ウクライナのための祈り

ウクライナの惨状を見るに堪えない思いになりますが、苦しむ人と「ともにうめく」ことこそが真実の祈りの始まりです。そこに「私たちは、何をどう祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです」(ローマ8:26) という聖霊のみわざが現されます。

私たちの情報は限られたものしかありませんが、唯一明確なことは、驚くほど多くの方々が今、とんでもない苦しみに追いやられ、うめいているということです。そして、いろんなことが複雑にからみあっていますから、「こうあるべきだ……」という判断が、かえって現地の人々を苦しめることになりかねません。

それにしても恐怖なのは、ロシアのプーチン大統領は、ロシア南部のロシア領内の国チェチェン共和国の独立阻止で名を挙げて、大統領になったという面があることです。

こちらの に書いてありますが、1999年からの十年間、ロシア軍はチェチェン領内を徹底的に破壊し、20万人もの人々、チェチェン人の四分の一を殺害したと言われます。

しかし、チェチェンは四国ほどの小さな場所で、人口は数百万人に過ぎません。しかも、独立運動を導いていた人にイスラム原理主義的なテロリストがいました。今、プーチンが、ウクライナの軍隊をネオナチとかテロリストとか呼ぶのは、それとまったく同じ文脈です。

チェチェンは国際法上ロシア領でした。しかし、ウクライナは明確な独立国で、日本の1.6倍の広大な領土を持ち、4400万人の人々が住んでおられます。

もし、チェチェンを抑えたと同じ発想で、ウクライナに臨んでいるとしたら、どれほどの悲惨が待っているか、想像もできません。