アズベリーリバイバル 集会の変更——現地レポート

アズベリー大学のチャペル内での今までの礼拝が現地の昨日20日2時で終わりました。これからは形を変えて続けられます。8日から24時間礼拝が続いていましたが、米国中から人口6,000人の小さな町に人々が集まってきてしまい、町としても大学としても対応能力を超えてしまったようです。同チャペルでは22日から16歳から25歳までの若い人に限定した集会を時間を限定して続けます。また23日(木)に以前から予定されていた祈りの集会を公に開いて、その後は、キャンパス内での一般の方向けの集会はしないとのことです。

ただ一方で、ケンタッキー州のどこかで一般の人が集まることができる場所を今、準備中という話もあったようですが、詳細はまだ不明です。

学長さんが感動的な挨拶をしていました。この間、多くの人々がアズベリーに集まる中で、整然と礼拝が守られ、チャペルの外でも多くのボランティアが働いてくだった……本当に多くの方々が信仰の覚醒を体験してくださった……一方的な聖霊様の御業で始まったことが全米にまた世界にも広がるためにできることをしたいという感じでした。今後もこちらの で、アズベリーの様子はご覧いただくことができます。

昨日ご紹介した現地報告の続きです

リバイバルの表と裏

世界中から人々がアズベリー大学の講堂に押し寄せる姿を見る中で、一つ気になったことがありました。それは、そこで実際に暮らす学生達です。毎日生活をし、勉強をしている場所に外部から何千もの人々が訪れ、自分たちの生活圏が全世界にリアルタイムで放送されている。一体学生達はどのような気持ちなのか、「リアル」な声が聞きたいと思い翌日は学生が多く集う大学近くの合同メソジスト教会 (First United Methodist Church) で礼拝を捧げることにしました。

入口に迷い少し遅れて礼拝堂に到着すると、そこでは祈祷課題のシェアが行われていました。「学生達は疲れ果てています。心は燃えていても体は弱いのです。私たち教授陣は学生たちを守りたい。どうすれば学生たちを愛し、仕えることが出来るのか、知恵が与えられるように祈ってください。」

礼拝堂に足を踏み入れて最初に耳に入ったのはアズベリー大学の教授の真剣に学生を思う祈祷課題でした。そしてその祈祷課題を受けて牧師が祈ります。

「主よ。あなたが行っておられる不思議な御業に感謝します。世界中の人々が今アズベリーに押し寄せていることを感謝します。しかし同時に実際にこの場所で暮らしている学生たちの安全、心の平安も守られますように。今起きている出来事の複雑さを裁き合うことなく受け止め、あなたの働きに忠実にありつつ、愛を持ってひとつひとつの判断をしていくことが出来ますように。」

その祈りを聞き、はっとさせられました。自分たちはどれだけそこで暮らしている人々のこと、学んでいる学生たちのことを考えていただろうか。連日の SNS や報道で全世界の注目を浴びているということが学生たちにどのような影響を与えているのかを考えただろうか。

そんなことをグルグルと考えている中で説教が始まりました。アズベリー神学校の学生によるマタイの福音書の変貌山の箇所からの説教でした。「私たちは山上の体験 (mountain top experience) をまさに今目撃しています。」と彼女は語りました。「ペテロが変貌山で経験したのと同じように、言葉にならない、説明できないビジョンを見ているのです。リバイバルを否定する人、批判する人、注意を促す人がいることは知っています。私もその一人でした。しかし神は時に私たちの頭では理解出来ない、不思議なことをなさるのです。」

そして彼女は非常に重要な点を指摘しました。「この変貌山の出来事の直後、ペテロはイエスの十字架の預言を否定し、叱責を受けます。何がペテロの過ちだったのでしょうか?それは十字架を抜きにした栄光を求めていたからではないでしょうか。山の上で復活の希望の前味を目撃したペテロは、イエスが十字架にかかって死ぬなんていうことは想像もできなかった。栄光へと真っ先に進みたかった。

しかしイエスキリストの道は十字架への道でした。リバイバルは現実逃避ではあってはならない。なぜならキリストが私たちを招いておられるのは十字架への道だからです。終末的な栄光のビジョンと十字架の道はキリストにあって分離することはできないのです。」

アズベリーで起こっている出来事を変貌山のペテロの体験と比較し、私たちに与えられる「山上の体験」は現実逃避ではなくイエスキリストの十字架を背負う道に招くためのものである、という素晴らしい説教でした。

礼拝後、説教をした神学生とテイラー牧師から色々と話を聞くことができました。特に興味深かったのがリバイバルが起きたのが合同メソジスト教会の分裂直後だったという点でした。

日本ではあまり知られていませんが、アズベリー神学校は合同メソジスト教団(アメリカ最大のメソジスト教団)の認定神学校の一つで、特に同性婚を巡る教団の分裂の中で保守的な立場を取る教会の中心となっていた神学校でした。

教団が分裂し、多くの教会が合同メソジストを去るかどうかの選択が迫られている。そのような分裂の痛みを抱える中での出来事だったとのことです。

テイラー牧師は「このタイミングでリバイバルが起きたことにはきっと意味があると思う。しかしその意味を言語化するのはまだ早いのではないか。私たちの教会は、教団を去るかどうかという重要な判断を時間をかけ、ゆっくり対話をしながら決める方向でいる。是非教会のために、学生たちのために祈ってください。」と仰っていました。

コロナ、人種問題、選挙、教団の分裂と揺れに揺れたタイミングに起きたリバイバル。私たちのトリニティも図らずもアズベリーに向かう前日の金曜日に学部が閉鎖されるという通知が届きました。(高橋注:トリニティー神学校は何の問題もなくずっと続きますが、一般向けの学部に学生が集まらなかったようです)

暗闇の中だからこそ見える光がある。苦難の中こそ聞こえる主の御声がある。前が見えないからこそ見える十字架がある。そんなことを思わされた1日でした。