私たちの目の前には毎日どのような現実が見えているでしょう。
預言者エリシャとその弟子があるとき敵の軍隊に囲まれ絶望的な状況にあったとき、弟子はパニックに陥りました。そのときエリシャは、主に祈りました。「どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください」と。主がその若者の目を開かれたので、「彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた」と記されます (Ⅱ列王記6:13–17)。
私たち自身も自分を非難し攻撃する人に取り囲まれているように感じるときがあるかもしれません。詩篇34篇7、8節には次のように記されています
主 (ヤハウェ) の御使いが陣を張り 7
主を恐れる者を囲んで助け出してくださる。
味わい、見つめよ。主 (ヤハウェ) のすばらしさを。8
幸いなことよ、主に身を避ける人は。
また、私たちはみな小さい時から「もっと……」という駆り立てのことばを聞き、そうできない自分を否定してしまいがちです。しかし私たちの創造主は「朝ごとに私を呼び覚まし、この耳を呼び覚まし、私が弟子として聞くようにされる」と言われます。そしてその目的が、「私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ます(支える)ことを知るようにさせる」(イザヤ50:4私訳) と記されています。
私たちが疲れを覚える方を「主のことばで励ます」ことができるためには、聖霊の働きによって私たちの「心の耳」が開かれる必要があります。
自分の心が主によって「呼び覚まされ」、主のことばで「支えられる」ことがすべての出発点なのです。
そして、主ヤハウェはそのために「私の耳を開いてくださいます」。
以下の曲を味わってみてください。「開いてください、心の目を。開いてください、心の耳を」