次から次と悲しみが……〜ヨブ記42章2、3節

この一週間、僕の周りでは次から次と悲しい知らせが舞い込んできていました。一つ一つをお話しすることはできませんが……

その中で、今度は、安倍元総理がまさかの銃弾に倒れ、亡くなってしまわれた……というのは本当にショックなことです。

どこかで、この日本ではそんなことが起きない……と思っていた面があります。いろんな見方があるにしても、安倍さんは日本の歴史に大きな足跡を残した方であることは間違いありません。いろんな批判はできましょうが、今日ぐらいは彼の様々な功績を思い起すべきかと思います。もちろん、これを選挙に安易に結び付けてはなりませんが……

聖書のヨブ記では、ヨブが繰り返し繰り返し、自分がどうしてこのような苦しみに合わなければならなかったかを尋ねています。

そしてその最後の告白は次のようなものでした(私訳)

ヨブは、主に答えた。
「私は知りました、あなたには、すべてのことが可能であること、あなたの御計画を差し止めるものは何もないことを。」(ヨブ42:2)

これは単純に、自分や他者が苦しみに会う理由は分からないということと、すべての出来事が、神のご支配の中で、神の御許しの中で起きているということです。ただ、これは決して、決して、神が暗殺者を使ってある政治家を殺したという意味ではありません。しかし、神は止めようとしたら止めることができるのに、その犯罪者のなすがままを許してしまったということです。

しかもヨブがその理由を神に尋ねると、次のように彼に言われたということばが記されます

この者はだれか、摂理(主のご計画、意図)を覆い隠す者は、知識もない中で。

それに対し、ヨブはさらに、次のように告白します

確かに私は告げてしまいました、自分では理解できないことを、私にとってあまりにも不思議な、知り得ないことを

つまり、ある人がどこかで災いに会う理由を突き詰めて考えても、それは分からない……ということです。

残念ながら、この世界にはいつも不条理なことが起きます。私たちはそのようなことを無くしたいと、何らかの対策を必死に探しますしかし、不条理を、すぐに正そうとすることが次の問題を生むことがあります。

日本にとっての第二次世界大戦は1936年の二・二六事件から始まっているとも言えます。貧しい東北地方の農民の息子たちを中心とする軍隊が、「昭和維新!」などと叫び、軍備増強に歯止めをかけようとした高橋是清を惨殺しました。

ただ同時に、今回のことを、あまりにも大きく取り上げて、「これから暗い時代が始まる……」などと言い過ぎて、現体制を急いで変えなければならないと主張することも危険でしょう。

たしかに、警備の手薄の問題などが議論される必要はあるでしょうが、これを政治的な問題として取り上げ過ぎることも危険でしょう。

わざわいの理由を追求し過ぎて、それを無くそうと体制変革などを訴えることが別の問題を生み出します。

ヨブは、最後までわざわいの理由を知らせてもらうことはできませんでした。

私たちに求められていることは、目の前の課題に、一つ一つ誠実に向き合うことしかありません。自分の労苦が無駄に思えることがあったとしても、へこたれれることなく、主が自分に示しておられる課題に向き合い続けるしかありません。

その場合、一人一人のやり方や向き合い方が違って当然です。

その違いを互いに認め合いながら生きることが大切なのでしょう。