ネヘミヤ5章1節〜7章4節「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」

2022年2月13日

武田信玄が国をまとめた理念をもとにした民謡で、「人は石垣、人は城、情けは味方、仇(恨み)は敵」と歌われます。信玄は強固な城を築くよりも家臣たちとの心の繋がりこそが最大の防御になると信じました。なお徳川家康は信玄に敗北することを通してそれらの原則を学び、それが徳川幕府の長期政権へと結びつきます。

ただ、目に見える城壁が全く必要なかったというわけでは決してありません。信玄の二千年前に生きたネヘミヤは、エルサレム城壁の再建と並行して、共同体を建てあげることに心を傾けました。なぜなら、バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちの間には貧富の格差が広がり、神の民の敵たちは、何よりも指導者ネヘミヤとユダヤ人貴族の間に不信の種を蒔くことに必死になっていたからです。

1.民とその妻たちの抗議とネヘミヤの対応

5章初めで、バビロン捕囚から帰還してエルサレムとその周辺に住んでいる貧しい民の訴えが、「さて、民とその妻たちから、同胞のユダヤ人たちに対して強い抗議の声があがった」と記されます。この「妻たち」は、夫たちが城壁再建のために身を献げ、過酷な働きを続けていたことを理解しながらも、子どもたちの食べ物が日に日に不足してくる様子を見て、不安になり、豊かな人々に抗議の声を挙げました。

現代も同じような訴えがあるかもしれませんが、当時の悲惨は想像を超えています。「飢饉」のために餓死する恐れさえありました。ここには記されませんが、彼女たちの中には、「こんな大変なときに、なぜネヘミヤは城壁再建をそれほど急ぐのか……」という、声にならない不満が募っていた可能性があります。

第一の訴えは、「私たちの畑も、ぶどう畑も、家も抵当に入れなければならない。この飢饉に際して穀物を手に入れるために」(5:3) というものでした。これは土地や家を抵当にして、家族のための「穀物」を借りる必要があったということです。

出エジプト記22章では、同胞の貧しい者に金を貸すときに、隣人の上着を夜の間、質に取ってはならないと記されていましたが (25–27節)、捕囚から帰ってきた者が、ようやく取り戻した相続地を借金の抵当として同胞に差し出すなどということは、あってはならないことでした。

また5章4、5節では、ペルシャ王に税金を払うための借金の抵当として同胞に土地を差し出してしまった者たちが、今度は、穀物を手に入れるために「息子や娘を奴隷に売らなければならない」と訴えます。その際、「私たちの血肉は私たちの同胞の血肉と同じだし、私たちの子どもも彼らの子どもと同じだ」と、同じ神の民に対する借金のために子どもが奴隷にされる不条理を問題にします。

なお、ネヘミヤはペルシャ王から派遣された総督でしたから、ここには彼に対する不満の気持ちも込められています。

律法では外国人は奴隷にできても、同胞を奴隷にすることは堅く禁じられていました (レビ25:39–46)。しかし、昔のイスラエル王国では、王政のもとで貧富の格差が広がり、同胞間で利息や抵当をとってお金を貸すことは日常茶飯事でした。神がその王国を滅ぼした理由の一つは、「神の国」の模範を示すはずの国で恐ろしい不正がまかり通っていたことにあります。

ところが、捕囚から帰って来た人々は再び、昔の過ちを繰り返し、この世の経済原理でお金の貸し借りを行い、貧富の格差を広げていました。彼らは熱い理想を抱いてエルサレムに帰って来たはずなのに、約90年が経過した時点で昔と同じになっていました。そこに城壁再建プロジェクトが動き出したので、民と妻たちの抗議が激しくなったのでしょう。

ネヘミヤは「彼らの不平と、これらのことばを聞いて、激しく腹を立て」(5:6) ますが、その怒りは同胞の「有力者たちや代表者たち」に対してのものでした。その際、彼らを非難するに当たって、「私は十分考えたうえで」(5:7) と記されます。この直訳は「私の心を治めたうえで」で、怒りの感情に振り回される代わりに、自分の心の王として自分の感情を治めたという意味です。感情の爆発は反発を招くからです。

そして彼は、「あなたがたはみな、自分の同胞たちに、利子をつけて金を貸している」と、彼らの行為が律法に反していると言いました。その際、彼は「大集会を開いて」、自分の資産を用いて、異邦人からできるだけ多くのユダヤ人の奴隷を買い戻して自由人にしてきたのに、ユダヤ人の金持ちたちが逆に「自分の同胞を売ろうとしている」と非難しました (5:8)。

それに対し「彼らは黙ってしまい、一言も言えなかった」と記されています。彼らにはネヘミヤの言葉が口先だけのきれいごとではないことが分かったからです。

2.貧富の格差を縮め、民の負担を軽減しながら、城壁再建への力を結集する

ネヘミヤは「私たちの神を恐れつつ歩むべきではないか」(5:9) と、律法の原点に立ち返るように訴えました。その上で、「私も、私の親類の者も……彼らに金や穀物を貸してやったが、私たちはその負債を帳消しにしよう」(5:10) と、彼が率先して負債を帳消しにすると言いました。

律法には「七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない」(申命記15:1) と命じられていました。そればかりか50年に一度は、借金が帳消しにされるばかりか、土地を失った人々が本来の所有地を回復できるというヨベルの年の規定がありました (レビ25:10)。

ここでネヘミヤは自分の債務者たちにその恩恵を宣言したのです。彼はそのような義務はありませんでしたが、他のユダヤ人の模範となるためにより大きな犠牲を払うと約束しました。

その上で、5章11節は原文では、「だから、あなたがたも今日、彼らに返してやりなさい」と記された上で、その対象をまず、借金の抵当としていた「畑、ぶどう畑、オリーブ畑、家」としました。そればかりか、「彼らに貸していた金や穀物、新しいぶどう酒、油などの利息分」の返却を勧めました。

彼は借金の帳消しではなく、借金の利息の返却を求めたのです。ここでの「利息」とは原文で「百分の一」と記され、月々の金利が1%、年利では12%の金利の部分を指します。律法では「異国人からは利息を取ってもよいが、あなたの同胞からは利息を取ってはならない」と命じられていたからです (申命記23:20)。

ちなみに、イスラム教世界ではこの原則は今も生きています。ただ、彼らはお金を貸す代わりに、商取引の名義上の主体となって手数料を徴収したり、また、共同出資という形での投資をしてその収益を得るという方法で、実質的には利息に相当する部分を確保しています。

ただ、利子所得の禁止という道徳的な歯止めがあるため、他の資本主義国のように金融取引ばかりが独り歩きすることはないようです。

この勧めに対して、彼らはすぐに「私たちは返します。彼らから何も要求しません」(5:12) と応答します。それに対してネヘミヤは、「祭司たちを呼んで、この約束を実行する誓いを立てさせた」ばかりか、自分の「衣の裾を振って」、「この約束を果たさない者はだれでも、神がこのように、その人の家から……振り落としてください……このように振り落とされて、無一文になりますように」と警告します (5:13)。

それに対し全集団は、「『アーメン』と言って「主 (ヤハウェ) をほめたたえ……民はこの約束を実行したと描かれます。

そればかりか、ネヘミヤは「私がユダの地の総督として任命された日……アルタクセルクセス王の第20年から第32年までの12年間、私も私の親類も総督としての手当を受けなかった」(5:14) と自分の行動を記します。彼の願いの第一は城壁の再建にありましたから、それ以上の負担を民にかけまいと決めていたのでしょう。

一方、「私の前任の総督たちは民の負担を重くし、銀40シェケル(日毎に3.5万円相当?)のほかにパンとぶどう酒を民から取り立てた。しかも……若い者たちは民にいばりちらした。しかし、私は神を恐れて、そのようなことはしなかった」と行動の背後に、神への恐れがあったと述べます。

引き続き彼は、「私はこの城壁の工事に力を注ぎ、私たちは農地を買わなかった。私の配下の若い者たちはみな工事に集まっていた」(5:16) と記します。

そしてその時の食事の様子が、「ユダヤ人の代表者たち150人、また私たちの周囲の国々から来る者が、私の食卓についていた。そのため、一日に牛一頭、えり抜きの羊六頭、数羽の鳥が、私の負担で料理された。それに十日ごとに、あらゆる種類のぶどう酒がたくさん用意された」(5:17、18、下線部は5:18 ESV訳の prepared at my expense、2018年共同訳を参照) と描かれ、すべての料理のネヘミヤの負担で出したという面を強調しています。

そればかりか、「それでも私は、この民に重い負担がかかっていたので、総督としての手当を要求しなかった」(5:18) と記します。城壁再建工事自体が民にとっての大きな負担となっていることを十分に理解して上での対応でした。

ネヘミヤは自分のすべてを城壁再建のために献げていました。彼はここで「私の神よ。どうか私がこの民のためにしたすべてのことを覚えて、私をいつくしんでください」(5:19) と祈りますが、それは自分が城壁再建と引き換えに全財産を失うという可能性を見ていたことの現れと言えるかもしれません。

3.神の民の分裂を引き起こそうとする敵の策略

6章1節では城壁の「破れ口が残っていない」という状態になり、「門には扉を取り付け」るだけというときになって、サマリヤの支配者サンバラテとアラブ人ゲシェムがネヘミヤをおびき出そうとしました。彼は四度にわたってその誘いを断りましたが、「サンバラテは五度目に」誰もが読める「一通の開封された手紙」を届けます (6:5)。

そこには、これは「諸国民の間に言いふらされ」ていることとして、「あなたとユダヤ人たちは反逆を企んでいて、そのために……城壁を築き直している。このうわさによれば、あなたは彼らの王になろうとしている」(6:6) と書いてありました。これは、ネヘミヤがペルシャ帝国からの独立を画策しているという「うわさで、それを否定できなければペルシャ王の攻撃があるという看過できない脅しでした。

しかし、彼は慌てることなく、「あなたが言っているようなことはなされていない。それはあなたが心の中で勝手に考え出したことだ」(6:8) と返事しました。なぜなら、彼は全能の神の導きのもとで、ペルシャ王アルタクセルクセスとの個人的な信頼関係を築いているという自負があったからだと思われます。

ユダヤ人の敵たちは、城壁再建をペルシャ帝国への反逆行為であると宣伝することで、ユダヤ人たちの中で、「工事に対する気力が落ち、工事は中止されるだろう」と期待していました (6:9)。なぜなら、ネヘミヤに確信があっても、ユダヤ人たちが疑いを持ってしまえば工事は中断してしまうからです。

それで再びネヘミヤは、主に向かって「ああ、今、どうか私を力づけてください」と簡潔な祈りをささげます。彼は何かあるたびに瞬時の祈りをささげています。これこそネヘミヤが主に用いられた秘訣と言えましょう。

そのような中でネヘミヤは、預言者を自認するシェマヤの家を訪ねますが、「彼は引きこもって」いました (6:10)。これはエルサレムが敵に包囲されていることを象徴的に示した行為かもしれません。

そこでシェマヤは預言のことばとして、「神の宮、神殿の中で会い、神殿の戸を閉じておこう。彼らがあなたを殺しにやって来るから。きっと夜分に殺しにやって来る」と告げます(ヘブル語原文では、括弧内のことばが預言として改行されて記されている)。

それに対してネヘミヤは、自分は指導者として「私のような者が逃げてよいものか」と応答します (6:11)。指導者の逃げの姿勢は人々の気力を失わせるからです。

それと同時に、「私のような者で、だれが神殿に入って生き続けるだろうか。私は入らない」と答えます。これは祭司でない自分が神の宮の中に入ってしまえば、神のさばきを受けるという、神を恐れる態度の表明です。

その上でネヘミヤは、シェマヤを「遣わしたのは、神ではない」とその偽りを見抜きます (6:12)。なぜなら、主はご自身の律法に反する預言を伝えさせないからです。

そして、「彼がこの預言を私に伝えたのは、トビヤとサンバラテが彼を買収したからだと」という敵の策略を見抜きます。トビヤはアンモン人を治めていましたが、名はユダヤ人で、祭司や預言者の一族との関係を築いていたようです (6:17、18参照)。

そして、ネヘミヤは、シェマヤが「買収された」理由を、「私が恐れて、言われるがままにして罪を犯し、私の悪評が立って、私がそしられるようにするため」であったと解説します (6:13)。敵たちはネヘミヤとユダヤ人貴族との間に不信の種を蒔こうとしていました。

先にネヘミヤは貴族たちに経済的な犠牲を強いる政策を、大集会を開いて有無を言わせずに決めましたが、それに対する反発がくすぶっていたのかもしれません。いつの時代にも、既得権益を失う者は陰に隠れ、指導者の足を掬う計略を謀る傾向があります。

その上で、6章14節では再びネヘミヤの祈りが記されますが、この書き出しは原文では「覚えてください」です。それは神の正しいさばきを訴える願いです。そしてその内容は、「トビヤやサンバラテのこれらのしわざと、また、私を恐れさせようとした女預言者ノアデヤや、その他の預言者たちのしわざを」というものでした。女預言者ノアデアが何をしたかは記されていませんが、これは、シェマヤが買収されて偽りの預言をしたと同じようなことが、このときに重ねて起きたことを示唆します。

神の都エルサレムの再建のためにあらゆる犠牲を厭わずに労苦している指導者が、既得権益を守ろうとする人々によって抹殺されようとしています。このような悲惨は、神に従おうとする者が繰り返し味わってきたことでもありました。

ですから詩篇43篇1節にも、「神よ 私のためにさばいてください (Vindicate me、 O God)。私の訴えを取り上げ 不敬虔な民の言い分を退けてください。欺きと不正の人から 私を助けだしてください」という祈りがあります。

そこでは、神のさばきを願うことと、自分の救いを願うことは、表裏一体とされています。

4.城壁の完成とトビヤの執拗な混乱作戦

「こうして、城壁は52日かかって、エルルの月の25日に完成した」(6:15) というのは感動的な記述です。エルルはユダヤ歴で第六番目の月で、現在の8、9月を指します。ネヘミヤがアルタクセルクセス王に城壁再建を願い出たのは第一の月のニサンでしたから (2:1)、城壁は王の許可から半年以内に完成したことになります。しかもそれは再建工事開始から52日目のことでした。

ユダヤ人のエルサレム帰還は紀元前538年で、それから93年後の紀元前445年まで動かなかったことが、一気に仕上がったというのです。それは神がネヘミヤを立てると同時に、すべてのことを背後で導いておられたからです。

確かにネヘミヤの不屈の意志と強力な指導力は大きな意味を持ちましたが、主役は神ご自身でした。彼はそれを誰よりも理解していたので、「私たちの敵がみなこれを聞いたとき、周囲の国々の民はみな恐れ、大いに面目を失った。この工事が、私たちの神によってなされたことを知ったからである」(6:16) と述べます。

ただ、6章17節では、トビヤとユダヤ人貴族との頻繁な手紙のやり取りのことが描かれます。さらにその姻戚関係が、「トビヤがアラフの子シェカヌヤの婿であり」と記されますが、アラフとはエズラ記2章5節にバビロン捕囚からの最初の帰還者のリストに出てくる名門です。

さらに「トビヤの子ヨハナン」という名が登場しますが、ヨハナンは新約ではヨハネと発音されユダヤ人として一般的な名前でした。

7章61、62節では「トビヤ族」は「先祖の家系と血統がイスラエル人であったかどうかを証明できなかった」というリストに入っています。トビヤの家系は、エルサレムへの帰還者の第一陣の中にありながら、冷たい目で見られ、ユダヤ人の敵となってしまったのかもしれません。

そして、彼と縁を結んだユダヤ人たちはネヘミヤの前で「トビヤの善行を語り」ながら、裏ではネヘミヤのことばを「彼に伝え」、それに応じて、トビヤはネヘミヤを「脅すために、たびたび手紙を送って来た」という不健全な関係が続いていました (6:19)。

7章1、2節では、城壁完成直後の様子が、「城壁が築き直され、私が扉を取り付けたとき、門衛、歌い手、レビ人が任命された。私は兄弟ハナニと、この城の長ハナンヤに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナンヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからである」と描かれます。

ハナニはペルシャの王宮に仕えていたネヘミヤに最初にエルサレムの悲惨を伝えた人でした (1:2)。彼はそれ以来ずっとネヘミヤを支え続けてきたのでしょう。またハナンヤについては「誠実な人」で「神を恐れていた」と記されています。ネヘミヤはエルサレムの指導体制をこれによって固めたのでしょう。

そして、最後に、当時のエルサレムの様子が「この町は広々としていて大きかったが、その中の住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった」(7:4) と描かれます。城壁の再建が遅れていたため町は成長していませんでした。しかし、これからはいよいよ新たな発展を望むことができます。

城壁の再建工事が進む中で、隠れていた社会の矛盾が顕わになりました。ネヘミヤは工事を急ぎながらもユダヤ人貴族に立ち向かい、律法の原則に立ち返って貧しい者たちに「情け」をかける政策を実行しました。

それに対し敵は、ユダヤ人の指導者の間を引き裂こうと様々な策略を謀ってきました。何人もの貴族たちが敵に買収され、ネヘミヤを退ける動きに加担しました。彼はそれら内部の敵に対して、「仇」という恨みで対処する代わりに、すべての問題を神に祈り、神のさばきにゆだねて行きました。

武田信玄のことばをネヘミヤ記によって再解釈することは、現代の教会に有益です。信玄の死から十年後に武田家は滅亡します。徳川家康は武田家の家臣を裏切らせ味方にします。それに怒った勝頼は長篠の合戦で無謀な戦いを仕掛け有能な家来を数多く失います。

その後、織田信長が武田家の家臣を次々と買収し、寝返らせます。勝頼はその時になって堅固な城を築こうと大増税を行います。それに家臣がまた反発し、武田家は内部分裂します。

ネヘミヤは人の心の変わりやすさをよく知っていたからこそ、エルサレム城壁の再建を急ぎました。しかし、彼はそれと並行して、貧しい民の不満に耳を傾け、共同体を建て上げることに注意を向けました。城壁を築くことと共同体を建て上げることは車の両輪のようなものでした。

その際、彼は、「仇」という「恨み」の力の危険に何よりも神への祈りで対処しました。

「仇は敵」と言われても、「恨み」の感情から自由になることは至難のわざです。多くの家庭や職場でも「恨み」が蔓延し、内側から崩れてゆきます。しかし、「自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい」(ローマ12:19)という原則を知るときに、そこに新しい世界が広がります。

私たちは、自分の敵を、神がご自身の時にさばいてくださることを信じられるときに初めて、「恨み」から解放されます。その結果、「敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませ」ることができるようになるのです (同12:20)。