エステル9、10章「あなたは祝福の基(もとい)となる」

2022年7月10日

「あなたのせいで、何もかも滅茶苦茶になった……」などと言われるのは辛いことですが、モルデカイが権力者ハマンにもっと柔軟に対処していたら、ユダヤ人を根絶やしするなどという王命が発せられることはなかったかもしれません。

この書では、彼がなぜ王命に背いてまでハマンに膝をかがめず、ひれ伏そうとしなかったのかの理由は記されていません。彼は同僚から理由を問われても何の答えもせずに一貫した行動を取っていました。彼はどこかで明確な神のみこころを受け止めていたのでしょうが、理由は周りに人にはまったく理解されませんでした。そして、彼の頑固さは、ユダヤ人を絶滅させかけました。

あなたの回りでも、「あなたがクリスチャンになってさえいなければ、すべてまるく収まっていたはず……」などと言われることがあるかもしれません。しかし、私たちはそんな非難を恐れる必要はありません。

クリスチャンとして生きるとは、アブラハムへの約束が自分のものとされるということを意味します。そこには次のような約束があります。

「あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される」(創世記12:2、3)。

最初のことばは新改訳のように命令形としての翻訳も可能ですが、最新の共同訳では「あなたは祝福の基(もとい)となる」とも訳されています。「基」ということばを付加して、このように訳す方が原文の意図を現わしているようにも思われます。

そして頑固なモルデカイは、ユダヤ人ばかりかペルシア帝国の「祝福の基」となりました。あなたも一途にイエスに従おうとするとき、一時的に、「お前のせいで……」と言われるようなことが起きるかもしれません。

しかし、最終的には、「あなたのおかげで、みんなが助かった」と言われるような「祝福の基」となることができます。そして、そこに神の民としての交わりが生まれます。

1.「逆に(それが一変して……the reverse occurred)」

9章初めに「第12の月、すなわちアダルの月の13日、この日に王の命令(ことば)と法令が実施された。ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に(新改訳第三版「それが一変して」)、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった」と記されます。

ここでは「逆に(ESV訳ではthe reverse occurred)」ということばが鍵になります。それは22節で「悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった月」と記されています。これは紀元前473年の春の頃を指します。

エステルがペルシアの王妃とされたのはその6年前の紀元前479年、クセルクセス王がギリシャとの戦でまさかの大敗北を喫した年の暮でした。その直後、王の暗殺計画がモルデカイの功績によって差し止められました。

しかしその後、総理大臣の地位に引き上げられたのはユダヤ人の仇敵、アマレク人の王アガグの子孫のハマンでした。

アマレク人はエジプト脱出時のイスラエルを呪ったことで、のろわれた民となり、約束の地の占領後「あなたはアマレクの記憶を天の下から消し去らなければならない」と命じられるまでになりました (申命記25:19)。神はイスラエルの初代王サウルを通してそれを実行しようとされましたが、彼の不従順でアマレク人は生きながらえ、サウルの子孫のモルデカイを、アマレクの王アガグの子孫ハマンが攻撃するという構図になりました。

そしてエステルが王妃になって4年余りが経った紀元前474年の春、ハマンはユダヤ人モルデカイが自分に対し「膝もかがめず、ひれ伏そうとしなかった」(3:2) のを見て、憤りに満たされ、ユダヤ人絶滅計画を立て王の一任を取り付けました。

その際、ユダヤ人を根絶やしにする日を「くじ」(プル)で決めますが、それがその約1年後の第12の月アダルの13日に当たりました。

それを聞いたモルデカイは、「衣を引き裂き、粗布をまとい、灰をかぶり、大声で激しくわめき叫びながら都の真ん中に出て行った」(4:1) のですが、その後の行動は極めて冷静で、王妃となったエステル向かって、「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない」(4:14) と、彼女の主体性を尊重しながらも、決死の覚悟を迫りました。

彼女はペルシア帝国の首都スサに住むすべてのユダヤ人に三日三晩の断食の協力を要請し、三日目に王の前に出て行きました。この書に、神の名は一度も記されませんが、それからの動きは、まさに神の圧倒的な導きを感じさせます。

王は好意をもってエステルの願いを何度も聞こうとしますが、その一方で、夜眠れない中で、ユダヤ人モルデカイの功績が書かれた記録に心を留めます (6:2、3)。エステルもモルデカイも、仇敵ハマンに対しては驚くほど冷静に対処しますが、ハマンはモルデカイの冷静さになおも腹を立てて、彼を自分の家の庭の高い木に吊り下げようとしました。

しかしその間、王もハマンの野心に気づくようになり、エステルの訴えを聞いたときに即座に、王はハマンが立てさせた木の上に彼を吊すように命じました。

ハマンはモルデカイを「呪う」ことで、「のろい」を受けたのです。一方、モルデカイは、ペルシアの総理大臣に引き上げられました。

そして、エステルとモルデカイの願いで、ユダヤ人が絶滅されるはずだった日に、ユダヤ人が自分を守るために立ちあがることを許す王命が発布されました。それはハマンが王命を出した2ヵ月後のことでした。

かつてハマンは国中の民に、「アダルの月の13日に……子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪え(3:13) と王命を下しましたが、今度はその反対に、「どの町にいるユダヤ人たちにも、自分のいのちを守るために集まって、自分たちを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしに、虐殺(殺害)し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪うことを許した」(8:11) という王命が発布されます。

アダルの月の13日はそれから約9か月後、過ぎ越しの祭りの一か月前でした。とにかく、ユダヤ人はその日に「根絶やし」にされるはずだったのに、「それが一変して」、ユダヤ人に襲いかかる者を根絶やしにすることが許されたのです。

なお、モルデカイが書いた王命は敢えてハマンが書いた文書の文言を用いてそれを逆転させていますから、ユダヤ人を襲う民や軍隊に子どもや女たちが加わることを想定しているわけではありません。

それから9か月間、ユダヤ人に攻撃をしかけようと思う民族は減って行きましたが、それでも、かつてハマンが出した王命を盾にユダヤ人に襲いかかろうとする民族がいなくなったわけではありません。かつてエステルはモルデカイの命令により自分がユダヤ人であることを隠し続けていました。それは、ユダヤ人に敵対心を持つ民族は数多くいたからです。その代表がハマンの属するアマレク人です。

彼らはユダヤ人を滅ぼすことにまさに情熱を傾けていました。そして、王命によって、民族と民族がぶつかる日、アダルの月の13日が迫ってきました。

2.「しかし、略奪品には手を出さなかった」

そしてその日のことが、「ユダヤ人は、自分たちに害を加えようとする者たちを手にかけようと、クセルクセス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったが、だれもユダヤ人に抵抗する者はいなかった。彼らへの恐れ恐怖)が、すべての民族に下ったからである。諸州の首長、太守、総督、王の役人もみな、ユダヤ人たちを支援した。モルデカイへの恐れ恐怖)が彼らに下ったからである。実際、モルデカイは王宮で勢力(偉大さ)があり、その名声はすべての州に広がっていた。実にこの人物モルデカイはますます勢力(偉大さ)を伸ばしたのであった」(9:2–4) と描かれます。

ここではユダヤ人に対する「恐れ」が、モルデカイの「勢力(偉大さ)」に対する「恐れ」から生まれていると説明されます。ペルシア帝国内の支配階層の人たちがモルデカイの権力に屈していました。

ただそれと同時に、「ユダヤ人たちは彼らの敵をみな剣で打ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分たちを憎む者を思いのままに処分した」(9:5) とも記されています。それは、この期に及んでも、アマレク人を初めとするユダヤ人敵対勢力が少なからずいたからです。

王命では、ユダヤ人に襲いかかる人だけを殺すことができるはずで、彼らが敵を捜し出したわけではありません。それでも「ユダヤ人はスサの城でも500人(男)を殺して滅ぼし」たと記されます (9:6)。そればかりか「ハマンの子10人を虐殺した」と記され、その前に10人の名が記されます (9:6–10)。これはハマンが子どもの数を誇ったことへのさばきとも言えます (5:11)。

ハマンの子らは父が書いた王命を盾にユダヤ人に襲いかかったのでしょう。

ただここでは「略奪品には手を出さなかった」(9:10) と敢えて記されます。王命では、襲いかかって来た者のたちの家族も財産もかすめ奪うことが許されていましたが、ユダヤ人たちはそのような無差別な復讐は思いとどまりました。それは防衛のための戦いであったからでしょう。

そのことが王に報告された後、王妃エステルは王の許可を得て、さらなる願いを申し出ます。それは、「明日も、スサにいるユダヤ人に、きょうの法令どおりにすることをお許しください。そしてハマンの息子10人を柱にかけてください」(9:13) というものでした。10人の子はすでに殺されていましたから、彼女は彼らを見せしめにし、ユダヤ人を「呪う者」は、「のろい」を受けることを示し、人々のユダヤ人への攻撃心に水を浴びせようとしたのでしょう。

それと同時に、ユダヤ人に対する攻撃の兆候がなお残っていたので、徹底的に自己防衛できる日をもう一日延ばすことを願ったのでしょう。それで、「スサにいるユダヤ人はアダルの月の14日にも集まって、スサで300人(男)を殺した」と記されます。

ただ同時にここでも、「略奪品には手を出さなかった」と再び描かれます (9:15)。首都には、多数のユダヤ人とともに、敵対する民族も多かったので、例外的に、二日間にわたって、徹底的な自己防衛の権利が認められたのです。

一方、他の地方での様子が、「王の諸州にいる残りのユダヤ人たちも団結して、自分たちのいのちを守り、敵からの安息を得た。すなわち、自分たちを憎む者75、000人を殺した。しかし、略奪品には手を出さなかった。これはアダルの月の13日のことであり、その14日に彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした」(9:16、17) と描かれます。

広大なペルシア帝国の中にあるすべての町で、ユダヤ人は自分たちに襲いかかる者たちを殺したに過ぎません。彼らはアブラハムの子孫を呪うことによって、自らのろいを招いたのです。

しかしユダヤ人たちは許可があっても、敵の家族や財産には手を付けませんでした。そして、地方にいるユダヤ人たちは、翌日には、敵を恐れる必要もなく、祝宴を開くことができました。

つまり、スサにいるユダヤ人は二日間の防衛戦争をしたため、祝宴の日が15日になり、地方にいるユダヤ人は、防衛戦争を一日で終えたというのです (9:19)。

モルデカイが書いた王命の中心は、「どの町にいるユダヤ人たちにも、自分のいのちを守るために集まって」(8:11) ということにあり、また、彼らの行動も、「王の諸州にいるほかのユダヤ人も団結して、自分たちのいのちを守り……」(9:16) という自己防衛にありました。

その際ユダヤ人には、襲いかかってきた者たちの「家財をかすめ奪うこと」が許されていましたが、三度に渡って、「しかし、略奪品には手を出さなかった」(9:10、15、16) と繰り返されています。

ハマンが出した王命の意図は、「子どもも女も……根絶やしにし……彼らの家財をかすめ奪え」という点にありました (3:13)。彼はそのために驚くほど多額の私財を投資しました。それは彼らの財産を「かすめ奪う」ことによって十分に回収されることを見込んだからです。

モルデカイが書いた王命は、ハマンの文書を敢えて模倣したものですから、「彼らの家財をかすめ奪う」ということは、ある意味で、付け足しのような意味しかありませんでした。命令の中心は、攻撃されるはずだった日に、自己防衛のために団結して、武器を取ることの許可であり、ユダヤ人がもはや迫害を受けることがないようにすることにありましたから、ユダヤ人がこの自己防衛の戦いで経済的な得をすることは本来の趣旨に反することでした。

ここでは、あくまでも、ユダヤ人に襲いかかる者が、自滅していったということを強調することにあります。

3.「ハマンがユダヤ人に対して企んだ悪い計略をハマンの頭上に返し」

それでモルデカイは、ペルシア帝国全土にわたって、ユダヤ人に手紙を書き送り、「ユダヤ人が毎年アダルの月の14日と15日を、自分たちの敵からの安息を得た日、悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定める」ことにしました (9:21、22)。

ここでの「変わる」は9章1節の「逆に(一変して)」と同じ原語です。これはダビデの詩篇にもあり、そこで彼は「あなたは私のために嘆きを踊りに変え、粗布を解き喜びをまとわせてくださいました」(詩篇30:11) と歌っています。モルデカイもユダヤ人もこの詩篇を心から歌ったことでしょう。

プリム(プル:くじの複数形)の祭りはこのような劇的な変化の記念として祝われるようになりましたが、それは何よりもエルサレム神殿から遠く離れて住む離散のユダヤ人たちの中で、「互いにごちそうを贈り交わし、貧しい人々に贈り物をする日」として、共同体を建て上げるため用いられました。

とにかく、この祭りは、ユダヤ人にとっての「過越」の祭りに次いで盛大に祝われますが、楽しさの点では最高の祭りです。

そしてこの祭りの由来が、このエステル記を要約するかのように、「アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人すべてを迫害する者ハマンは、ユダヤ人を滅ぼそうと企んで、プル、すなわちくじによって決め、彼らをかき乱して滅ぼそうとしたが、そのことが王の耳に入ったときに、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対して企んだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけた……こういうわけで、ユダヤ人はプルの名にちなんでこれらの日をプリムと呼んだ」(9:24–26) と記されます。

ここでは「悪い計略をハマンの頭上に返し」という表現に注目すべきです。これは神がアブラハムに「あなたを呪う者をのろう」と言われたことが成就したことを意味します。ハマンはユダヤ人に滅ぼされたというより自滅したのです。

この原則は黙示録のテーマでもあります。そこでは、神の民が、自分たちの信仰のゆえに非業の死を遂げながら、「聖なるまことの主よ。いつまでもさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか」と訴えています (6:10)。

それに対し、神は、神の敵がますます傲慢になり、勢力を増し加えるのを待つように勧めますが、彼らは最後にハルマゲドンに集結します (16:16)。その間、神の民は、ただ神と小羊とを賛美し続けます。そして、最後のときに、再臨のキリストが「王の王、主の主」として現れ、神の敵をたちどころに滅ぼしてしまいます (19:16–20)。

つまり、黙示録でも、神の民の敵は、ハルマゲドンで自分たちの勝利が近いと大集結したところで、一挙に滅ぼされるのです。それは、ハマンがモルデカイを木にかけようと決めたとたんに自滅し、自分も自分の子たちも木に吊るされたというのと同じです。

そしてこの記念日に関して最後に、「この両日は世々にわたり、すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記憶が自分たちの子孫の中で途絶えてしまわないようにした」(9:28) と記されます。

これによって、ユダヤ人の共同体が全世界に広がりながら、同じ祭りを祝うという習慣が生まれます。彼らがホロコーストのような悲惨を体験しながら一つの民として残っているのは、このような神にある逆転を毎年決まった時に祝っているからとも言えましょう。祭りによって神の民の共同体の絆は固められて行ったのです。

10章1節には「クセルクセス王は、本土と海の島々に苦役(税金)を課した」と記されます。これは、ギリシャとの戦いで失墜した王の権威がモルデカイの功績で再び確固とされたことを意味します。

エステルが王妃として就任した年は、ギリシャとの戦いで敗北を喫したときであり、「王は……エステルの宴会を催した。諸州には免税を布告し、王にふさわしい贈り物を配った」(2:18) という懐柔策が必要でしたが、モルデカイの功績で王の権威が回復すると、王は民に遠慮をする必要がなくなりました。

そのことが、「王に重んじられたモルデカイの偉大さ(勢力)についての詳細、それは『メディアとペルシアの王の歴代誌』に確かに記されてる」(10:2) と述べられます。

そして、この書の結論では再び、「実にユダヤ人モルデカイはクセルクセス王の次の位にあって、ユダヤ人にとっては大いなる(偉大な)者であり、多くの同胞たちに敬愛された。彼は自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった」(10:3) と描かれます。

エステル記には神の名が一度も出てきませんが、モルデカイもエステルも、民族が根絶やしにされるという王命が出されたき、神に向かって必死に叫び、三日三晩の断食を布告して、みんなで神に向かって祈るようにと民を導いたことは確かです。

そしてユダヤ人に平和が訪れたとき、彼らはその恵みをユダヤ人が決して代々に渡って忘れることがないようにと二日間の祝日を定めました。この祝日は共同体を堅くする大きな力となっています。そして、これらの物語の背後にはアブラハムへの約束があります。

ハマンはアブラハムの子孫を「呪う」ことで、自分自身に神の「のろい」を招きました。一方、クセルクセス王はアブラハムの子孫を祝福することによって、神の祝福を受け、ギリシャとの戦争で失墜した王の権威を回復できました。

私たちもアブラハムの子孫とされています。たとえ信仰のゆえに迫害を受けることがあっても、私たちを「呪う者」は、それによってハマンと同じように神の「のろい」を自分の頭上に返してしまいます。一方、私たちを祝福してくださる方々は、神からの豊かな祝福を受けることができます。

そのことをイエスは、「あなたがたがキリストに属する者だということで、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません」(マルコ9:41) と言われました。私たちはキリストの弟子として世の人々を愛し、仕えるように召されていますが、反対に、他の人の助けを受けることによっても、人々に祝福をもたらすことができます。

堂々と自分の信仰を証しながら、世の人々との助け合う関係を築くことで、私たちは世界にとっての「祝福の基」となることができます。モルデカイもダニエルもヨセフも異教社会で豊かに用いられましたが、それによって彼らはそれぞれの国々に祝福をもたらしました。

私たちは被害者意識に流されないように気を付ける必要があります。私たちを迫害する者は、それによって自滅に向かっています。私たちに助けの手を差し伸べる者は、それによって神からの祝福が約束されます。

私たちがキリストの弟子として生きるとき、神は私たちを「祝福の基」としてくださるのです。