国立のマンション解体——置かれた町の平安を求める〜エレミヤ29章7節

 今週、小生が昨年移り住んだ国立(くにたち)市が話題になっています。富士山を眺望できる冨士見通りに建てられた10階建てのマンション(18戸入居予定て)が、完成引き渡し直前に、施主の積水ハウスが解体を決めたということです。
 同社にとっても、入居予定だった方々にとっても本当に大きな損失、また様々な大きな負担がかかってしまいました。

 私たちが移り住んだ旭通り沿いには高層マンションが建っていますが、冨士見通りや大学通りでは景観重視が徹底されているようです。
 2001年に国立駅南側の大学通りに建てられた14階建て343戸のマンションは、地域住民の反対運動を受け「国立マンション訴訟」として大きな話題になりました。
 2006年の最高裁判決で、景観重視の権利が認めれながらも当該マンションは違法建築とは言えないという業者側の勝訴が決まりました。
 しかしこのマンションは期待したように入居者が決まらず、大きな赤字となって転売されたようです。

 とにかく国立市の住民パワーは本当に大きなようです。長い目で見ると、地域住民にとっての景観権という視点が配慮される流れは本当に好ましいことで、これが日本全体の都市の景観重視という視点に向かうことを願うばかりです。
 しかしどうも基準があいまいなのが、何か、日本的な村社会の圧力を感じさせられ不安になる面もあります。

 冨士見通りに建てられた10階建ては添付の写真にあるように比較的小さなもので、少なくとも、この写真の位置から見ると富士山の眺望を遮る建物ではありません。しかし、少し距離を置いた地から見ると、話題になっているように、富士山の眺望を隠すことにもなります。
 ですから、多くの写真が報じているように、富士山の眺望の半分を完全に隠していると言えるほどのものとも言えない面があります。
 でも積水ハウス側としては、過去の大学通りのマンション訴訟の経緯をかんがみ、それが大きな問題となって、自社のブランド評価、また入居予定の方の気持ちを考えて、苦渋の決断をしたということだと思います。

 どちらにしても地域住民の方々の声が地域の景観を守ることにつながったのは良いことですが、どうも建設計画とその後の解体という不透明なプロセスが気になってしまいます。

 エレミヤ書29章7節には、バビロン捕囚という不本意な強制移住をさせられた民に向かって、主 (ヤハウェ) が次のように語っていることばが、私たちと居住地域の関係を考える上で大切です。

わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、
その町のために主 (ヤハウェ) に祈れ。その町の平安によって、
あなたがたは平安を得ることになるのだから。

 現代の私たちは自分の住まいを選ぶ権利が保障されていますから、このことばが語られた状況とはまったく異なります。しかし、引っ越してしまってから、いろんな問題に気づき、過去の決断を後悔するというようなことがあるかもしれせん。
 ですから、これは、どんな理由にせよ、置かれている町の祝福を祈ることからあなたの平安が生まれるという点では共通の原則と言えましょう。

 当教会の子どもたちは、CS教師の指導の下、定期的に、この教会が置かれているシネマ通りのゴミ拾いをしています。先日も、この地域の方がそれを見て喜んでくださり、教会の前に植える花を特別にくださいました。
 皆様のお住まいの地、またこの教会が置かれている地の祝福を祈り、そこでできることを何かすることは、本当にあなた自身の祝福につながるということを覚えたいと思いました。