Thank You For The Music〜サムエル記第二6章16節

この一週間余り、結婚式、牧師就任祝福式の司式などが続き、多忙な日を過ごしておりましたが、昨日は静かに、国立の新居で過ごすことができました。そこでは47年前の入社の際に買った大きなステレオスピーカーが優しい音を奏でてくれています。僕がドイツに会社から遣わされたのは1979年4月で、ドイツではスウェーデンのロックバンド ABBAの全盛期でした。コンサートに行ったこともあり、ドイツで多くのレコードを買いました。そのとき、日本から持って行ったこのスピーカーでそのレコードを聴いていました。

そのABBAの名曲で、Thank You For The Music(音楽にありがとう)という曲があります。

その中に次のような歌詞があります

Mother says I was a dancer before I could walk
She says I began to sing long before I could talk
母は言う、私は歩く前から踊る子だった。
私は話し始めるずっと前から歌っていた。

私たちの感性は、生まれながら与えられているものがほとんどです。僕はスポーツクラブでのダンスプログラムに参加するのが大好きです。エアロビックス系、最近はリトモスなどという多くのジャンルの踊りを取り入れたプログラムにはまっています。これは血筋のようなもので、僕の妹は、旭川で社交ダンスを教えています。

今月号の「」という雑誌の「失敗からの再出発」というシリーズに「自分らしさの再発見」という記事を書かせていただきました。

そこで牧師としての働きをしながら、自分が指導者としての決定的な問題を抱えていることに気づかされるところから、新しい働き方を始めたということを書かせていただきました。2001年にスイスでのセミナーに参加したことが大きな転機になりました。それ以降、様々な本を書きながら、また、このような文章をインターネットに載せながら伝道的な働きをするようになりました。

ただ今回の記事には、書かなかったことがあります。それが、自分の原点に立ち返って、スポーツクラブのダンスプログラムに参加し出したということです。

牧師の趣味としては珍しいことですが、敢えて聖書的な説明をすると(笑い)、サムエル記第二の6章に イスラエルの王ダビデが、契約の箱をエルサレムに運び入れるときに、「主の前で力の限り跳ね回った」ということが記録があります (14節)。今も、ユダヤ人を中心とした礼拝では、礼拝の中にダンスが入っています。

ただそのときダビデの妻であったサウルの娘ミカルは、「ダビデ王が主の前で跳ねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼を蔑んだ」(16節) とも記録されています。しかし、ダビデのそのような喜びの表現が、奴隷たちの尊敬を得たとも記されています。
 
ダビデは楽器を奏でながら、多くの歌を作りました。当時は現在のような楽譜がありませんから、その歌がどのようなものだったかはわかりません。ただそこには多くの人々を主への賛美に巻き込む様々な工夫があったことは確かです。

また宗教改革者マルティン・ルターは多くの讃美歌を書いて、讃美歌によって福音を字が読めない民衆に伝えました。ルターも生まれながら音楽の感性に恵まれていました

僕の今でも一番の後悔は、高校時代の選択科目で音楽を取らなかったことです。受験に関係がなかったからということもありますが、何かド田舎の小中学校時代の偏見で、音楽の勉強は女の人のもの……みたいな感覚があったこともわざわいしています。

私たちはもっと、自分の好きなことや好きなことを恥じることなく大胆に言えるべきでしょう。一昨日のマタイの最後のメッセージで、キリストの弟子となるということが、多くの人々に受け入れられるコピー版になることではなく、それぞれの感性や個性が生かされる形で、キリストの生き方に倣うこと、オリジナル版としての成長だと話させていただきました。

私たちの教会では、古いドイツの讃美歌の私訳から、最近の賛美の歌まで、ありとあらゆる音楽を取り入れるようにしています。まだ、ユダヤ人を主体とした教会のように、礼拝の中で踊るところまでは行きませんが、そのうち考えることができたらとも思っています。