日々悲しいニュースがあります。互いに傷つけ合う世界が見られます。
ドイツで出会った日本の音楽家が、自分の田舎に帰って演奏することを躊躇していました。特に日本の地方の都市では、評論家的な聴衆が多いからとのこと。演奏者を批評できることを誇るような人が……ドイツでは、小さいときから、どんな下手な演奏でも褒め合っているのと対照的だとのことです。
日本でのクリスチャン人口は驚くほど少ないのですが、それでも互いを批評し合う雰囲気が強いように思います。伝道的な映画や小説が出ても、すぐにその神学的な欠けが指摘されます。クリスチャンが政治の世界に出ようとしても同じことが起きます。
使徒パウロはローマ人への手紙15章で次のように勧めています
2 私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです……
7 ですから、神の栄光のために、キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい
興味深いのは、日本的には、霊的な成長のためには、相手の欠点を指摘すべきと考えますが、その反対に、隣人を喜ばせることが霊的な成長を促すということです。それは、人間は基本的に、とっても傷つきやすく、相手からほめられて初めて成長の勇気が生まれるからです。
また、「互いを受け入れ合う」ことの原点は、キリストが罪人のままの欠けだらけの私たちを受け入れてくださったという無償の愛にあります。
拙著、「心が傷つきやすい人への福音」が出版に向けての最終段階になっています。出版の責任者の方が、僕の原稿を読んで、以下の歌をご紹介くださいました。スティングという方が歌っている Fragile(壊れやすい)という曲です。日本語の訳がついた公式ビデオがありますので、ご覧ください
本の中では、自分の傷つきやすさを70歳近くなってやっと受け入れることができて気持ちがとっても楽になったことから書き始めています。しかもダビデの詩篇を見ると、ライオンと一人で戦ったような勇者ダビデの心の繊細さがよく分かります。そして神の御子イエスはその繊細な心の動きが描かれた詩篇のことばを何度も引用しておられます。
実は、すべての人間は、とってもとっても傷つきやすいのです。先ほどの歌では、「私たちは何と壊れやすい (fragile) ことかと繰り返されています。それを聞きながら、改めて他の人の傷つきやすさを受け入れ、それぞれの霊的成長のために、その人の存在自体を、その人にある美しいものを見出し、称賛することの大切さを覚えさせられました。