私たちの目には毎日、意外なことが起きます。
しかし、日本社会は特に、バブル経済崩壊以降、「安心、安全」を偶像のようにしてきている傾向があるかもしれません。
1990年のバブル崩壊は、あまりにも行き過ぎた投機熱の結果であることは確かですが、それからニューヨークの平均株価は14倍にもなっている一方、日本の株価は、まだ34年前のバブル水準を超えることができていません。
多くの人は、大手銀行に安心して預金をしますが、その金利はゼロに近い一方で、その銀行の株主になると4%近い利回りを確保できるというのは、35年前には想像もできないことでした。
米国ではこの数十年間にベンチャー企業が次々と生まれて急成長していますが、世界平均では、ベンチャー企業が5年後に残っている確率は15%、20年後にはたったの0.3%と言われています。つまり、不可能への挑戦をして、生き残った企業が、世界経済をリードしているのです。
実は、私たちの信仰も、見えない明日に向かって大胆に足を踏み出すという点では同じかもしれません。
最近、驚きの知らせに圧倒されました。
神学校時代からの37年来の友人の牧師が末期のすい臓がんと診断されたとのことです。でも本人は驚きながらも、神の臨在を深く感じ、福音を語り続けたいと願っておられます。
また、うつ状態にあった友人の牧師が、教会に辞任を申し出たという話しも最近届きました、近々、お話しの約束をしましたが、それでも前向きに主の導きを求めておられます。
ヤコブの手紙4章14節に次のように記されています
あなたがたには、明日のことはわかりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間 現れて、それで消えてしまう霧です。
来たる2月の日本福音自由教会協議会総会に説教者として招かれておられる豊田信行先生が、以前、「舟の右側」(2022年6月号)という雑誌に次のように書いておられました
牧師の働きは教会員が「先の見通せない不安」を信仰の旅の同伴者として慣れ親しむことを助けることです。
また、友人から教えられたディートリッヒ・ボンヘッファーのことばに昨日、はっとさせられました
神の前で神とともに私たちは生きる、神が見えないまま
Vor und Mit Gott leben wir ohne Gott
ボンヘッファーはそれを次のような趣旨で説明しています。
神は私たちをこの世界から引き出して十字架へと追いやることがあります。その際、神はまるで無力で弱いかのように見えますが、キリストはご自身の弱さと苦しみによって私たちを助けてくださいます。それはイエスの癒しのみわざが、「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った」とマタイ8章17節で記されている通りです。そしてその預言はイザヤ53章に描かれた苦難のしもべの生き方そのものでした。
神の存在は私たちには見えないばかりか、神の助けもすぐには見えないことの方が圧倒的に多くあります。
それはイザヤ45章15節に次のように記されているとおりです
イスラエルの神、救い主よ。
まことにあなたはご自身を隠す神。
神の保証も導きも見えないままに、神の目に正しいと思えること、また、神から期待されていると思えることに、一歩踏み出すというのが信仰の醍醐味ではないでしょうか。