昨日は、めったにないことですが、参議院の代表質問を見る機会がありました。初めて質問に立った二人の議員の質問に関心しました。
一人は「れいわ新選組」の木村英子議員の質問でした。彼女はいつも他の人の助を必要とする身体の弱さを抱えておられる方ですが、その立場から、コロナ禍の中での補助者を必要とする方々を受け入れる医療体制を質問されました。厚生労働省の指示が十分に行き届かない医療現場の課題を指摘しましたが、首相や担当の大臣が、その問題に誠実に対処するという約束をうまく引き出すことができていました。ほんとにその話のもって行き方に感心しました。
もう一人は、日本維新の会から今回初当選した金子道仁先生です。金子先生は現役のキリスト教会の牧師で、多くの福音的な教会の支持を受けて当選されました。日本維新の会からの比例代表ということで、それに賛同できないキリスト教会の指導者からも様々な批判にさらされてきました。
昨日は、異例の抜擢で、質問に立たせてもらえましたが、やはりふだんから多くの方々の心に語りかけている現役の牧師としてのよさが現れていました。 は、日本企業の内部留保の多さですが、その中でも外貨建ての内部留保の問題を指摘されました。続いて、現在の統一協会の問題を、キリスト教会の牧師の立場から、世間の誤解を解くような質問、最期は北朝鮮の拉致被害者の問題でした。
感心したのは、岸田総理から、一歩踏み込んだ発言を促す、その話のもって行き方です。決して、批判から入るのではなく、総理自身が課題と感じることに寄り添い、そこから一歩踏み込んだ発言へと進めるような話をしていました。
政治的には「れいわ新選組」と「日本維新の会」は水と油です。当教会にはどちらかの党を支持する方が複数いることを承知しております。
でも、今回の代表質問を見ながら、改めて政党のレッテルで人を見ることの愚かさを覚えさせられました。
首相や監督官庁のこれまでの取り組みをそれなりに評価しながら、現実にその通りに機能していないことを指摘し、一歩踏み込んだ発言や、約束を責任者から引き出すということは、国会議員だからこそできることです。
使徒パウロは、自分が人々の心をキリストの福音に開かせるために行っている原則を以下のように語っています
私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を獲得するためです⋯⋯律法を持たない人たちには⋯⋯律法を持たない者のようになりました。律法を持たない人を獲得するためです。弱い人たちには弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです。すべての人に、すべての者となりました。何とかして、何人かでも救うためです。
Ⅰコリント9:19–22
私たち一人ひとりはそれぞれの生活の場で、必死に生きながら、様々な課題に向き合っています。それぞれが政治に対してもまったっく異なった視点や問題意識を持っています。
それぞれの視点を批判することなく、それのぞれの心の中にある問題意識に寄り添って初めて、協力関係が築かれます。
そのような視点から政治家のために祈り、またそのような視点を持つ政治家を応援することの大切さを改めて覚えさせられました。