アニミズムと映画「すずめの戸締り」〜詩篇148篇、イザヤ14章4–8

今、日本中で、アニメ映画「すずめの戸締り」が流行っているようです。ついつい僕も昨日、洋子とともにこの映画を見てきました。とっても考えさせられるとともに本当に感動しました。

新海誠監督の映画は「君の名は」「天気の子」なども見てきましたが、毎回、そこにあるアニミズムの世界観にちょっとした違和感を覚えることがあります。アニミズムとは、すべての物に神々の霊が宿っているという考え方で、極めて日本的な宗教意識を反映したものです。それに対する違和感はクリスチャンとして持っていて当然なのですが、その結果として、そこにある美しい物語に感動できなくなるとしたら、それは残念かなとも思います。

キリスト教は伝統的に、そのようなアニミズム的な世界観を軽蔑してきました。それは、聖書においては、万物の創造主のみが善悪の基準で、すべてのものに神々の霊が宿ってしまうなら、この世界から善悪の基準がなくなってしまうからです。すべてのものに相対的な善悪の意味しかないなら、政治の世界の闇だって、国際政治における軍事力による脅しだって正当化され得るからです。

でも一方、多くの日本人が指摘するように、一神教は自分を絶対化することで、侵略戦争だって正当化できてしまうという誤解があります。残念ながらロシアのプーチン大統領も、ウクライナへの侵略行為を、神のみこころに従っていると豪語しているという現実があります。実は、聖書的な世界観を大切にしているつもりの人が、とんでもない過ちを犯すことがあるというのがしばしばキリスト教国といわれる国々で起きる歴史の現実なのです。

しかし、聖書の世界では、自分の価値観を絶対化し、自分を神の地位に置くような人間は、誰よりも厳しい裁きを受けます。

たとえば、イスラエルの神は、ご自身の民を懲らしめて謙遜にするため、バビロンの王を用いてエルサレムを一時的に滅ぼしましたが、神はその後、バビロンの王が自分が「いと高き神のようになろう」(イザヤ14章14節)としたことにさばきをくだします。そして、バビロンの王の横暴な支配が終わったときのことが

全地は安らかに憩い、喜びの歌声を上げる。
もみの木もレバノンの杉も、おまえのこと(没落)を喜ぶ

と描かれています (イザヤ14章7、8節)。まるでもみの木やレバノン杉に意識があるような書き方がなされています。

また、詩篇148篇でも、以下に記されるように、精神も意識もないはずのすべての被造物に向かって、「主をほめたたえよ」という呼びかけがされています。

ほめたたえよ 主を 日よ 月よ

ほめたたえよ 主を すべての輝く星よ

ほめたたえよ 主を 諸々の天の天よ

諸々の天の上にある水よ

ほめたたえさせよ 主 (ヤハウェ) の御名を

この方が命じて それらは創造されたのだから

この方がそれらを立てられた 世々限りなく

この方が定めを置かれた それは過ぎ去ることがない

ほめたたえよ 主 (ヤハウェ) を 地の上から

海の巨獣よ すべての淵よ

火よ 雹よ 雪よ 煙よ

みことばを行う 激しい風(息)よ

山々よ すべての丘よ

実のなる木よ すべての杉よ

獣よ すべての家畜よ

這う者よ 翼のある鳥よ

この詩篇のことばに従って、今から800年余り前のイタリアに生きたアシジのフランシスコは、太陽を自分の兄弟、月を自分の姉妹と呼びながらすべての創造主である神をたたえ、同時に、野の獣や小鳥たちとも語り合うことができたと言われます。

「すずめの戸締り」の映画の中で、猫や椅子がしゃべったとしても、アシジのフランシスコの感覚からしたら、不思議はないのかもしれません。

それ以上に森の木々や山や川を単なる無機質な物体とみる方が、聖書的な価値観に反しているのかもしれません。また、野の獣のことばにならない声に耳を傾けようとしない姿勢も聖書に反しているかもしれません。

すべてのものに神々の霊が宿っているという日本人的なアニミズムの世界観を一方的に軽蔑することなく、日本で生まれたアニメ映画の美しさを喜び、そこに描かれた美しい物語に感動できる感性を大切にしたいと思いました。

ちなみに、「戸締り」には、家を出て危険な外の世界に向かうときになされる手続きであるという意味があるようです。

私たちは、死の力に打ち勝ってくださったイエス様がともにいてくださいますから、その危険な世界に堂々と出てゆくことができます。

新海誠さんは日本的な意識を大切に映画を作っているようですが、それでいながら、聖書が示す自己犠牲の愛、普遍的な善悪の基準の存在を示唆するようなことを大切に描いています。

別に映画の宣伝をするつもりで書いたわけではありませんが、日本的なアニミズムの価値観を真っ向から否定するような話が、キリスト教会の中でなされることもあるという現実を覚えながら、今回の記事を書かせていただきました。