瓦礫の中に置かれた幼子イエス〜ルカ2章1–7節

 現在のイスラエルとガザ地区の悲惨は毎日のように報道されていますが、クリスマスのシーズンとなると、やはりその舞台は、ユダヤのベツレヘムということになります。
 ベツレヘムはエルサレムの南10㎞ぐらいのユダ山地にあります。
現在はパレスチナ自治政府のもとにあり、人口は3万人を若干下回る程度ですが、もともとはクリスチャンが人口の多数を占めていましたが、今は、少数派になっています。
 そのクリスチャンは、アルメニア正教、ギリシャ正教、カトリックだと思います。アルメニア正教は、カトリックよりも古い伝統を保っていると思われる正統的なキリスト教の流れです。ギリシャ正教はロシア正教を生み出す母体です。どちらも正統派のキリスト教です。
 ただ、そのその両派の信仰者は、基本的に古くからその地に住むパレスチナ人だと思われます。
 
 今回、12月3日に TIME から発信された映像は、大変に印象的です。
幼子イエスが、飼い葉桶よりも、なお貧しい瓦礫の中に横たわっているというイメージです。
 そこで話している司祭は、自分たちはパレチナ人への連帯の表現として、今年は、毎年のようなクリスマスの祝いを止めることを決定した。これはイスラエル軍がガザの子どもたちを虐殺していることへの抗議、イスラエルによる民族浄化運動への抗議であるという強いことばを使っています。
 そして、私たちの主イエスはそのような迫害化にある人々に希望をもたらすために、飼い葉おけにお生まれになったが、今回はそれを瓦礫の中にということで表現したと述べています。

 一方、こちらは からのニュースです。現在のベツレヘムのクリスチャンたちの様子が報道されています。ここでも、エルサレムにおける上記三つの主教区の決定として、今年のクリスマスは、ガザ地区のパレスチナ人への連帯の表明として、クリスマスは、内輪の信者だけでひっそりと守り、例年のようなクリスツリーその他のデコレーションは自粛すると報道されています。

 もともと、ベツレヘムの主要産業は観光で、世界のクリスチャンがこの地を訪ねなければこの地の経済は立ち行きません。この政治状況ではもともと観光は成り立たないにしても、ベツレヘムがこのような自粛ムードになれば、その経済的な打撃はさらに厳しいものになります。

 私たちは、政治的な判断をする以前に、現地に住む私たち同胞のクリスチャンの気持ちにも寄り添う必要がありましょう。
 
 私たちの主イエスが飼い葉桶の中に生まれた理由を聖書は、たった一言、「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」(ルカ2:7) と記しています。
 マリアとヨセフは、イエスの誕生の前に、ベツレヘムに一定期間すでに滞在していたと記されています(夜にその町に到着して宿屋を必死に探した……という劇は史実に反します)。
 誰の目にも、マリアが出産を控えているのは明らかでした。でもその時のベツレヘムはダビデの子孫の住民登録のために通常の何倍もの人口に増えており、密集状態なって、みなが自分の身を守ることだけに夢中になり、マリアとヨセフのことを気遣う余裕はなくなっていた、その結果としてイエスは飼い葉おけに生まれたというのが聖書のストーリーです。
 まさに現在のガザ地区での赤ちゃんの誕生に似ています。

 誰が悪いか……と言う以前に、それが人間の歴史の現実です。いつも権力闘争の中で、一番被害を受けるのは、その地の社会的弱者です。

 先週から何度もご紹介している「飼い葉桶の傍らに」というドイツの有名なクリスマスの讃美歌の5番から9番の に、その状況が歌われています。
 政治運動以前に、私たちが今ここで取るべき黙想と行動が問われています。