ただ神に向かって、私のたましいよ 沈黙せよ〜詩篇62篇5節

 5月末に母が97歳で天に召されてから、ほとんど休む間もなく目の前の課題に向き合ってきましたが、ようやく一息つくことができました。
 今改めて、自分の生涯も振り返りながら、やり残したことの多さ、これからまだまだやってみたいことが頭に浮かんでいます。もう71歳ではありますが……

 以前お話ししたNHK「こころの時代」ヴィクトール・フランクルの第三回目を見て、改めて自分の歩みに対する主の導きに感謝しております。

 僕は神学校に入る直前の33歳になって、自分のうちにある神経症的な生きにくさに向き合い始め、神学校時代にも神学の学びと並行して、カウンセリングの学びを続けてきました。
 そこから見えてきたのは、僕の幼児期にあった母の心の不安を僕が受け継いでいるということでした。当時、母は自分を消してしまいたいほどに悩んでいました。従来のキリスト教的な心理療法では、その時期の心の傷をイエス様の愛のまなざしによって受け止め直すことが基調になっていました。

 しかし、2001年にスイスで受けた牧師向けセミナーを通して、自分に目を向ける前に、妻の話をただ黙って聞くようにと教えられました。それと同時に、幼児期にあった数々の喜びの記憶を思い起こすことができました。
 
 神経症の問題は、自分に目が向かいすぎることにあります。その問題をフランクルは、「過度の自己観察」と分析しています。
 ですから、神経症の傾向のある人が、自分の過去を振り返れば振り返るほど、この過剰自己観察という落とし穴にはまるのです。
 それから脱却するためには、目の前の人の話をじっくり聞くと共に、今ここで、外の世界から自分に問われていることに向き合うことです。

 そして、今回、母を見送りながら、僕の母は、このようなことをまったく学ぶこともなく、そのような生き方の転換ができていたことに驚きました。

 僕は農家の跡取り息子として生まれました。僕が生まれた当時は、僕が跡取りとなることは既定の路線でした。
 しかし、狭い田舎から抜け出たい思いを密かに持っていた母は、僕が大学に行き、また留学まですることを、自分のことにように喜び、応援してくれていました。

 僕が大学に行くころから、母はやさしく、しかも、しつこく米作から野菜の生産へと転換する必要を父に訴えていました。後継ぎがないのに農耕の機械化に対応することは無駄な投資になるからです。
 母は小さい頃から、野菜や果物作りに喜びを感じていました。
 とにかく父も、母のことばに耳を傾け、たまたま東川町でピーマンの生産出荷を応援するという流れに乗って、大きな成功を収めることができました。

 母は、僕を優しく送り出しながら、目の前の世界の変化に柔軟に対応し、父を説き伏せて、新しい歩みへと向かい、人生を転換させて行きました。
 そして、晩年には、息子の信じる神に自分の身を全面的に任せる決心をし、そこでも父を説き伏せて、夫婦で洗礼の恵みに預かりました。

 2001年のスイスで受けたセミナーでは繰り返し詩篇62篇を味わいました。そこでは、「ただ神に向かって、私のたましいよ 沈黙せよ」(詩篇62:5私訳)と命じられています。
 そこでの沈黙は、自分の心の内面に向かうようでありながら、あくまでも、神に向かっての沈黙です。自分の悩みや不安をあるがままに受け止めて、それをすべて神に差し出し、神からの問いに心が動かされることに身を任せることです。

 それを通して、僕は、自分の神経症的な傾向を、癒してもらうことではなく、神経症的な傾向を生かして、主の働きができるということに気づくことができました。
 自分の気質も感覚も、ある意味でこの世的な標準からは偏って見えるかもしれませんが、それを修正する代わりに、その偏りが生かされる方向を目指すことができると気づいたのです。
 ただ、それは、母が自分の生き方を変え始めた30年後のことでした。確かに僕もその20年前に、証券マンから牧師へという転換はしていましたが……基本的な自己認識は変わっていなかったという面に気づかされました。

 今は、どうして、そのようなことを母とじっくり話すことができなかったのかと悔やまれるばかりです。

 私たちは一人ひとり、固有の生きにくさを抱えています。ただその際、過剰自己観察の落とし穴から解放されて、今ここで自分に問われていることに向き合い、自分が生かされる方向へと転換できることに思いを向けたいと思います。

フランクルの三回目の話を見られなかった方は、 でご覧いただくことができます。

……以下が 番組の案内です……

【こころの時代 宗教・人生】4月21日(日)から始まる新シリーズ
こころの時代 「ヴィクトール・フランクル」
【放送】[Eテレ] 毎月第3日曜日(全6回)午前5:00 ~
80年前、600万のユダヤ人の命を奪ったホロコーストを生き延びた精神科医、ヴィクトール・E・フランクル(1905~1997)。戦後、強制収容所の体験記『夜と霧』で世界的に有名になりましたが、フランクルが伝えたかったのは「どんな苦境においても生きることには意味がある」というメッセージでした。
 フランクルはなぜ、数えきれないほどの苦難を経験してもなお、人生を肯定できたのか。今シリーズでは、全6回にわたり、フランクルが遺した膨大な著作や資料を通じて、『夜と霧』だけではないフランクルの生涯と思想に迫ります。そして、争いや生きづらさが蔓延する現代で、私たちが苦悩を乗り越え、より広い世界に目を向けて生きる手がかりを探ります。
4月21日(日) 第1回:「日曜生まれの子」その光と影
5月19日(日) 第2回:苦悩を生き抜く
6月16日(日) 第3回:豊かさの中の「空虚」
7月21日(日) 第4回:人生という「砂時計」
8月18日(日) 第5回:「何か」に支えられて
9月15日(日) 第6回:人生の中の出逢い
【出演】勝田茅生(日本ロゴセラピスト協会会長)、小野正嗣(作家)
【朗読】井上二郎
全6回のナレーションを俳優・門脇麦さんが担当!
【ナレーション】門脇麦

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放送
[Eテレ] 毎週日曜 午前5時
再放送
[Eテレ] 毎週土曜 午後1時