立川チャペル便り「ぶどうぱん」2023年イースター号より
二十歳近くも若い者が辻岡健象先生の思い出を語るのは恐れ多いことですが、先生の生き方を一言でまとめれば、「私心のない人」と言えましょう。いつもご自分の都合は後回しにして、目の前の人の必要に柔軟に対応し、寄り添う生き方を貫いて来られました。
でも、失礼ながら、人が良すぎた面、悪く言えば「脇が甘い⋯⋯ 」とも言える面があり、その迷惑をこうむったのは敏子さんを中心とするご家族だったのではないでしょうか。また、あまりにも自分の立場を守ることに無頓着なので、私たち周りの者が、先生の立場が守られるように頑張らなければならないこともありました。
でも、みなが先生の思いの純粋さに感心しているので、喜んで先生のお手伝いをしたいという気持ちになります。先生は三年半前に胃悪性間葉系腫瘍という非常に珍しい癌に侵され、その時点で余命数か月と見られていました。ただ、効果的な抗がん剤のおかげで命が支えられてきました。しかし、副作用も強くなりこの一年ばかりは、抗がん剤投与を止め、四人のお子様たちのご家族が代わる代わるに当番を組み、24時間体制でお世話をして来られました。また「小さないのちを守る会」の現在の運営委員の方々も、大きな犠牲を払いながら、この働きを担い続けておられます。
不思議なほどに、先生の周りには、驚くほど自然に、奉仕の輪が広がってゆきます。先生を取り巻く人々は、先生が不得手なことや、その弱さを補うことに、喜びを感じながら奉仕をすることができます。
それは先生が、「イエス様に仕えることを第一としている」というその生き方が、周りの人に触媒のように働くからです。しかも、先生の場合は、周りの人々をコントロールしようとはしませんので、それぞれがみな自分のペースで奉仕することができます。それは先生の中に、ご自分が「神の愛に包まれて生きている」という安心感が見られるからです。ある意味で、先生ほどに「助けられやすい人」はいないとも言えます。
米国では、妊娠中絶の是非が激しい政治問題化しています。日本の報道でも、妊娠中絶反対を強く主張する人々は、「誤って妊娠したと悩んでいる女性の気持ち」に配慮できない、「偏狭な原理主義者」であるかのようなイメージにされることがあります。しかし、日本ではこの 40 年間、この胎児の人権を守るために戦ってきた「小さないのちを守る会」の働きを、そのような米国の運動と結びつけて非難する話しとして聞いたことがありません。
それは、何よりもこの働きを主導してこられた辻岡先生の姿勢のおかげと言えるかもしれません。辻岡先生はご夫妻で、本当に望まない妊娠をした女性の気持ちに徹底的に寄り添って来られました。そこには、堕胎を考えている女性を「殺人者⋯⋯」と責めるような雰囲気は全くありません。不思議なほどに、辻岡ご夫妻と接した人は、自分から進んで「胎児のいのちを守りたい⋯⋯」。
という気持ちに変えられてゆきました。先に辻岡先生を囲む人々が知らないうちに、「自分にできることを何かしたい⋯⋯ 」という気持ちにさせられるのと同じです。
辻岡先生の亡骸を前にしたときに、不思議に以下の御言葉が心に沸いてきました
ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。 ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に。 賢明な者たちは大空の輝きのように輝き、 多くの者を義に導いた者は、 世々限りなく、星のようになる。
ダニエル12:2、3
本当に、辻岡先生は、「多くの者を義に導く」働きをして来られました。
亡くなられる前日、アメイジンググレイスを英語で歌っておられたとのことです。 その英語の四番の歌詞には次のように歌われています。「When we’ve been there ten thousand years, Bright shining as the sun⋯⋯ (私たちが御国で一万年過ごすとき、太陽のように輝いている⋯⋯ )」そして、イエス様も 「正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝きます」と言われました (マタイ 13:43)。
それは私たちがともに栄光の復活にあずかるときに実現します。
私たちも先生のご遺志を受け継いで、「小さないのちを守る会」の働きを、政治的な中絶反対運動というよりも、「キリストの愛を広げる」働きとして担ってゆくべきでしょう。