拙著「心が傷つきやすい人への福音」再版〜詩篇109篇21、22節

今まで多くの方々の相談に乗りながら、一番切実な悩みは、身近な人との人間関係にあるような気がします。そのようなとき、自分の正直な気持ちを創造主なる神に訴えながら、自分のことに関しては、以下のように祈ることができるなら、とっても気が楽になるのではないでしょうか

21 しかし、あなたは、主 (ヤハウェ) 、私の主よ、
御名に従って私を優しく取り扱ってください。
あなたの慈愛 (ヘセド) はすばらしいのですから、
私を救い出してください。
22 なぜなら、私は苦しみ、また乏しく、
この心は、内側で傷ついているからです。
詩篇109篇21、22節 私訳

昨年8月、「」という本を株式会社ヨベル (YOBEL, Inc) から出版していただきました(245頁:1650円)。最初から多くの暖かい評価のことばをいただき、多くのキリスト教書店ですぐに売り切れの状態になってしまいましたが、約半年を経て再版していただくことができました。

このような本を書きたくなったきっかけは、2020年初めからの新型コロナ感染危機の中で、従来のようなコミュニケーションができなくなり、自分の心の傷つきやすさに向き合わざるを得なくなったからです。親しい友人から、Highly Sensitive Person(高度に敏感な人格)という概念を聞き、自分がそれに当てはまる面があると気づかされました。自分としては、「生き馬の目を抜く」と評されるような証券業界に10年間も身を置いてきたという自負があり、自分の傷つきやすさを否定して生きて面があります。それでも、ダビデの詩篇の赤裸々な祈りに、深い親近感を覚えてはいました。

小生は間もなく70歳を迎えようとしていますが、この歳になって改めて、自分の行動が、ときに、周りの人々から理解されないものになってしまう理由を知ることができたように思います。ただ、それでも、そのたびに、詩篇の祈りなどを通して、神様のお取り扱いを受け、それをいろんな場で表現することで、交わりを広げることができてきました。

本著では、自分自身の危なさを心理学的な側面から分析すると同時に、それを多くの異なった傾向を持つお一人お一人に当てはめ、広げて見られるように分析しています。霊的な自己分析やカウンセリング的な視点も書いておりますが、それに関しては専門的な知識をお持ちの中村佐知氏や小渕朝子氏に「推薦のことば」をいただくことができました。この本をお読みになった方は、僕を反面教師にしながら、ご自分のことや周りの人を違って目で見られることになるでしょう。それと同時に、知らないうちに身に着けてしまっている無神論的な対応、「自分で自分の心を制しようとする」ことの愚かさに目を開いていただけると思います。上記のことから始めて、この本の三分の二は、イエス様が味わった詩篇の私訳と解説に費やされています。そこで改めて、私自身や今まで相談に乗ってきた方々が、どのようにそれらの詩篇から神との対話を深め、慰めを得ることができたかが記されています。

この本を題材にお話しをさせていただける機会が増えてきています。最近も、ある教団の牧師研修会にお招きいただくお誘いを受け、とっても驚いています。個人的なことを書くことで、それが多くの人々の心の葛藤に届くことができています。尊敬する霊性の神学者が、「極めて個人的なことは、同時に極めて普遍的なことである」と言ってくださった通りです。

ご興味を持ってくださる方には、一冊からでもお送りさせていただきます。