イザヤ21~23章「どこに目を向けて生きるのか」

2022年12月11日

私たちは小さい頃から、いつも自分の人生を自分で管理できるようにと訓練されてきました。確かにそれは大切なことですが、究極的には、仏教が言うような「生、老、病、死」を中心とした四苦八苦は、管理しきれません。仏教は、自分の願望という「煩悩」を消すことによってそれを受け入れるように勧めます。

聖書では、それらがすべての背後に全能の神の御手があることを、主ご自身が「今、見よ、わたし、わたしこそがそれである。わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、また癒やす。わたしの手からは、だれも救い出せない」(申命記32:39) と宣言しておられます。

ですから私たちはいつでもどこでも主のふところに飛び込み、主との交わりの中でその現実を受け入れ、最終的には主がすべてのことを益に変えてくださるという希望の中に生きようとするのです。

しかもそこで私たちに与えられている知恵とは、人生を自分で管理できると思うことは究極的には幻想にすぎないと認めることです。

1.「海の荒野(バビロン)、ドマ(エドム)、アラビアについての宣告」

「海の荒野についての宣告」(21:1) とはバビロンに対してのもので (9節参照)、そこがペルシア湾に面していることを皮肉った表現です。その国を襲う恐怖が、「ネゲブに吹きまくるつむじ風」と描かれるのは、ユダに住む人の感覚に訴えるためです。

この時代は、アッシリア帝国が北王国イスラエルを紀元前722年に滅ぼして間もなくで、39章1節によるとその頃、バビロンの王メロダク・バルアダンユダの王ヒゼキヤに手紙と贈り物を届けましたが、ヒゼキヤはそれを非常に喜び、その使者を歓迎したと記されます。

それに対し預言者イザヤは、バビロンがエルサレムにとってのはるかに恐ろしい脅威であることを預言します。そのような文脈の中で、アッシリアに対抗するためにバビロンに頼ることの愚かさがこの章で描かれます。それは20章でペリシテを中心とする海辺の住民がエジプトを頼りにしたことを嘲ったことと同じ意味です。

「厳しい幻が私に示された」(21:2) とは、預言者イザヤに主からの幻が示されたことで、その内容が「裏切る者は裏切り、荒らす者は荒らす。エラムよ(ペルシアの西部)よ、上れ。メディア(その北西部)よ、囲め。すべての嘆きをわたしは終わらせる」と記されます (21:2)。

これは主ご自身の語りかけと考えるべきでしょう。エラムとメディアはそのときはバビロンの連合国であったはずですが、主がそれらの国々を裏切らせてバビロンを窮地に陥れると言われたのでしょう。

なおセンナケリブは紀元前701年にエルサレムを包囲して陥落させることができませんでした。バビロンの王が使いを寄こしたのはその前の時期だと思われます。

「それゆえ、戦慄が私の腰に満ち……私は心乱れて、聞くこともできない。恐ろしさのあまり見ることができない」(21:3) とは、2節に述べられた「幻」の「厳しさ」のゆえです。

そのような中で、「私が恋い慕ったたそがれも、私をおびえさせるものとなった」(21:4) と記されるのは、バビロンがアッシリアを東から攻撃をすることで、アッシリアにとっての夕暮れ時(たそがれ)になり、エルサレムにとっては喜びとなるという期待が裏切られるからです。

さらに「彼らは食卓を整え……食べたり飲んだりしている。『立ち上がれ、首長たち、盾に油を塗れ』」(21:5) と記されるのは、メルダク・バルアダンの使者を迎えて、対アッシリア連合を結ぶ首長たちの宴会の様子です。彼らは根拠のない望みを抱いて互いに励まし合おうとしているだけでした。

それに対し主はイザヤに、「見張りを立たせ、見たことを告げさせよ」ように命じます (21:6)。「ろば」や「らくだ」に乗る者に「注意を払わせよ」と記されるのは (21:7)、それが遊牧民の軍隊の準備を表すものだからです。

8節は原文で「すると獅子が叫んだ」と記されています。これは恐怖の到来をイメージさせることばです。そこでイザヤ自身が、「見張り台の上に、主よ、この私は昼の間いつも立っています。また自分の物見やぐらの上に、この私は夜毎についています」と述べます。それは9節に記されるように、バビロンを攻撃する軍隊が迫って来ることを告げるための「見張り」です。

そこでイザヤは、攻撃軍が互いに「倒れた。バビロンは倒れた」と言い合っている情景を知らせ、ユダの王たちの期待が裏切られることを示しました。その上でイザヤは神の民の悲惨を思いながら、「私の踏みにじられた者、打ち場の私の子らよ。イスラエルの神、万軍の主 (ヤハウェ) から聞いたことを私はあなたがたに告げたのだ」(21:10) と述べます。これは悪い知らせが主からのものであると念を押すためです。

多くの人は世界の政治を「敵の敵は味方」という力のバランスで考えますが、そのような考え方がいかに愚かであるかを、主が語っておられるのです。

21章11、12節の、「ドマについての宣告……」においては、「セイルから私に叫ぶ者がある」と記されるように、エドムの中心都市セイルから見張り人としてのイザヤに必死に問いかける質問が描かれます。なお、「ドマ」は、沈黙(ドゥーム)とエドムをかけたことばで、問いに対する答えが「沈黙」でしかないことを示す意味があります。

その問いとは、「夜回りよ、今は夜の何時か」ということばの繰り返しで、それはアッシリアの支配という「」がいつ終わるのかという意味があるのかと思われます。まったく同じ問いのことばが繰り返されるところに、問う者の必死さが描かれています。

それに対し、イザヤはその時期を答えないまま、「朝は来る」という希望を語りながら、同時に「また夜も来る」という絶望も告げます。それはアッシリアが滅びてもまた次の支配者であるバビロンが来るいうことを示唆したのだと思われます。

さらに続く「尋ねたければ尋ねよ。もう一度、来るがよい」という答えは、彼らが同じ問いを発せざるを得ない事態が到来することを示唆したものです。それは、答えようがないと示すことで、問いが間違っていることを示すことばです。

21章13-17節は続く「アラビアについての宣告」です。「デダン」「テマ」とはエドムの南にあるオアシスの町ですが、13、14節の語順を原文通りにすると、「アラビアの茂み(「林」というより、草木が茂るオアシス)に宿るデダンの隊商よ、渇いている者を迎えて、水をやれ。テマの地に住む者よ、逃れて来た者にパンを与えよ」と訳すことができます(聖書協会共同訳参照)。

「渇いている者」、「逃れて来た者」とは、先のエドムに対するアッシリアの「剣や抜き身の剣から、張られた弓や激しい戦いから逃れて来た」人々だと思われます (15節)。それは、「明日は我が身」ということばがあるように、強大な帝国の支配に軍事力で立ち向かおうとする代わりに、互いに肩を寄せ合って助け合うことこそが長期的には益となるからです。

21章16節の「ケダル」とは、アラビアの砂漠の北西部、先の二つの町を含む地域ですが、「雇人の年季のように、もう一年のうちに、ケダルのすべての栄光は尽きる。ケダル人の勇士たちで、残る射手は数少なくなる」と、「イスラエルの神、主 (ヤハウェ) が告げられる」と記されます。

似た表現が16章14節でモアブに対して語られていました。そこでは、主ご自身がモアブのために嘆き、モアブがイスラエルの神、主にすがるようになるのを待つと記されていました。

ですから、ここでも、主はケダルの勇士たちに、アッシリアの攻撃に力で対抗する代わりに、主に立ち返るようにと勧めていると考えるべきでしょう。先に、「渇いている者」や「逃れて来た者」にやさしく接することが勧められるのは、主ご自身が望まれることだからです。

この世界には様々な不条理や痛みがあります。その中でより良い政治を求めて戦うことも時には必要ですが、それ以上に、今ここで、痛み悲しむ人にどのように向き合うかが私たちに問われています。

2.「幻の谷(エルサレム)についての宣告」

22章はエルサレムに対する宣告です。これが「幻の谷」と呼ばれるのは、その栄光が幻になることを示唆したものでしょう。

最初の「これは、いったいどうしたことか。みな屋根に上ったりして。喧騒に満ちた、おごった都よ」と記される情景は、9-11節に描かれるヒゼキヤ王が作った水道を喜び祝ったようすと理解できます。

さらに、2、3節はヘブル語の「完了形」で、時間というより出来事を外側から一つのまとまりとして見るという視点を表します。ですから、ここは将来的なエルサレム陥落の預言と考えることができます。

「おまえのうちの殺された者たちは、剣で刺し殺されたのでもなく、戦死したのでもない」(22:2) と記されるのは、バビロン帝国の攻撃に恐れる民が、エルサレムは安全だと思い込んで城壁の中に入り込み、人口が多くなりすぎて飢え死にする町の自滅を示唆しています。

そのとき、「おまえの首領たちは、こぞって逃げた」というリーダーシップの混乱が起き、無政府状態で皆が互いの食料を奪い合って自滅するということが起きます。なおこのときの首長たちは自分の身の安全ばかりを考え、住民たちの飢え死にを見過ごしたまま、城壁が崩れそうになると責任を放棄し、一目散に「逃げ」ますが「捕らえられ」てしまいます。

哀歌4章9、10節にはこのときの悲惨が、「剣で殺される人は、飢えで殺される者たちより幸せであった……あわれみ深い女たちが、自分の手で自分の子を煮た。娘であるわたしの民が破滅したとき、それが彼女たちの食物となった」という想像を絶する表現で描かれています。

しかも、それはあらかじめモーセが、「あなたは包囲と、敵がもたらす窮乏のために、あなたの神、主 (ヤハウェ) が与えてくださった、あなたの胎の実である息子や娘の肉を食べるようになる」(申命記28:53) と警告していたことでもありました。

この将来的な悲惨をイザヤは目の当たりに思い浮かべながら、「私から目をそらせ。私は激しく泣きたい。私の民、この娘の破滅のことで、無理に私を慰めるな」(22:4) と語ります。それはモーセの書に既に警告されていたことなので、その厳しさを理解できたからです。

しかもイザヤはその「恐慌と蹂躙と混乱の日が、万軍のヤハウェ、主から来るからだ」(22:5) と述べます。それは預言の成就だからです。

そして、続けて「幻の谷には、城壁の崩壊、山々に向かっての叫び」と記されるのは、エルサレム城壁が崩され、町の人々はオリーブ山などのエルサレムを取り巻く山々を自然の要害として期待するようになるからです。

ところがそこに押し寄せる敵の攻撃が「エラムは矢筒を負い、戦車と兵士と騎兵を引き連れ、キルは盾の覆いを外した」と描かれます (22:6)。エラムはバビロンの東側にあるペルシアの中心地ですが、キルがどこかはわかりません。とにかくイザヤはバビロンと連合を結んでいる国々を上げることで、バビロン帝国がエルサレムを襲うことを示唆しているのでしょう。

なお、「おまえの最も美しい平地」とは「幻の谷」と呼ばれる谷間の中にある小さな平地の部分で、そこが「戦車で満ちる」という絶体絶命の危機が警告されます。

そのまとめが「こうして主はユダの覆いを除かれた」(22:8) と描かれますが、そのような中で彼らが行ったことが、「おまえは目を向けた、その日、森の宮殿の武器に。また、ダビデの町の破れが多いことを見た。それで下の池の水を集めた。さらに、エルサレムの家々を数えた。そして家々を取り壊して城壁を補強した。そして、貯水池を作った、二重の城壁の間に、古い池の水のための」(8–11節) と描かれます。

これはエルサレム防衛のために武力を整え、水の補給路を確保したことを指します。「下の池」とはダビデの町の南端のシロアムの池で、そこを「二重の城壁の間の貯水池」とし、そこに「古い池」と呼ばれるギホンの泉から水を引いて、町が包囲されたときの水源を確保したという意味だと思われます。

城壁の補強と同時に「ヒゼキヤのトンネル」と呼ばれ水源確保の大工事は、後代の人々に感動を与えているものです。

ただそこで、「しかし、おまえたちは目を向けなかった、これを造られた方には。また、これを遠い昔に形造った方を見ることはしなかった」という嘆きが描かれます。

ここでの「目を向ける」「見る」という動詞は先の「武器に目を向ける」「町の破れ……を見る」で使われていたものと同じです。エルサレムにある弱点を冷静に見ること自体は当然の務めですが、それ以前にエルサレムにある素晴らしい立地条件やその町を今に至るまで導いてこられた(ヤハウェ) のみわざを忘れてしまうことが何よりも問題とされているのです。

なお、自分の弱さのゆえに危機的状況に陥ったときに、私たちは現実から目を背ける傾向があることを22章12、13節は語っています。

「その日、万軍のヤハウェ主は、『泣いて、悲しみ、頭を剃って粗布をまとえ』と呼びかけられた」のですが、「しかし、なんとおまえたちは浮かれ楽しみ、牛を殺し、羊を屠り、肉を食べ、ぶどう酒を飲んで、『飲めよ。食べよ。どうせ、明日は死ぬのだ』と言っている」というのです。

危機の中で人間的な対処に走ることの正反対に、「あきらめ」と「居直り」があります。それが人を、刹那的な宴会に走らせます。しかし、そのような心の態度に対して、主は、「この咎は、おまえたちが死ぬまで決して赦されることはない」(22:14) と言われます。

神が赦すことができない罪とは、私たちが神の赦しと助けを求めないことです。ある人は、「自分の過ちを隠そうと策略することに比べたら、私たちが犯すほとんどの過ちははるかに許しやすいものである」と言っています。事実、自分の過ちを素直に認めず、言い訳を考え出す者は、自分を正当化し、自分を被害者とし、神と人との関係を壊してしまいます。

ところでパウロは、このみことばを引用しながら、「もし死者がよみがえらないのなら、『食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから』ということになります」(Ⅰコリント15:32) と語っています。つまり、私たちの身体が復活し、平安と喜びのうちに主の前に立たせていただけるという最終的な希望こそが、あきらめと居直りという刹那主義的快楽への歯止めになるのです。

希望こそが、人間をあらゆる堕落から守る最後の砦と言えます。希望を持っている人は信頼できます。私たちの救いは「希望を持つ」こと自体の中にあります。

そのことをパウロは聖霊の働きとともに、「御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。私たちは、この望みとともに(望みにおいて)救われているのです」(ローマ8:23) と記しています。

22章15~25節では、「宮廷をつかさどる執事」のことが記されています。ここには36章に登場するヒゼキヤ王の二人の補佐官が登場します。「執事」というタイトルは旧約聖書中ここだけですが、これは新約聖書時代の教会の「執事」にも通じる働きです。

最初の「執事シェブナ」は、エルサレムの危機的状況下で、「高いところに自分の墓を掘ったり、岩に自分の住まいを刻んだり」と (16節)、自分の名誉に執着していました。

それに対して、「主 (ヤハウェ) はあなたを遠くに投げやる」と言われます(17節)。さらに主は彼を、「主人の家の恥さらしよ」と断罪し (18節)、「あなたは自分の地位から引き下ろされる」と言われます (19節)。

その上で主は、「ヒルキヤの子エルヤキムを召し」、彼をシェブナの交代に立てると言われます (20、21節)。さらに主はエルヤキムに関して「わたしはまた、彼の肩にダビデの家の鍵を置く」(22節) と言って王家の管理を任せるというのです。

さらに「彼はその父の家にとっての栄光の座となる」と、主が彼の「栄光」を保証されます (23節)。ここに主ご自身がダビデの家の執事の職まで動かしていることが描かれます。

しかし24節での「彼の上に、父の家のすべての栄光がかけられる。子も孫も……すべての壺に至るまで」と、エルヤキムに対する人々の期待が大きくなりすぎることへの懸念が描かれます。

そしてその結果が、「その日……確かな場所に打ち込まれた杭は抜き取られ、折られて落ち、その上にかかっていた荷も取り壊される」と、子孫の時代になってすべてが失われると言われます (25節)。

これは個人に期待しすぎることの問題と言えましょう。国でも教会でも、一人ひとりが主 (ヤハウェ) に信頼している必要があります。ある特定の個人の信仰にある集団の「すべての栄光をかける」というようなことは自滅への道と言えましょう。

3.「(海上貿易で栄えた)ツロについての宣告」

23章では「ツロについての宣告」が描かれます。ツロとはイスラエルの北にあった貿易都市で、沖合600mの地中海上の島にありました。

その最初に「タルシュシュの船よ、泣き叫べ」と記されるのは当時の世界の西の果てのスペイン南部との交易に用いられた大型船が、寄港する町を失ったことへの嘆きです。「キティムの地から、それは彼らに示される」とは、キプロス島でツロの滅亡が知られるという意味です。

2節で「海辺の住民よ、黙れ」と命じられているのは、嘆きを込めた沈黙を命じる意味です。それは「海を渡るシドンの商人」がツロを富ませたこととの対比です。さらに「大海原で、シホルの穀物……」(3節) とはナイル川下流の穀倉地帯の「シホルの穀物」や「ナイル川の刈り入れ」がシドンの商人によって運ばれてきたという繁栄を思い起こすことばです。

しかしここで「シドンよ、恥を見よ」と、貿易の手段である「海」から宣告されます。そしてその結果が海の砦」としてのツロが、希望を失った表現として、「私は生みの苦しみをせず、子を産まず、若い男を育てず、若い女を養ったこともない」(4節) と言うと描かれます。これは、自分の安住の地を失い、子孫を残すことができないという絶望感を表現した言葉と理解できましょう。

6節での「海辺の住民よ、タルシュシュへ渡って、泣き叫べ」とは、ツロの住民に西の果ての地にまで避難するようにという勧めです。7、8節ではツロの歴史の古さと栄光を懐かしむようすが描かれます。

ツロの王はかつて、ダビデやソロモンを支えたほどの力強い存在でした。しかも、「その商人たちは君主たちで、その貿易商は地で最も尊ばれていた」というのは驚くべき表現です。今から2700年前の時代にこれほど海上貿易の商人が力を持つことができていたというのは多くの日本人にとっては驚きと言えます。

しかし23章9節では一転して、「万軍の主 (ヤハウェ) が……すべての麗しい誇りを汚して、地で最も尊ばれている者をみな卑しめられた」と、主がこの世の富を誇る者へのさばきを告げられます。

そして、「娘タルシュシュよ、ナイル川のように自分の国にあふれよ」(10節) とは、スペインと思われる最果ての地がツロの支配から脱する様子を表しています。

11節後半の「主はカナンについて命令を下し、そのとりでを滅ぼし尽くした」とはツロの滅亡を指しています。12、13節はアッシリア帝国がこの地中海岸の地域から東のカルデヤ人の地(バビロン)までの広大な地域を征服した結果、地中海貿易も衰えるようすが描かれます。

23章15節での「その日になると……ツロは七十年の間忘れられる」とは、アッシリア王センナケリブが紀元前701年にツロを滅ぼし、アッシリア帝国がこの地の支配権を失う630年までを指していると思われます。これはエルサレムが七十年間廃墟となるとエレミヤが預言したこととの対比で興味深いことです。

そこでは「七十年が終わると、ツロは遊女の歌のようになる」と描かれますが、これは日本の平家物語のようにツロの没落が歌われたのでしょう。ただ、そこには誇りはなく「忘れられた遊女よ」(16節) と呼ばれるような蔑みしかありません。

ただ17節では、「七十年の終わりに、主 (ヤハウェ) はツロを顧みられる」と、主がツロを復興させることが描かれますが、その富は、「遊女の報酬」と軽蔑されながらも、それが「主 (ヤハウェ) の聖なるものとなる」(18節) と描かれます。これは目の前の利益だけを目指しているツロの商業活動が、主の民のために用いられるようになることを示しています。

これは、ダビデやソロモンのときに、ツロの富がエルサレムの繁栄を支えたときと同じ状態が回復されるという意味と言えましょう。私たちはこの世の商業活動を軽蔑してはなりません。その「儲け」が、「主 (ヤハウェ) の聖なるもの」へと変えられることになるからです。

多くの人の目はこの世的な成功に目が向かっており、損得勘定で力のある人の好意を得ようとしたり、反対に自分に利益とならない人を無視したりします。しかし、主はあなたの心の動機や誠実さを見ておられ、それに報いてくださる方です。

そこで求められているのは、自分の正当性を訴えたり、また自分がどれだけ役に立つ存在であるかをアピールすることではなく、あるがままの自分を主に差し出すことです。

その際、私たちの心にはいろんな「破れ」があり、それを繕いたいと思うのは当然ですが、すべての人は欠点を抱えたままで神のユニークな作品であることを忘れてはなりません。しかも、自分の弱さを自覚しない人は、神の救いを求めようとも思いません。ですから、自分の弱さを恥じる必要はありません。

それどころかパウロのように、自分の肉体のとげが取り去られることを願いながら、その中で主が、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われるのを聞き、驚くべき逆説として、「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と告白することができます (Ⅱコリント12:9)。

私たちの弱さは、神と自分の結び目です。それは私たちの祈りの出発点です。弱さを恥じる暇があったら、その弱さを与えた神助けを求めて祈るべきなのです。