トルコ・シリア地震〜ローマ8章18–23節

連日、トルコ・シリア地震の被害の大きさが伝えられて、心が痛みますね。これからも被害の大きさが、予想以上であることが伝えられてゆくと思われます。何しろ政情の不安定な地域で実態がよくわかりにくい面があります。トルコから迫害を受けているクルド人が多く暮らす地域や、シリアの反政府支配地も含まれています。

今回の地震の震源地と言われるカフラマンマラッシュは、聖書に頻繁に登場する町に比較的近い場所です。アブラハムが滞在し、その兄弟が残ったハランから西に約200㎞、使徒パウロを送り出したアンティオケア教会のあった場所から北に150㎞ぐらいの場所です。

地震の理由は、トルコのあるアナトリアプレートと、ヨルダン渓谷や死海を含むアラビアプレートの断層の衝突と言われているようです。約束の地の複雑な地形が大きな意味でそこに関わっているとも言えましょう。

聖書では、アダムが神に反抗したことから、大地が呪われたと記されます。そしてローマ人への手紙8章18-22節では被造物の「うめき」が描かれています。

「被造物は切実な思いで、神の子どもたちの現れを待ち望んでいます」(19節) と記されるのは、キリストの再臨の際に、すでに死んでいる者や、生きている私たちが栄光の復活にあずかるときを指しています。

私たちがキリストに似た者へと変えられることと、「被造物が虚無に服した」(20節)状態、また「滅びの束縛から解放される」ことがセットで、「神の子どもたちの栄光の自由にあずかる」希望として描かれています。

そしてそのような中で、「被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています」(22節) と描かれています。

今回の地震の惨状や、あの地に続く悲惨な戦争は、私たち人間が神に逆らって生きてきたことの矛盾が代表的に現れている場所とも言えます。

あの地の悲惨は、ある意味で、私たちにすべての人間の代表者としての苦しみです。ですから、彼らの苦しみを私たちの問題としてとらえる必要があります。

ローマ人への手紙8章の続きでは、「御霊の初穂をいただいている私たち自身も……心の中でうめいています」(23節) と記されます。
 
聖霊に動かされている人は、遠い国の悲惨も、自分たちの悲惨の一部であると考えます。何もできないことを悲しみながら、そこでともにうめき、祈っている……ことから、新しいことが始まります。私たちの身近な問題として、ともに祈って行きましょう。