事前の計画と同時に、素材である粘土との対話があります。良い陶器師は、目の前の粘土の特徴をよく見ながら自分の計画を変えることができます。主ご自身も、「一つの国、一つの王国について、引き抜き、打ち倒し、滅ぼす」という計画を表明しておられながら、「その民が立ち返る(悔い改める)なら、わたしは下そうと思っていたわざわいを思い直す」と言われます (18:7、8)。

しかし一方で、「一つの国、一つの王国について、建て直し、植える」という麗しい計画を表明しながら、「もし、それがわたしの声に聞き従わず、わたしの目の前に悪であることを行うなら、わたしはそれに与えると言った幸せを思い直す」とも言われます (18:9、10)。

ここで主は、二通りの意味で「思い直す」と言われますが、これは「悔いる」とも訳されることばです。神は以前、サウルをイスラエルの王として立てたことを「悔やまれた」と記されますが、その直前に「イスラエルの栄光である方は・・・悔やむ(悔いる)ことがない」と正反対の記述がありました (Ⅰサムエル15:29、35)。

「悔やまない」と同時に「悔やむ」とは矛盾ですが、その原文は「哀れむ」「哀しむ」とも訳され (ホセア11:8、拙著「哀れみに胸を熱くする神」参照)、その感情には矛盾がありません。

つまり神は、「わざわい」または「しあわせ」のご計画を示しながら、それに対する民の反応を見て「哀れみ」、「わざわいを思い直される」か、または「幸せ」を約束していても、民の反抗的態度を「哀しみ」「思い直され」、さばきを下されるというのです。

その際、「その民が立ち返る(悔い改める)なら」との条件が記されますが、それは「悔いる」とは異なり、「戻る」が中心的な意味です。それは放蕩息子の父が、哀れみに胸を熱くしながら、民がご自分のもとに戻って来るのを待っておられるときに使われることばです。

「正しい生活ができるようになったら、思い直す」というのではなく、「立ち返って(戻って)くる」姿を認めるだけで、すぐに「赦してくださる」のです。

ところがここでは主がエルサレムに向かって、「見よ。わたしはあなたがたに対してわざわいを考え出し、策をめぐらしている。さあ、それぞれ悪の道から立ち返り、あなたがたの生き方と行いを改めよ」と語りかけても、彼らは「いや(無駄だ、無理だ)、私たちは自分の計画にしたがって歩みます。それぞれ、頑なで悪い心のままに行います」と答えているというのです (18:11、12)。

ここで、主は、「見よ。わたしは……」ということばを強調しておられます。しかも、「わざわいを考え出し」の「考え出し」とは、「陶器師」と同じ語根のことばです。つまり、主は、「見よ。わたしこそ、計画を柔軟に変えられる陶器師である」と語りかけておられるのです。

ところが、彼らはその優しい招きに対して、「いや(無理だ、無駄だ)」と一言で答えたというのです。それは神のみわざに心を閉ざす言葉です。彼らは主の計画に対して、「自分の計画」ということばを用いながら、「自分の計画にしたがって歩みます」と答えているというのです。

なお、「それぞれ、頑なで悪い心のままに行います」という告白は、神から見た視点で、彼らは正しく行っていると思っているとも解釈できます。今も昔も、一番困る人は、正しいと自分で確信しながら、間違ったことをする人ですから。

それに対して主は、18章14節で、約束の地の不思議を例に語ります。その地を潤すガリラヤ湖とヨルダン川の源流となる「冷たい水」は、ヘルモン山ばかりか遠い北の3000m級のレバノン山系の雪どけ水が合わさっています。それこそ大自然の上に表された神の配慮ですが、イスラエルの民はそれを忘れ、役にも立たない偶像に香をたいているのです。

それに対し神は、バビロン帝国を約束の地を乾燥させる熱い「東風」(18:17、4:11参照) にたとえ、エルサレムへのさばきを警告します。

残念ながら、人は自分の必要が満たされると倦怠感に襲われ、神が既に与えてくださっている恵みを忘れ、何か別の刺激を求めようとします。しばしば、「恵み」は失ってみて初めて分かるというようなものだからです。たとえば、仕事の苦しさをつぶやいていた人が、失業者が巷にあふれる時代になると、毎日、働きに行く場があり、帰る家があることがどれだけ大きな恵みかが分かるようになります。

ここに描かれた約束の地には、狭い地域に神の不思議が満ちています。ところが彼らは、その地を与えてくださった神を忘れ、バビロンやエジプトという大国の文化や富にばかり目を向けてしまったのです。

何という恩知らずでしょう。しかし神はそのような彼らに、「わたしに立ち返れ……わざわいを思い直すから」(18:11参照) と招き続けておられるのです。

3.「陶器師の器が砕かれると、二度と直すことはできない」

18章19節から20章の終わりにかけて、エレミヤの揺れる心が描かれています。人々は、主のさばきばかりを宣告するエレミヤのことばに耳を傾けようとはしませんでした。彼らの百年前、巨大なアッシリヤ帝国が攻めて来たとき、ヒゼキヤ王のもとでエルサレムは奇跡的に独立を保つことができました。

彼らはただ奇跡的な勝利の結果だけを見て、ヒゼキヤ王とそれとともにいた人々が、どれだけ神の御前にへりくだったかを見ようとはしませんでした。

それは太平洋戦争の破滅に一丸となって突き進んだ日本と似ています。1904~05年の日露戦争の勝利によって、日本は奢り高ぶってしまいました。その前に、どれだけ日本が国際社会で謙遜に振る舞い、1902年に日英同盟を締結するなどして、戦争を避けるあらゆる努力とともに侵略への備えをしていたかを忘れていました。

太平洋戦争の前夜になると、人々は二二六事件の後遺症の恐怖から、知識人は軍部に反対する勇気を失っていました。そして、一方で、国際情勢をよく知る立場にあった東條英機首相などは、「戦争が終わるということは……われわれが勝つということだ・・天皇陛下は神であって、天皇陛下に帰一していれば、国体の輝くこの国は負けるわけがない。戦っていまだかつて負けたことのない国なのだから」(保阪正康:新潮新書「あの戦争は何だったのか」P149、150)などと豪語していました。

不思議なのは、彼は天皇に命をかけて忠誠を誓うと言いながら、天皇のお気持ちを聞く代わりに、自分の望むことばを天皇から引き出すことばかりに神経を使っていたとも伝えられています。

当時のエルサレムも同じような感じでした。当時の「祭司」、「知恵ある者」、「預言者」たちはそろって、神の都エルサレムの勝利を、神のみこころとして語っていました (18:18)。

一方、エルサレムの敗北を告げるエレミヤのことばは、偽りの預言として退けられ、彼を倒す計画が話し合われていたのです。

18章19~23節は、エレミヤが自分の命を狙っている人々の対しての主のさばきを願ったことばです。その結論は、「どうか彼らの咎を赦さず……御怒りの時に、彼らに報いてください」(18:23) という率直な訴えです。そして彼の「怒り」の背後には健全な「恐れ」がありました。彼は続く19章に記されるような主のさばきを伝えなければならなかったからです。

主は、「見よ。わたしはこの場所にわざわいをもたらす。だれでもそのことを聞く者は、両耳が鳴る」(19:3) と言われ、その悲劇を、「そのとき、もはやこの場所はトフェテとかベン・ヒノムの谷と呼ばれない。ただ虐殺の谷と呼ばれる」(19:6) と、エルサレム近郊の偶像礼拝の場が、死体で埋め尽くされると宣告されます。これはすでに7:30–33で言われていたことの繰り返しです。

19章9節ではさらに衝撃的に、主ご自身が、「わたしは、包囲と、彼らの敵……がもたらす窮乏のために、彼らに自分の息子の肉、娘の肉を食べさせる」と語られます。これは申命記28章53–57節で既に預言され、哀歌2章20節ではそれが文字通り成就したと記されます。

エレミヤはこれらのことばを、まず「土の焼き物の瓶を買い」、その上で偶像礼拝の中心地、ベン・ヒノムの谷に出かけ、そこで語るように命じられました (19:1、2)。その際、「同行の人たちの目の前でその瓶を砕いて」、「陶器師の器が砕かれると、二度と直すことはできない。このように、わたしはこの民と、この都を砕く」と言うように命じられます (19:10、11)。

これは18章4節での「制作中の器」との対比で記されているとも考えられます。つまり、「制作中の器」は造り変えることができるのですが、既に出来てしまった器は、破壊されるしかありません。

そしてエレミヤは、ここでその事実を、当時の人々が主にある勝利と希望を語るはずの「主 (ヤハウェ) の宮の庭に立ち、民全体に」(19:14) に向けて告げるように命じられたのです。それはエルサレムの滅亡を告げる厳しいことばでした。

4.「なぜ、私は労苦と悲しみにあうために胎を出たのか」

そこで、「主 (ヤハウェ) の宮のつかさ、また監督者である……祭司パシュフルは、エレミヤがこれらのことばを預言するのを聞いた」(20:1) ので、彼を「打ち」「主 (ヤハウェ) の宮にある、上のベニヤミンの門にある足かせにつないだ」というのです (20:2)。

「翌日になって、パシュフルがエレミヤを足かせから解いたとき」、エレミヤは彼に、「主 (ヤハウェ) はあなたの名をパシュフルではなくて、『恐怖が取り囲んでいる』と呼ばれる」と語り、彼の一族が彼の目の前で敵の剣に倒れると預言します (20:3、4)。

これは、ヘブル語でパシュフルと「恐怖」の語呂合わせがあるという意味よりは、パシュフルという名がエレミヤにとって「恐怖」となった以上に、彼自身が身近な人への「恐怖となる」という意味かと思われます。

さらに「パシュフルよ。あなたとあなたの家に住むすべての者は、捕らわれの身となってバビロンに行き、そこで死んで、そこに葬られる。あなたも、あなたが偽って預言を語り聞かせた、あなたの愛するすべての者たちも」(20:6) と宣告します。

パシュフルを始めとする当時の宗教指導者たちは、「剣や飢饉がこの地に起こらない」(14:15) などという楽観的なことを言い続け、それに反することを述べるエレミヤの預言活動を止めさせようとしていました。

ところがエレミヤはその後、主(ヤハウェ)に向かって不思議にも、「あなたが私を惑わしたので、私はあなたに惑わされました……私は一日中、笑いものとなり、皆が私を嘲ります」(20:7) などと訴えます。これは、エレミヤが預言したようにエルサレムがすぐには敵の手に落ちることなく、人々は偽りの希望に慰めを見出し、エレミヤを非難し続けたからです。

そのような中で彼は、「主のことばを宣べ伝えない。もう御名によっては語らない」と「思って」しまうほどに追い詰められます (20:9)。ところがそこで、「主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようになり」(20:9)、語らずにはいられなくなったというのです。

そればかりか彼は、周りの人々の計略を耳にしながら、 (ヤハウェ) は私とともにいて、荒々しい勇士のようです。ですから、私を迫害する者たちは、つまずき、勝つことができません」(20:11) と告白できました。

エレミヤは先に主に向かって、「あなたは私をつかみ、私を思いのままにされました」(20:7) と嘆きましたが、それは主に用いられる幸い」の始まりでもあったのです。

後にキリストの弟子たちも、みことばが心の中で燃え盛る火のようになると同時に、主がともにおられるという励ましを受けることができました。

その結果、エレミヤは、「主 (ヤハウェ) に向かって歌い、主 (ヤハウェ) をほめたたえよ。主が貧しい者のいのちを、悪を行う者どもの手から救い出されたからだ」(20:13) と自分の勝利を歌うようになります。

ところが、その直後には一転して、「私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな」(20:14) と、自分が生まれたばかりにこのような使命を与えられたと嘆きます。これは不条理な苦しみに会ったヨブの告白と同じです (ヨブ3:1–12)。

さらに彼は「なぜ、私は労苦と悲しみにあうために胎を出たのか。私の一生は恥のうちに終わるのか」(20:18) と嘆きます。彼はそれで「悲しみの預言者」と呼ばれています。

パウロはコロサイの信徒に向け、「私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです」(コロサイ1:24) と言いました。そこには、キリストのために苦しみことの誇りがあります。

私たちが心の底で求めているのは、そのような真の生きがいではないでしょうか。生まれてこなければ良かったというほどの苦しみに会うことがあったとしても、それを補って余りある誇りと喜びを主は与えてくださいます。

エレミヤは、主にある勝利を歌ったり、このような恨み事を言ったりと、心が激しく揺れますが、それは感受性の豊かな人に起こる常でもあります。それはダビデの詩篇の祈りの例からしても事実といえましょう。そして、多くの信仰者は、このような苦しみの直後に名状しがたい喜びを味わうことができています。

私たちが避けるべきなのは、「苦痛と退屈の間を振り子のように行き来する人生」(ショーペンハウアー「存在と苦痛」P39)ではないでしょうか。それに対して、「悲しみと喜びが交差する人生」こそ、神に召された者の生き方ではないでしょうか。

この不思議に関して砂漠の師父エウアグリオスは、「真昼の悪魔」と呼ばれる倦怠感との戦いの後には、「ある平和な状態」と「ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに踊っています」(Ⅰペテロ1:8) という状態がたましいを支配すると語りました。それこそ倦怠感に耐える者への報酬です。

主は、「見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように……あなたがたも、わたしの手の中にある」(18:6) と言われます。そのプロセスはクリスチャンにとっては、「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて」ゆくことです (Ⅱコリント3:18)。

アリストテレスは、「人の幸福はそのすぐれた能力をなにものにも妨げられず自由に発揮することである」と言ったそうですが(ショーペンハウアー「孤独と人生」p33)、それは、主の御前にへりくだり「私は粘土で、主は陶器師です」と告白するときに可能になることです。

自分の「幸せ」のために主を求めるのではなく、主の命令に従う生き方の中で、結果的にこの世の基準とは異なった「幸せを味わう」ことができます。

エレミヤのように主に自分の悲しみを訴えながらも、主のみこころに従った働きをするとき、この世の倦怠感を超越した、悲しみとセットにある「ことばに尽くせない……喜び」を味わうことができます。

ですから、私たちが第一に求めるべきことは、「自分の幸せ」ではなく「主のみこころに従う」ことです。