しかし、私たちはこのような時こそ、永遠に変わることのない神の愛に立ち返り、静まるときを大切にしたいと思っています。
今度の日曜日はマタイによる福音書19章16–30節から、イエスの招きに応じられなかった金持ちの青年の記事からお話しします。
メッセージ後に、有名なスコットランド民謡のアニー・ローリーの歌に別の歌詞をつけた聖歌582番「神の御子にますイエスのために」という讃美歌をともに唱和したいと願っています。
このアニー・ローリーというのは、1682年にスコットランドのマックスウエル家に生まれた絶世の美女の名前です。彼女に恋をして結婚の約束までしたのがこの詩の作者のウィリアム・ダグラスです。ただ、それぞれの父親どうしが政敵であったため、結婚できなくなりました。失意のダグラスは、アニーへの思いを美しい詩として表現します。その歌詞は、マックスウエル家の家が建つ丘陵の美しさから始まり、アニーが陽の光をうけてたたずむ姿、また彼女の容姿の描写が続きます。まるで、聖書の雅歌を思わせる表現が続きます。彼女のダーク・ブルーの瞳ということばは感動的で、その肖像画も残っているほどです。そして、彼女は自分にとって世界のすべてと歌われます。四番までの歌詞の中で繰り返されることばが、「彼女のためなら自分の身を投げ出し、死ぬことも厭わない」という熱い思いです。
この詩に1838年にジョン・ダグラス・スコットという女性が現在のメロディーをつけると、クリミア戦争の際に、故郷を思う兵士の間で、特に愛唱されるようになります。
一方、19世紀にニューヨーク出身の作詞家によって記された「だれがイエスのために立つか Who’ll stand up for Jesus という讃美歌が別のメロディーで歌われていましたが、その信仰の歌に アニー・ローリーの歌詞がついたのが聖歌582番ということになります。
以下でアニー・ローリーの日本語バージョンが由紀さおり、安田祥子さんによって歌われています。まさに美しい恋の歌です。
そして、以下は聖歌582番を合唱で歌ったものです。今度の日曜日の礼拝までにお聞きいただき、味わっていただければ幸いです。
実は、信仰と恋愛の感情は切り離せない関係にあります。ですから、聖書には雅歌のような記事があります。
世のどこでも今や聞かれている「主よ、人の望みの喜びよ」というバッハの曲は、もともとイエス様を恋愛の対象として描いたような歌です。
詩篇27篇4節では次のように歌われます
一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しさに目を注ぎ その宮で思いを巡らすために
また詩篇84篇2節では次のように歌われます
私のたましいは 主の大庭を恋い慕って 絶え入るばかりです。
私の心も身も 生ける神に喜びの歌を歌います
まさに聖書には恋愛感情に似た神への思いが描かれているのです。信仰とは、イエス様に恋愛感情を抱くことと言っても良いかもしれません。
アニー・ローリーという一人の女性への恋の歌が、国のためにいのちをかけて戦う兵士の心の支えとなり、また、イエスへのまったき献身を歌う曲に転用される、その不思議を味わってみたいと思います。