当たり前のことながら、いろいろ思い通りにならないことが多いですね。昨日も書きましたが、この百年余りの中で平均寿命が約二倍になるという驚くべき変化が生まれています。しかし、多くの人はその変化に合わせた生き方ができていないのかもしれません。
ドイツコラールの王冠とも言われる二つの讃美歌を作詞作曲したフィリップ・ニコライという牧師がいます (1556–1608)。讃美歌174「起きよ、夜は明けぬ」、讃美歌346「たえにうるわしや」の作者です。彼の生涯はたった52年間でした。その生涯は正統的な信仰告白を守り広めることと、ペストをはじめとする感染症との戦いに費やされていました。
彼は40歳を過ぎたある朝、苦難と死に取り囲まれながら、起き上がって、全精神を救い主イエスに向け、キリストの愛と天の喜びにひたりつつ、讃美歌346番「たえにうるわしや」の原曲を作詞作曲したと言われます。
僕はその6番目の歌詞がとても好きです。今朝も、気だるさを覚えながらも、その歌詞を思い巡らし、霊的な目標を新たにすることができました。
どれほど、これは心から喜ぶことができることか。
私にとっての宝は、アルファでありオメガ、
初めであり、終わりである方なのだ。
主は私の労苦に豊かな報酬を与え、
パラダイスへと迎え入れてくださる。
それを私は両手をたたいて喜ぼう。
アーメン、アーメン
麗しい喜びの冠よ
遅れずに 来てください。
あなたを切に待ち望んでいます
この歌詞に基づいた1分36秒の合唱を以下でお聞きいただけます。
この曲はJ.S.バッハが40歳の時に編曲したものですが、バッハの作品の中でも記念すべきカンタータ1番の六曲目として収録されています。バッハは原曲が生まれた約130年後にこのカンタータを発表しました。これがなぜカンタータ1番となったかは分かりません。しかし、多くのドイツ人がニコライ作詞作曲のこの讃美歌に慰めと喜びを見出だしていたからこそと言えましょう。
上記の歌詞からピリピ人への手紙3章12–14節のみことばを思い浮かべます。
12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして追及しているのです。そしてそれを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
13 兄弟たち。私は、自分がすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち後ろのものを忘れ、前に向かって身を伸ばし、
14 キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです(目標を追求し続けているのです)。
いろんなことが思い通りにならず、がっかりするようなときに、地上的な目標の達成から、キリストが用意してくださっている「喜びの冠」に視点を変えるということの大切さを思わされています。
なお、この曲に当教会のビジョンを以下のように合わせて歌えるようにしています。
新しい創造
- キリストの愛に やすらぎ癒され 御姿に似る
すべての疲れし 重荷負いし者 御もとに来たれ
主イエスと ともに歩む日の幸い 恵みは尽きせじ - 新しい創造 ここにて喜び シャローム望む
愛と正義住む 御国を待ちつつ 今日も生かさる
十字架の 主イエスのくすしきみわざよ すべてが新たに - 主イエスに倣いて 御神のかたちで ともにこの地に
ひとり子をも世に 遣わせし御父 われら遣わす
御霊よ われら愛の器となし 御国をこの地に